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+クリエイティブレクチャー

2016年11月25日(金)

近年の「歩いて楽しい都市空間づくり」への関心の高まりを受けて、都市計画・まちづくりの専門家である鳴海邦碩さんを講師にお招きし、+クリエイティブレクチャー「都心まちづくりの潮流を学び、これからを考える」を開催しました。


鳴海さんからは、いま、神戸で都心まちづくりを考えるにあたって不可欠な「歩いて楽しい都市」への考え方について基調レクチャーをいただきました。
また、ゲストに福岡で都心のまちづくりに関わってこられた福田忠昭さんにもお越しいただき、「We Love 天神協議会」での活動など、福岡でおこなわれてきた具体的な事例についてお話を伺いました。
以下、レクチャーの一部を抜粋します。

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鳴海邦碩さん(大阪大学名誉教授、関西大学客員教授)
「歩いて楽しい都心まちづくり」



都心のまちづくりを考える視点はいろいろありますが、ひとつの考え方として「都市は歩いて楽しくなければいけない」という観点からお話します。

都市はいろいろな人が訪れることで成り立っているので、訪れる人がいなければ都市が都市でなくなってしまいます。都市の特質は、人々が交流するところにあります。近年は海外からたくさんの観光客が来ていて、ひとつの交流となっていますが、まずは日本人があちこちに出かけることを前提にしなければいけない。
では、人が訪れるまちというのはどんなまちなのでしょうか?

「行ってみたい」と思える都市のイメージ
まちづくりにはいろいろな定義がありますが、私は「まちがいきいきとしていること」がいちばん大事なことだと考えています。これまで世界のいろいろな都市を訪れましたが、まち全体が一度は行ってみたいという気持ちを起こさせる雰囲気を持っているまちには、とても大きな魅力があります。

「行ってみたい」まちはふるさと性をもっています。ふるさとといっても故郷(こきょう)という意味とは少し違って、文化があるということです。文化、つまり自然や歴史、芸術、人びとの暮らしのありさまが、懐かしさを感じさせる。人間が帰るところというイメージを強くもっている。

都市の魅力は、歴史的に形成されてきた都市全体、とりわけ中心部に存在しています。都市空間の質は、それ自体が資産であると同時に、経済的繁栄に貢献します。都市空間において、建物よりも建物と建物のあいだの空間の方が大事であるということが、都市デザインの専門家の間では共通の理解になっています。なぜなら、公共的な空間からまちの姿が見えるわけで、歩くことで、肌を通してまちを楽しむことができるからです。そうした観点でまちを考える必要があるのではないでしょうか。

「都市の自由空間」のやくわり
歩いて楽しいまちにはいろいろ条件があります。人が歩く街路の沿道が建物にどのように囲まれているか。沿道の建物からいろんな賑わいが滲み出しているか。街路に見通しがあるか、などです。
そうした要素が総合してまちの魅力を形成しています。そうした働きがあるので、歩いて楽しい街路は、まちづくりを引っ張ってくれる役割を担っています。
私は、人びとに開かれた空間を「都市の自由空間」と名付け、学生時代から関心を持って研究してきました。これもまちの魅力をつくる重要な要素です。

では、どういうものが「都市の自由空間」なのでしょうか。
振り返ってみると、1970年前後に、世界中で歩行者空間の整備が行われました。1958年には、戦後のヨーロッパではじめて、ドイツ・エッセンに歩行者モールが生まれます。日本のアーケード街と同じように見えますが、まちのなかにネットワークとして広がっていることが日本と異なります。
1968年にはアメリカ・ミネアポリスでニコレットモールが生まれました。ニコレットモールは、良く知られていますが、トランジットモールと呼ばれるタクシーとバスのみ通行ができる道路があるモールです。
1972年、ドイツ・ミュンヘンのノイハウザー通りでは、当時自動車の渋滞が問題となっていましたが、オリンピック開催を契機に地下鉄が整備されたことに伴い、自動車の交通量の低下を見込んで車道を歩行者空間にしています。ミュンヘンの都心部は第二次大戦で大きな被害を受けましたが、歴史的な街並みを再建するまちづくりを実施し、モール周辺が魅力的な都市空間になりました。
日本では、1969年に、北海道の旭川市で買物公園の実験がおこなわれました。国道と道道の自動車の走行を止めて行ったのです。止めるために、市役所と商店街の人たちがたいへんな苦労をしています。このとき私は大学院の1年生で、調査に行きました。その後、1972年には買物公園の歩行者空間化が恒久化することになります。
旭川の買物公園はその後、1998年からリニューアルを実施。イベントがおこないやすいよう、できるだけものを置かないという方向で作り替えました。

