お知らせ・レポート

未来のかけらラボ

2016年12月16日(金)

未来のかけらラボvol.9 トークセッション「エリアリノベーションとは何かー「都市計画」でも「まちづくり」でもない新たなエリア形成の手法」を開催しました。

ゲストは、近著に『エリアリノベーション:変化の構造とローカライズ』がある馬場正尊(Open A代表/東北芸術工科大学教授/建築家)さんです。

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馬場さんとモデレーターの芹沢高志(KIITOセンター長)は旧知の仲。馬場さんが『エリアリノベーション』で的確に抽出されていた現在の動向や、著作の中で示される「計画的都市から工作的都市へ」という新しい概念が、都市計画の考え方の変化ということだけに限らない、広範な分野にヒントが与えられるようなことではないか、との芹沢の思いから、今回お招きしました。

前半では、馬場さんが、何に影響を受け、わくわくしてきたか、時代の終わりや変化の兆しをどこで感じて、どんな行動をして来たか。その実践を通して、それらが「工作的都市」という概念として整理し、言語化したものにいかにつながっていたかのお話しを、豊富な事例やスライドを参照しながらお聞きしました。


後半は、二人の対話です。「計画的」→「工作的」につながる考え方として、生物に習い、プラグマティズム(実用主義)を肯定的にとらえるのが良いのではないか、という話題になりました。
例えばバクテリアは繊毛で食べ物の濃度を測り、濃くなれば直進し、変わらないか薄くなれば角度を変える。これを繰り返すと必ず食べ物に行きつく。方向の確認を一定時間ごとに行う。やばいと思ったら方向を変える。この方法が良いんじゃないか、最近アートプロジェクトという言葉もよく使われるが、プロジェクトという概念は、ミッションを掲げて、その実現のために、コンマ一秒前になにを実現させるべきか、未来のその1点から、ピラミッド式にタスクの三角形ができてしまう。そうすると、より良いところに向かおうと思っているのに、結局、その計画した未来にがんじがらめになって、タスクの山に囲まれ、今現在がいきいきしてこない。しかも計画者側になると、実現しなきゃならないから、実現の過程で起こる、環境からの自然な反応を邪魔者扱いして、何も起こらない世界を作ろうとしてしまう。アートプロジェクトやデザインといった「問題解決」するはずの「計画」に悶々としてしまう。そこで、アーティストという問題発見、あるいは問題を起こす存在と出会う。アートとデザインの、同じところに行こうとしているけれど逆のベクトルを持つものが相殺されない方法を考えていたが、馬場さんの言葉や視点が、そこを言い当ててくれた、と芹沢は言います。
馬場さんは、おそらく自分は、本とかウェブサイトをそのセンサーにしている、本を書き読まれた反応を感じて、次走る方向を考えていく、を繰り返している感じかもしれない、情報は発生するところにしか集まらないから、自分が発生する主体になって、その反射に乗って、自分を動かしていく、バクテリアの法則と概念的には近い感覚。いちばん必然的なところに自分がいられる感じ、と応答します。


分野が違うところで見えてきている「工作的」な変化の話にもなりました。たとえば出版の世界。
本を出すなんて、昔は相当資本がないとできなかったことだが、取次のシステムや資金集めの方法が多様化して、近代のシステムに頼らなくても、個人レベルで作って、小さな渦を生むことができるようになった。考えてみると、出版する本であっても、建築等専門分野のもので作られる初版の部数くらいだったら、流通システムをすっ飛ばして、欲しい人に直接渡していくことも非現実的ではない感覚になってきている。そう考えると、本の形や印刷の方法が、いっきに自由になる。
本でも、まちでも、エネルギーでも、同時多発的に、大きなシステムを介在しなくても、個人で出来るかもしれない可能性が広がっていて、小さいサイズでネットワークを組むことで、できる時代が来つつあるんじゃないか。大きな枠組みから飛び出る何かが垣間見える思いがする。『エリアリノベーション』で取材したエリアには、資本主義的な欲望の先にある風景ではない、何か新しい表現がある感じがした、と馬場さんは話されていました。

