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2014/2/3

イベントレポート

神戸スタディーズ#2 地-質からみる神戸 第4回 レポート

2013年11月10日 (日) 第4回 フィールドワーク

連続レクチャーの総まとめとして、旧兵庫津エリアのフィールドワークを行いました。兵庫津は、注意深く観察しながら歩いてみると、中世の町の痕跡、また近世の町並みや人々の生活が想起される神社や史跡が多く残されているエリアです。講師の松田さんのナビゲートのもと、対象地を巡っていきました。

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兵庫大仏

普段は正面からしか見る機会のない能福寺の兵庫大仏。斜め後ろに回って見てみると、前景のモダンな建物と絶妙にマッチするポイントを見つけました。能福寺は清盛の福原遷都計画時に平家の祈願寺となり、清盛も得度したという古い由緒を伝えるお寺です。

 

船大工町

中央卸売市場の北東向かいに位置しています。船大工町の町名は元禄9年(1696)の絵図にも同じ場所に確認できます。当時は兵庫津の船入に面する町でした。現在は兵庫運河(新川)の最北部分に面しており、運河の静かな水面には個人所有の小型船がびっしりと浮かんでいます。今も間口の狭い民家が建ち並び、近世以来の地割を伝えていることが想像されます。

 

竹尾稲荷神社

西出町にあります。蝦夷地の開発などを通じて兵庫津の繁栄に大きな貢献を果たした江戸時代後期の海商、高田屋嘉兵衛(1769-1827)。その功績を讃える記念碑があります。高田屋嘉兵衛の本宅はこの神社の門前にありました。文化10年(1813)の年号が入った花崗岩製の灯籠などを見付けることができます。文化文政年間の兵庫津の地形を描いた案内図もあり、今はない大きな入江、「佐比江」も描かれています。小さな境内ですが、兵庫の歴史を知る情報が詰まっています。

 

町家

伝統的な町家が数軒残っている東出町に来ました。一つ目に見た家屋はかなり保存状態が良く、大切に残されてきたもののようです。屋根上に突き出した「うだつ」が見られます。また、同じ通りに残る別の町家には、日本酒の銘柄「灘泉」の看板がありました。東出町にはこのように間口の小さい建物が並んでおり、船大工町と同様に近世以来の地割を伝えているのではないかと想像されました。

 

湊川跡

さらに北東に進むと旧湊川に当たります。旧湊川の川筋にあたる通りの標高が最も高く、そこを軸として周辺へ下がる扇形の地形となっています。湊川が作り出したこの微地形(非常に小規模な地形の変化)に添って、西出町・東出町などの町並みが形成されています。微地形と街区の関係を観察しながら歩きました。

 

松尾稲荷神社

拝殿にたくさん吊られている奉納提灯が印象的な松尾稲荷神社。この神社が位置する場所は周囲に比べてさらに高くなっています。わずかな高地を利用するためか、境内の密度がとても高く、独特の雰囲気です。
20世紀の初めにアメリカで誕生した神様で、明治末以降日本でも流行した神様「ビリケンさん」でも有名で、大正初期のビリケン像が祀られています。日本に現存するビリケンの中で最古級とか。これに因んで、世界のいろいろなビリケンさんの写真も壁一面に貼られています。

 

稲荷市場

旧湊川に沿うようにして形成されている稲荷市場。小さな間口の木造民家が密集し、狭い路地が張り巡らされています。

 

猿田彦神社(佐比江神社)

かつて佐比江の地には海が湾入しており、その周囲に遊廓が栄えていたとのこと。佐比江の遊女らは当時白川にあった山伏山神社(祭神猿田彦命)を信仰しており、毎月大勢連れだって参詣し、その信仰があまりにも深いため、後に猿田彦命の分霊を佐比江に勧請したのがこの神社だそうです。

 

鎮守稲荷神社

「ちぢみさん」の愛称で親しまれている西出町の稲荷で、境内には高田屋嘉兵衛が奉納した燈篭が見られます。灯籠の裏側には、文政7年(1824)の年号と「高田屋」の銘が確認できます。またここも竹尾稲荷神社と並んで、古いビリケンさんが祀られていることでも有名です。

 

七宮神社

平清盛が大輪田泊を造営するときに建立したと伝わる、古い由緒の神社です。かつては、佐比江に湾入する海が七宮神社の北に迫るところまで来ていたそうです。今ではその場所は広い車道となっており、海の気配はまったく感じられませんが、七宮神社にすぐ迫る海を想像すると、時空の旅をしている気持ちになります。

 

兵庫津歴史館・岡方倶楽部

近世兵庫津の社会集団のひとつ、「岡方」の惣会所跡です。「徳川時代兵庫津の行政機構は全域を三分し岡方、南濱、北濱とした。これを三方(みかた)と称し、大坂町奉行支配であつた。三方にはそれぞれ惣會所があり名主が惣代や年寄などを指揮して行政をおこなつていた」と碑にあります。
その後昭和2年、会所の跡地に兵庫商人の社交場としてこの建物が建造されました。モダンな近代建築です。岡方の歴史を継承するため、「岡方倶楽部」が設立されたとのこと。江戸時代から続く商家のご主人にも出会いました。現在建物内では、兵庫津の歴史についてのパネル展示を見ることができます。

 

大輪田泊石椋(おおわだのとまりいわくら)

昭和27年の新川浚渫工事の際に発見された大きな石が、船大工町の対岸に展示されています。案内板には、「この花崗岩の巨石は、(・・・)古代大輪田泊の石椋の石材であったと推定されます。石椋とは、石を積み上げた防波堤(波消し)や突堤の基礎などの港湾施設であったと考えられます。その構造は出土状況から、港の入口にこのような巨石を3~4段程度積上げ、松杭で補強し、堤を構築していたものと推定されます」とあります。

以上のように、松田さんのナビゲートのもと兵庫津エリアを歩くと、中世から近世にかけての地形やまち作り、人々の社会生活が生き生きと想像できる場所にいくつも出会うことができました。空間だけでなく時間をも行き来している気持ちになり、神戸の新たな見方を知るフィールドワークとなりました。

「神戸スタディーズ#2 地-質からみる神戸」
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