歩行者空間への関心の再燃
かつて1970年前後に歩行者空間の整備が世界の各地で進められていましたが、最近になってまた歩行者空間への関心が高まっています。アメリカ・ニューヨークのタイムズスクエアの歩行者空間化が行われました。NYの顔となる場所で車の通行を止めたのです。ブロードウェイでも歩行者空間化がおこなわれていて、車線を狭めて歩行者のための場所が生まれています。
ブロードウェイの取り組みは、非常に簡単なやり方になっています。問題があればすぐにもとに戻せるといった方法です。車をとめて歩行者の居場所を増やし、新しいイメージを実感してもらうという戦略です。

欧米に比べて、日本では公共空間の利用には制限が多く、道路や公園、水辺での商業利用はとても厳しいのが現状です。むかし、道路は屋台などでいろいろ活用されていましたが、いまは厳しくなっています。道路利用については、警察の権限が非常に強く、まちづくりの敵は警察、という構図がしばしばあらわれます。安全でスムーズな自動車交通を確保することが一番と言われると、市民はなかなか反論できないというところです。

しかし、社会実験などで公共空間を楽しく使いたいと思ったとき、条件をそろえると制限をクリアできることが見えてきました。地元の人びとが地元のために組織化して取り組み、自らルールを定めてそれに従っておこなっていて、それが公共的な利益にかなうものであると行政が認めると道が開けてきます。

お祭りではどうどうと道路を利用します。お祭りには歴史があって、公共的な利益だということが証明されているために、公共空間の活用も可能になっているわけです。

旭川の買物公園では奇跡的に実現しましたが、日本で車をとめて歩行者空間にするという取り組みはとてもむずかしい。そういう背景もあって、最近では再開発によって広場をつくろうという取り組みがあちこちで進んでいます。そのひとつの発端が富山市のグランドプラザです。再開発で路地を集約して帯状の空間をつくり、そこにガラスの屋根をかけて広場にしています。広場は貸しスペースとして貸し出していて、稼働率がとても高いです。土足で入れるオープンなスペースを貸し出している例はめずらしい。

長岡市のアオーレは、市役所などを複合した市の施設で、施設同士をつなぐ空間を広場にしています。隈研吾の設計で、ここも貸しスペースとして貸し出しています。
グランフロント大阪や姫路駅前にも、ダイナミックな広場が設えられました。

共通しているのは、公共空間ですが道路ではない、はじめからそういう目的でつくった空間です。いろんな使い方ができるという特徴があります。


まちづくりの2つのタイプ
魅力のあるまちづくりには、2つのタイプがあります。ひとつは大きなプロジェクトとして行うもので「造る魅力」ということができます。しかし、このタイプは大きな都市ではできても、地方都市ではなかなか難しいのが現実です。ほかの都市では「育てる魅力」としてのまちづくりをする必要があります。

現場がどのような状況なのかを考えて、今あるストックを見直し、魅力のあるポイントを周囲と結びつける。そのために歩ける空間を重視する。また、都市活動を畏縮させてしまう規制を排除する工夫も必要です。公共的な施設をつくったら、まわりに広がるネットワークをつくることを考える。このような「育てる魅力」タイプのまちづくりは地方都市でもできる。

貴方まかせのまちづくりは、楽しい魅力のある都市を生み出すことはできない
提案やアイデアはたくさんあるし、自治体も頑張っているけれどなかなかまちづくりが動かない。ではどうすればいいか。これまでいろいろ活動してきてわかったのは、サポーター型のまちづくりです。

まちに愛着があり、そのまちが好きな人はたくさんいると思います。そういう人はまちの応援団になれる。まちに応援団がいるというのは素敵なことだ。市民、住民でなくてもまちが好きな人はサポーターになれる。
まちを楽しむことからはじまるのがサポーター型まちづくりです。参加する人が楽しいからこそ、まちがいきいきとしてくる。

神戸くらいのスケールだと、サポーター型のまちづくりがいいのではと思います。
福岡も同じようなスケールなので、参考になるのではと思い、福田さんをお呼びしました。福田さんからは、より具体的な都心まちづくりの事例をご紹介いただきます。