全体を通して、本の内容にはあまり触れず、雑誌『A』の編集、事務所「Open A」やR不動産の立ち上げ、書籍の執筆など、さまざまな仕事を振り返りながら、馬場さんが本というかたちで言語化するまでの思考や過程を聞き、この概念をもっと広くとらえて、今とこの先のことも含めて、自分たちの社会をどう捉えて行動するか、をともに考えるような時間になりました。



未来のかけらラボvol.9 トークセッション「エリアリノベーションとは何かー「都市計画」でも「まちづくり」でもない新たなエリア形成の手法」
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2016年5月25日(水)

未来のかけらラボvol.8 トークセッション「二地域居住から見えてくるもの」を開催しました。

今回お招きしたのは、ライター/NPO法人南房総リパブリック理事長の馬場未織さんです。子供三人、共働きで、平日は東京、週末は南房総、という「二地域居住」生活を続けて10年近く、2014年に「週末は田舎暮らし」という著作を発表され、NPO法人を発足し、二地域居住を自ら実践するだけでなく、南房総の魅力を伝える活動も精力的に行われている方です。

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ご自身の体験、そこからの気づき・起こしたアクションを生き生きと話してくださるので、楽しさが伝わります。お話は、そもそも何をやっているか、の自己紹介から、二地域居住のきっかけ、やってみて気づいたことまでをお話しいただきました。一部を抜粋します。

やっていること
いま、執筆、NPO理事長、3児の母、妻、嫁、PTAをやっている。稼ぎのある仕事~稼ぎのない仕事・シャドウワークまであるが、稼ぎのない部分に暮らしの豊かさ、生きるモチベーションを見出していて、このバランスはわりと気に入っている。

二地域居住のきっかけ、実際
二地域居住のきっかけは12年前。息子が生き物にとにかく夢中で、○○が見たい!どこにいるの??と毎日聞く。馬場さん自身は都会っ子、文化的な生活一色だったが、息子につきあううちに、目覚めた。最初は冗談みたいな感覚で、田舎の物件を探していたが、だんだん、行けるんじゃないか!と思い始め、都心から1時間半の南房総に、東京ドームの約半分の土地を持つことに。

始めた当初は、週末はここでのんびりできる!と思っていたが、、、。草刈り機、トラクター運転、土いじりもしたことがなかったのに、野菜を育てる。やってみたら夢中になった。じゃがいもに母性を感じた。作るまでのストーリーがあるから、自分で作った採れたてを食べるのは格別で、食生活が豊かになった。

田舎暮らしは草刈りはじめ、いろいろとメンテナンスが必要。それをやりはじめると、めいっぱい時間を自分のために使える、メンテナンスがない都会の生活とはどういうことなのか、を考えさせられた。

生き物の命を食べる。近所にいる蟹を生きたまま茹でて、吹いている泡を食べた!飼って、食べること。子どもの泣き笑いを目の当たりにする。
キジを拾って放鳥するまで育てたり。そんな体験を重ねている。

なんでこんな暮らしを続けられているのかというと、美しいからかも。
アート、デザイン、的な美しさだけが美しさなのか、と懐疑的になっていたところに、この生活をやりはじめて、けっきょく美しいところにいたいんじゃん、これが大きなモチベーションになっていることに気付いた。


NPO法人の立ち上げ
田舎暮らしをしていて、地域の人にお世話になっていて、何もお返しできていない、なにかできないか、里山をみんなに開いてはどうか?と考え、NPO法人南房総リパブリックを立ち上げた。

南房総に「住む」~「出かける」の間のいろいろなグラデーションをデザインする。
・東京で知ってもらう「千足カフェ」…南房総の新鮮な野菜を使うカフェ。儲け重視ではなく、子どもがいて、外食しづらい人に利用してもらうことを目的とした。カフェをやりたい人の就労支援も兼ねた。
・わざわざ来てもらう「里山学校」…例えば、植物の名前を知り、認識することで愛が始まり、世界が広がる。
・居場所をつくってもらう「三芳つくるハウス」…坪単価1万円で作るビニールハウス。
・空き家のマッチング…南房総市は3割が空き家という状態だが、人は、ぼろぼろで入ると危ない、くらいにならないと手放す気にならない。いろいろな理由で貸し渋る。アンケートを取ると、空き家の管理は大変/大変ではない、の相反した意見が見える。その正直な気持ちに丁寧に寄り添って、心の扉を開いてもらうのが大事。
空き家を借りる方にしても、田園回帰といわれるが、上から言われても誰も行かない。主体として自分が欲しい暮らしをすることでしか、人の原動力にはならないと思う。ただ、楽しいことはする。クリエイティブな解決の仕方だと途端に乗ってくるのが、わずかに見える未来への光かなと思う。田園回帰は良いことかもしれないが、実現するための手段を伝えるのは、違うやり方を考えた方がいいのではないか。
・古民家エコリノベ…うちでもやれるかも、という方法と費用で改修し、住みやすくするエコリノベを建築家の協力のもと実施。床下と障子の断熱処理を行った。一緒に作って感動すると、部外者が当事者に変わる。20万ちょっと(=頑張ったら出せる範囲)でやれて、しかもちゃんと成果が出たので、ノウハウを公開した。

「素敵な場所」って
なぜ、あくまでここに照準を合わせるのか。
建築家、建築の社会的意義について疑問を持っていたとき、息子から「ママ、ホームレスの人におうち作ってあげたら?」と言われた。お金が出るところにしか作っていない、ということに気付いてショックを受けた。
田舎暮らしで、感度やモチベーションが高くなくても、不自由なことがあってもみんなで協力しあって暮らしている状況に触れた。ここは追い出されない場所なんだ、と安心感を覚えた。
「素敵なまちづくり」って、自分たちさえよければいい、にならないか?まちってそれをしてもいいのか?素敵じゃないものも一緒に抱えて行ける場所、が素敵な場所なのでは。努力したくないけど死にたくもない、という人も、しょうがないな、と一緒に引き上げて、一緒に生きていけて、お互い認め合って笑いあえることは、すごく健やかなこと。どこまで遠く、どこまで想像できるか、挑戦してみたい。

都市を否定するわけではないけれど、全然違うタイプの人間が、どっちも大事、という状態。ひとつに絞りたくない、という気持ちになる。
まちづくり系の人と話していると、自己責任論の話になるが、どうしても責任がとれない人もいっぱいいる。包括できればいいと思う。良い部分をどうやったら都市の中に引き入れていけるかが、最大の課題だと思っている。

二地域居住は、いまの社会の状況からみると、すごくやりにくい生活の仕方で、ボーダーレスな暮らしをしたくても、どうしてもどちらかを選ばなければいけない。もう少し制度が追いついてくれたらいいと思う。


モデレーターの芹沢の発言からは、二地域居住というライフスタイルを通して育まれる精神の健やかさ、についてを抜粋します:
いま、安全、安心ばかり言っていて、切り捨てや隔離が進んでいるような気がする。二地域居住のように、二つの世界を行き来してみていると、精神をまともに留める、ものすごくいい生活をしているのではないか。
もう現実は、特に若い世代は「男たるもの一国一城の主」といった一つの成功モデルとは違うライフスタイルにシフトしている。馬場さんの例も、これだけが成功モデルとしてイメージを固定するのではない方がよくて、思いこんでしまうと重荷になる。馬場さんは、欲望のままにやっていて、本当に楽しんでおられて、聞いていてうれしかった。好きなことをやればいい、と、背中を押されたような気がした。

田舎万歳!でも、スーパーウーマンのスペシャルな生活術、でもなく、きちんと地に足着けて、世界を見つめ、楽しみながら未来を考え、活動しておられる馬場さんのお話は、自分の生活や考え方を足元から考え直してみる、良い契機となりました。


未来のかけらラボvol.8 トークセッション「二地域居住から見えてくるもの」
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2015年12月16日(水)

未来のかけらラボvol.7 トークセッション「宇宙はどこまで見えたのか?」を開催しました。

今回お招きしたのは、天文学普及プロジェクト(天プラ)代表、東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム准教授の高梨直紘さんです。現代の天文学の知見を一枚に凝縮した「宇宙図」の制作など、天文学をベースに、知を俯瞰することを目指した、統合的な研究活動を行っている方です。

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なぜ天文学?
最初に、都会の夜景と天の川、2枚の写真を見せて、高梨さんがなぜ天文学に携わっているのかという動機について語ってくださいました。