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福田忠昭さん(LOCAL&DESIGN(株)代表取締役)
「福岡・天神の都心まちづくりについて」



今日はまず、天神の歴史の話からはじめます。
今では「博多」と一括りに呼ばれますが、江戸時代までは、商人のまち「博多」と、武士のまち「福岡城城下町」のふたつのエリアにわかれた双子型の都市でした。このふたつのエリアは「桝形門」という関所一か所のみでつながっていて、基本的には行き来できませんでした。商人のまちと武士のまち、方言も違うし生活習慣や習わしも違うという状況でした。
博多のまちの碁盤目状の都市基盤は、1587年の「太閤町割り」という、豊臣秀吉がつくった町割りによってつくられました。山笠というお祭りでは、碁盤目状の都市構成がそのままお祭りの流れに引き継がれて、いまだに生き続けています。一方、城下町は1601~07年の福岡城築城によって成立します。

博多商人たちの団体「都心界」の設立
天神は城下町の一番はずれの場所で、当時はまちの中心ではありませんでした。明治時代、路面電車が走り始め、交差する場所になったことが大きな転機となり、循環する路面電車が天神で交差し、さらに西日本鉄道(以下、西鉄)ができたことで、明治期から天神が中心地になりました。そうして現在は、天神・博多の二極構造ができています。
博多駅周辺はオフィスビルだったのですが、2011年に博多駅ビルがリニューアルして、おおきな商業施設の集積が進んでいます。

天神の特徴は、半径1kmの歩いて回れる範囲に、商店街と3つの百貨店、さらに10の大規模商業施設が集積しているところにあります。
戦前からあった百貨店の岩田屋、戦後すぐに博多商人の方が戦後復興としてつくった新天町商店街、そして西鉄の3社が「都心界」という親睦団体を1948年につくります。自社だけでなく、天神がみんなで盛り上がれば自分も儲かるだろうという発想で「都心界」はスタートしました。現在は、さきほどの半径1km範囲内の大規模商業施設がすべて「都心界」に入っています。この「都心界」は、その後のWe Love 天神協議会発足のベースになりました。

「We Love 天神協議会」発足に向けて
エリアマネジメントが2000年代前半に各地で盛り上がりましたが、天神でも「天神モビリティタウン協議会」や「新・福岡都心構想検討準備会」など、いろいろな組織が乱立しました。福岡市としても、2006年に「新・福岡都心構想」というマスタープランの策定を進め、天神ピクニックという社会実験が契機となって「We Love 天神協議会」が発足します。みんながいろいろ考えていたことを「We Love 天神協議会」がまとめてプラットフォームができました。

博多駅周辺にも2008年に同じようなエリアマネジメント団体「博多まちづくり推進協議会」がJR九州を中心につくられ、博多駅ビル開業に向けて準備していました。天神には他にも「天神明治通り街づくり協議会」という明治通り沿いの再開発のための協議会があります。さらに天神と博多駅前、ウォーターフロントのエリアを含めた3拠点を都心部として位置づけて、福岡地域戦略推進協議会(FDC)が取りまとめています。FDCが福岡の都心部全体をコントロールし、「We Love天神協議会」はFDCと「天神明治通り街づくり協議会」」のあいだに入って、調整役のような役割もあると思っています。

まちづくりガイドラインの策定
「We Love 天神協議会」の発足後2年間かけて、天神まちづくりガイドラインをつくりました。さきほどの鳴海先生の話にもあった「歩いて楽しいまち」がWe Love 天神協議会が掲げている将来の目標です。そのための戦略をいくつか考えて、ガイドラインのなかで整理しています。

エリアマネジメントの活動に対して国からの補助金をもらい、その更新のタイミングで、「天神交通戦略」をまとめました。特徴としては、歩行者を交通のなかに入れ込み、歩行者が中心として公共交通と自転車、自動車の整理をおこないました。天神の中心地には42か所のバス停があるので、集約を進めたり、歩行者については、地下・地上・空中デッキの三層構造で移動ができないかといったことをまとめました。今年から連節バスの運行がスタートし、天神から博多駅、ウォーターフロントエリアを結ぶ実験としてスタートしています。これは天神だけの話ではないので、FDCが取りまとめて実現につながりました。また、自転車は、サイクルポストなどをつくって数字上では違法駐輪は減りました。サイクルポストが歩道上にあるのでは見た目としては変わらないので、早くサイクルポストも撤去したいと考えています。