この2枚の写真は非常に近しい感覚で眺めることができる。
都会の夜景には、街の光がたくさん写っている。灯りのついている窓には人の生活がある。一枚の写真のなかだけでも何十万人の人の人生が写りこんでいる。
天の川の正体は、天の川銀河と言われる星の大集団の断面図。私たちはその中に住んでいる。天の川銀河には、おおよそ1000億個ほど星がある。1000億個全部の星が見えているわけではないが、おおざっぱに言って1億個くらいの星が見えていてもおかしくない。
星の個性は重さでほとんど決まるが、太陽は比較的軽く、全体の2,3割くらいは似たような星がある、ありきたりな星。また、100個星があるとき、その7割くらいが惑星を持っていてもおかしくないと言われている。2,3000万くらい太陽みたいな星があって、その7割は惑星を持っているなら、すごい数の星が、この写真に写っている可能性がある。そう思うと、この1個1個写っている星の周りの惑星には私たちみたいな人たちが生活していると想像しても別に悪くない。そこにいろんな人生を想像することができる。それって結局夜景の写真と一緒。

宇宙に、この地球以外にも生命に満ち溢れている星があるのか?<我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか>は有名なゴーギャンの絵の題だが、天文学という方法を使いながら、この根源的な問いに答えてみたい、迫ってみたいという思いがモチベーションになっている。


「Mitaka」を使った宇宙俯瞰ツアー
地球から宇宙の果てまでを俯瞰して見ることができる4次元シミュレーションソフト「Mitaka」(詳細はこちら)を、高梨さんのガイドとともに見ていきました。会場を暗くして見るMitakaの映像の迫力に、来場者から歓声があがることもしばしば。大いに盛り上がりました。

最初は、ソフトを起動している時点のリアルタイムな星空。人間の目で見えるギリギリの明るさの6等星までを映し出している。6等星は4000個くらい。
数字を知っているといろいろ便利で、たとえば地球の大きさは直径1万3000キロ。国際宇宙ステーションは400キロメートルのあたりを飛んでいる。
最近、ニュースで宇宙のことが多く報道されるようになってきたが、それが「宇宙のどこの話をしているのか」が分かっていると「あのあたりの話ね」と頭の中で整理できるようになる。
Mitaka上でもスケールが表示される。天文学でよく使われる距離の単位は、「1天文単位」=太陽と地球の間の距離=1億5000万キロ。

どんどん地球から離れ、月、火星、木星、と進んでいく。海王星、冥王星あたりまでは30天文単位、40天文単位だが、実は太陽系は全然ここで終わりではなく、まだまだ内側の方。1万天文単位になると、太陽系から離れて星たちの世界へ。1000光年になると、天の川銀河が渦巻き模様で見える。
地球は銀河系の中心のところからかなり外れた、いわば田舎の方にある。
138億光年が、観測できる果て。この先は何も存在しない。現在、138億年前のある1点から宇宙が始まったということが分かっている。138億光年以上先は観測することができない。

ツアーを終えて会場を明るくすると、本当に一つ旅をしてきたような充実感でした。
ツアーにつながる内容の、会場で配布していただいた「宇宙図」についての話の後、モデレーターの芹沢とのトークセッションに移行し、伝えること、俯瞰する視点の重要性についてなどお話しいただきました。

宇宙図
Mitakaを見ながらしてきた話を一枚にまとめたのが「宇宙図」(詳細はこちら)。138億年を時間と空間に分けて俯瞰してみよう、というもの。縦軸が時間、横軸が空間になっている。小学生でもわかるように論理構成をシンプルにしてある。

「宇宙図」は美術家の小阪淳さんと一緒に作った。専門家は、方程式は詳しいけど、方程式から具体的なイメージを作れてはいなくて、図に起こしてみることに真面目に取り組んでみた人はこの何十年いない。

天文学は5000年の歴史がある。5000年間ずっと右肩上がりに発展してきたわけではなく、ある時期ぐっと伸びて、しばらく低調な時代があって、を繰り返している。一番伸びたのが2000年前のギリシャだが、実はここ20年くらいが一番ジャンプしてきている。たまたまこの時代に生まれて天文学に関わっている人はすごくラッキー。
昔は宇宙や星空を身近に感じる生活をしていたけれども、近年切り離されてしまった。
天文学の近年の発展はすごいけれど、普段の自分の生活とは関係ないと思ってしまう。それはもったいないことだなと。もう一度身近に戻して、日々の生活に根ざした宇宙観を再構築したい。
一般の人に伝えるには、まず「宇宙図」のようなものを作って全体像を把握したうえで、自分たちはここの部分をやっている、と言わないと伝わらない。
「宇宙図」を作っていて、構造化していくと、天文学だけでなく化学や生物学とのつながりを発見できたこともある。


すごさを伝える言葉
今、ハワイで巨大な望遠鏡が作られている。それが完成すると、惑星の表面にあるかもしれない大気の成分を調べられるようになる。もし大気の成分に酸素が含まれていたりすると、酸素は普通安定的に存在しないから、水分、(地球でいう)植物のような存在がないと説明できなくなる。
地球以外の宇宙に生物がいるのか、我々はこの宇宙で孤独な存在なのか、という議論自体は昔からなされていて、1600年代も、デカルト、カントも議論してきた。抽象的な議論としてはずっとあったが、具体的な惑星が見つかってきて、その上で議論できるようになってきたというのは、思想、哲学にも影響を及ぼす人類史の大転換期になってきているということ。すごい価値、意味があると信じている。

そんなすごいことが、一方でなかなか伝わっていない。そのすごさをどう言葉で表現していいのかわからないから。言葉がないというのは大きい。
見つかってきている概念を、どのように私たちが日常的に使っている言葉に落とし込むか。同じ分野の人同士で話すと、説明しなくてもなんとなく理解できてしまいがちだが、異分野の人と対話して初めて、それがあいまいな言葉だと気づくときがある。対話的な活動の重要性を感じている。すごさを上手く表現してくれる人をいまのうちに見つけて、一緒に楽しんでくれる人を増やしたい。

芹沢からはSETI(地球外知的生命探査)、ドレイクの方程式などのキーワードが挙がりました。

ドレイクの方程式という、アメリカの天文学者、フランク・ドレイクが考案した、宇宙にどのくらいの地球外生命が分布しているのかを推定する方程式がある。式の中の変数には、1年間に恒星が誕生する数や、ひとつの恒星が惑星系を持つ割合、技術文明の寿命などが入っていて、一つの分野だけでは解決できない式。これが全部導き出せれば、計算できる答えが出る可能性がある、ということがおもしろい。

高梨さんの言う、俯瞰の視点が必要とされているときに、実はドレイクの方程式やSETIみたいなものを探していくということは単なる知的好奇心というだけではなくて、すごく意味があることなのではないかと思う。

高梨さんからは、これまでのお話以上に、宗教、思想にまで壮大に広がる視点で締めくくっていただきました。

科学は、宗教と仲が悪いとよく言われるが、科学と宗教は根っこがまったく一緒で、兄弟みたいなものだと思う。
ガリレオ・ガリレイがやったことは、神がこの世界をどのように作ったかを知ることによって、神が何を考えていたかに迫ることができる、と、非常に宗教的な行為として科学をやっていた。一神教的な文化圏の中に科学をやっている人たちの目的はやっぱり、己の真理を知り、己の統一教祖たる神が何を考えているかを知るということ。これは、日本を含め多神教的な文化圏の人にはピンとこない考え方。だから多神教的な文化の人たちは、何のために科学をやるのかという目的をちゃんと作っていかないといけない。いま科学に絡んでいろいろな問題が起きているが、根っこを辿ると、日本人にとって科学とは何かが議論されないままだから。そういうところに哲学を作っていく可能性があるなら、天文学はなかなかいいところいっているのではないかと思う。


「宇宙」というキーワードの引力か、平日夜に行うことの多い「未来のかけらラボ」では珍しい、小中学生の参加が複数ありました。質疑応答では子どもからの質問も。このような場が、彼・彼女らが将来生み出すかもしれない新しい言葉を育むかけらになっていたらと思います。



未来のかけらラボvol.7 トークセッション「宇宙はどこまで見えたのか?」
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2015年6月27日(土)

未来のかけらラボvol.6 トークセッション「水俣からの新たな価値創造―甘夏ミカンから国産ネロリが生まれるまで」を開催しました。

今回お招きしたのは、熊本県水俣市で甘夏ミカンから抽出する国産ネロリの開発・製品化に尽力されている、ネローラ花香房の森田恵子さんです。
ディフューザーからのやさしい香りと、紅茶に甘夏ネロリを数滴たらしたフローラルティを楽しみながら、多岐にわたるお話をお聞きしました。