道路空間を公共活用したまちづくり
2013年、きらめき通りという道路を歩行者専用としたときにどういう影響があるかの調査のための実験として、車を通行止めにしてみました。公開空地を利用してせめてもの賑わいをつくりましたが、道路は車をとめただけで、道路空間の活用まではおこなっていません。

そして翌年の2014年に、国家戦略特区に福岡市が指定され、行政の特例を受けました。さきほどの車の通行止め実験で、周辺に渋滞ができることも歩行者が困ることもないことが証明されたので、「天神ストリートパーティー」を開催できました。

道路空間とは、車道と歩道を含めた空間を指します。このイベントでは、実際の道路の上にはほとんどものは置かず、すぐに動かせるものだけでの実施としました。テントは歩道横の公開空地にのみ設置しています。

公園を活用したまちづくり
那珂川の河川敷にある公園で、オープンカフェを実施しました。河川敷の使用許可を県からもらい、公園の使用許可は3カ月おきに区役所に申請を出しています。隣接するカフェの方がテーブルなどの管理をおこないながら、植栽は西鉄のホテルが担当しています。カフェ事業者からは、屋外カフェの売り上げの3%を、We Love 天神協議会に活動資金として寄付していただいています。

警固公園のリニューアルでは、もともと犯罪が多発していた公園をリニューアルし、公園のなかでWe Love 天神協議会のおこなうイベントとしてカフェを出店してもらい、売上の15%を寄付してもらっています。リニューアルの際に仕組みを恒常化させたかったのですが、いまも検討している段階です。
水上公園のリニューアルでは民間コンペによる運営の動きもありました。

広場・公開空地を活用したまちづくり
市役所前のふれあい広場では、ヒートアイランド対策として保水性のある人工芝が設置されました。せっかくの場所ですので、にぎわいの場所として民間に開放し、年間200日間をWe Love 天神協議会を含む事業体が借り受けて、イベントをまわしています。
広場や公開空地では、全国的に広がった「明後日朝顔プロジェクト」という日比野克彦さんがはじめた運動が行われています。他にも各商業施設が環境プロモーションのための活動を行ったり、クールシェアなどのイベントもおこなっています。

公開空地については、営利目的での利用はできないので、行政と相談し、We Love 天神協議会がにぎわいづくりをおこなうためのイベントという位置づけで物販をおこなうという仕組みを実験し、来場者の評価をとりながら、売上の一部を活動資金として寄付してもらうことで、今年度から条例として制度化されました。イベントがないときは休憩スペースとして使う実験も行っています。

他に博多駅周辺でも、博多駅前通りという道路空間にコンテナの設置やマルシェをおこなう実験などがイベントベースですがおこなわれています。

天神の都心まちづくりの今後
明治通りの再開発や水上公園の整備、国家戦略特区などが実現してきていますが、天神は良くも悪くも集客さえすればいいという、商業施設中心のエリアマネジメントがおこなわれています。そうでなく、歩いて楽しいまちづくりという観点に立ち返る必要があると思っています。道路・公園・公開空地・広場などのマネジメントをおこないながら、財源の確保(普通の事業者が使えないところをWe Love 天神協議会であれば使わせてもらえる、ということをマネジメントしながら収益をあげる)を目指すべきだと思います。また、ソーシャルデザインとして、都市をクリエイティブに再生する方策をおこなうべきと考えています。

都心まちづくりについて、働く人と来街者との関係をどのようにつくるかが問題になります。どちらかの視点に偏らずに両立させることを考えます。魅力的なまちとは、商業的なイベントによる集客で人が訪れるまちだけではないはずです。まちの記憶のアーカイブとして、まちの歴史も観光コンテンツにつながります。そうした集積のためのセンターも必要だと思われます。公共スペースでの過ごし方を、市民と一緒に提案するかたちも実現できるといいなと考えています。

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その後の質疑応答では、行政や企業、市民をつなぐ役割の重要性や、市民がまちを主体的に利用できる土壌の重要性など、活発な議論がおこなわれました。




KIITOは今後もまちづくりの連続講座を展開していきます。神戸のまちづくりの今後にご期待ください。

+クリエイティブレクチャー「都心まちづくりの潮流を学び、これからを考える」開催概要はこちら
http://kiito.jp/schedule/lecture/article/18765/




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