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ネロリ
ネロリはローズ、ジャスミンと並んで世界三大アロマの1つ。ビターオレンジの花から抽出され、甘いだけでなくバランスが良い香りで、パーフェクトなアロマと言われる。
紀元前から地中海地域の生活の中の一つの習慣として、傷薬、胃薬(海外で展示会などに出展すると「昨日飲み過ぎて胃の調子が悪いから、ネロリを飲ませて」と言ってくるアラブ系の人が必ず1,2人いるほど)、化粧水、儀式、お菓子など万能に活躍し、今も作られているもの。

甘夏ネロリは、甘夏ミカンの花を蒸留器にかけて作る。甘夏ミカンの花のネロリ成分はとても細かい分子のため、近年、健康への影響が問題になっている乳化剤(界面活性剤)がいらない、天然の化粧水を作ることができる。

甘夏ミカン
甘夏ミカンは日本の固有種。作りやすさ、花付きの良さが特徴。あまりにも実がなるので、実を取る人にとっては摘果が追い付かず大変なくらい。花摘みは摘果作業を少し減らすことになって、農家にとっては両得になっている。
むきやすくて甘い伊予柑やデコポンの登場によって、甘夏栽培が不振になってきたところに、甘夏ネロリ事業がぎりぎり間に合った!というところ。農家の+αの助けになっている。

水俣
水俣病があって、すばらしい海産物があったのに漁業は全面禁止になってしまった。代わりに、甘夏栽培が奨励された。当時の強い農薬をまいて育てたところ、体調を崩す人が出た。それではいけない、できなければできないでいい、悲劇を繰り返さないように、と無農薬で栽培し始めた。
水俣が無農薬で栽培していたことが、ここならひょっとしたらネロリを作れるのかな、と思ったきっかけになっている。


人工アロマの未知の危険性
アロマの世界はとても深い。化学合成されたアロマについては、未知の問題点が指摘されている。帝王切開すると羊水から柔軟剤の香りがする/香気成分が経皮吸収されて子宮に蓄積する/香気成分が情動、感情をつかさどる大脳辺縁系に直接脳に影響を与える? など。柔軟剤の警告表示も強い表現に変わってきている。

怖いのは、飲んで溜まるわけではなく、皮膚を通して溜まるということ。水俣病の例が思い返される。これからの未来をどう考えるか?甘夏ネロリの活動も、こういったことへの注意の喚起ができるようなものになればと思っている。

今後の展開
オーガニック志向が強くなってはいるが、国内の消費者志向が大きく変わったというまでではない。甘夏ネロリは、海外の方が「日本製」「オーガニック」「トレーサビリティ」の3つが強みになり、反応がある。反応を見ながら長く世界に流通できるものを目指したい。

剪定する葉や青みかんからの抽出にも取り組んでいる。これらが進んで、甘夏一本で一家を食べさせられて、Iターン希望者や後継者も出てくるくらい、魅力がある事業にできればというのが目標。
いま事業に共感して協力してくれているのは、60代くらいのシルバー世代の方々。どこもそうだと思うが、地方では彼らが若手。彼らが支えている。

オーガニックなものをもっと追究して、水俣から新しい分野ができるくらいになるといい。元々これをやるつもりではなく、たまたま甘夏ネロリを見つけて、その奥深さに出会い、私がやるしかない、伝えるしかない、と、えいやっと起業した。まさか私がこんなことをするとは。でも、せっかくだから、そこまでやって、未来に良いことがしたい。


過去の教訓から学び、未来のために、環境や健康に配慮しながら事業としても成り立つシステムを目指すこと。森田さんの明確なビジョンと、それを着実に形にしていく地道な行動力。またさらにそれを偶然のような必然が後押ししていること。具体的な取り組みを通してお聞きすると、とても興味深く、示唆に富むものでした。

最後に森田さんからは、KIITOも生活全体を見渡して、未来のあり方をいろいろな人たちと協働しながら、総合的に考え目指していける場だと思う。新しい未来のデザインを打ち出していくような場にしてほしい、とメッセージをいただきました。



未来のかけらラボvol.6 トークセッション「水俣からの新たな価値創造―甘夏ミカンから国産ネロリが生まれるまで」
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