お知らせ・レポート

神戸スタディーズ

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2017年1月に開催した神戸スタディーズ#5「神戸港からの眺め」の成果物として、各回講師による、レクチャー内容を改めてまとめた原稿を収録した冊子を制作しました。
モデレーターの芹沢によるテキストや、資料図版、開催時の記録写真も収録しました。


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冊子現物をご希望される方は、1階事務所までお気軽にお問い合わせください。


神戸スタディーズ#5「神戸港からの眺め」
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「神戸スタディーズ」の第5回目を開催しました。
今回は、2017年に神戸港開港150周年を迎えることにちなみ、「港」を、さらに、センターが活用する旧神戸生糸検査所の建物が、近代日本の生糸輸出業において重要な役割を果たしていたことから、「生糸」「絹」をキーワードとして、異なる知見を持つ3人の講師をお招きし、多角的な視点からお話を伺うことにしました。


2017年1月12日(木)
第1回「油彩画が物語る神戸港の歴史」


第1回は、元・神戸市立博物館の中村善則さんをお招きしました。在職中に神戸市立博物館に寄贈された1枚の油彩画と、制作にかかわった生糸輸出商や生糸貿易について調査をされたお話を伺いました。

中村さんは、もともと考古学が専門で、神戸市立博物館の準備室時代から、同館が所蔵する国宝の銅鐸の担当として入られたそうですが、この《神戸港眺望》が忠実かつ正確に往時の神戸港の様子を描き留めていたことに興味を持たれ、寄贈元のことや、神戸の生糸輸出の歴史などを調査することに。

絵画に描かれた神戸~台湾・基隆を結ぶ貨客船について、絵画の寄贈元である神戸生糸取引所に寄贈したと伝えられる会社・旭シルクの創業者で、神戸の生糸輸出業の立役者である小田萬蔵氏について、絵画の描かれた風景の範囲から、どの建物の何階から描かれたものかも見当をつけ、そのビルの5階には、旭シルクの事務所があった場所であったこと、66万人の入場者があったと記録されている、水上警察署や湊川公園を会場とした「日本絹業博覧会」について、調査した流れも含めて、スライドを交えて生き生きと語ってくださり、港易で活気づく神戸の姿が浮かび上がってきました。

ひとつのモノを起点に、さまざまな証拠や資料を集めて、モノの来歴やその時代の背景を読み解き明らかにしていく、まさに学芸員ならではの調査手法によるお話は、たいへん興味深いものでした。



2017年1月21日(土)
第2回「神戸 絹の道」



第2回は、神戸ファッション美術館の「神戸 絹の道」展の見学と合わせて、同展の共同企画者である眞田岳彦さんのお話を伺いました。
今回の神戸スタディーズは、「生糸」「絹」というテーマにお互い共鳴した神戸ファッション美術館と眞田さんとの企画連携を行いました。第2回目の開催日は「神戸 絹の道」展開催初日。神戸ファッション美術館でも同展のオープニングイベントとして位置付けていただき、共催で開催しました。

当日の開催内容は、多岐にわたる充実したものとなりました。眞田さんのこれまでの活動紹介からはじまり、「神戸 絹の道」展開催にあたって行った調査を、展示を巡りながら、同展の担当で、眞田さんとともに調査に携わった神戸ファッション美術館学芸員の次六尚子さんとともに解説していただきました。展示では、取材時の人々との交流や、見えてきた衣服文化、養蚕から摘み糸、織物、輸出まで、絹がたどる道が、とても丁寧に紹介されていますが、解説付きで分かりやすく見ることができました。
また、展示に資料提供された、養父の地域おこし協力隊の中島明日香さんからは養蚕の過程の解説や、第1回目の講師・中村善則さんからも資料収集にまつわるエピソードもお聞きできました。
後半の、モデレーターを務めたセンター長・芹沢高志との対話では、地域とアートの関係など、眞田さんの制作活動にもつながる大きなテーマでの話がなされました。


また、中盤では、KAVC x CAP x KIITO x F美の連携企画「Marching KOBE」のプレイベントでもある本企画を盛り上げようと、KAVC、KIITOのスタッフが出張し、参加者に養父の桑茶と桑ジャムのふるまいを行いました。おいしいドリンクとともに4館のイベント情報をお届けし、地域の施設をより楽しんでいただけるような機会を提供しました。



2017年1月26日(木)
第3回「神戸横浜 絹『もの』がたり」



第3回は、視点を広げて、横浜との比較、また、生糸だけでなく絹製品についてのお話を、横浜市が所蔵する輸出用スカーフ約12万点の調査研究に携わる山﨑稔惠さんからうかがいました。

元をたどると明治以前に輸出が始まっていたという日本のスカーフ「手巾(てはば、しゅきん)」。日本初の洋装絹織物ブランドを手掛けた横浜の貿易商・椎野正兵衛による、質の高い美しいハンカチーフから、絹手巾輸出好況となるにつれて市場は安く大量に製造する方向に走り、需要が衰退していくまでの流れを豊富な資料を交えて俯瞰していきました。また、当日は、S.SHOBEY SILK STOREの復刻版のスカーフと、粗製濫造時代の外国人受けの良さを狙ってデザインされたスカーフを持参いただき、その大きな違いに直接触れることができました。
多くの人が知るところですが、横浜が関東大震災により打撃を受けた直後に、絹物の輸出業も拠点を神戸に移し、神戸市立生糸検査所(KIITOの旧館にあたる建物)も大忙しであったようです。新聞資料などから見て取れる、神戸と横浜のせめぎあいの様子も紹介いただきました。


「港」「生糸」「絹」、いずれも大きなテーマで、簡単にとらえきれるものではないことを実感しつつ、各回それぞれの視点から、その深さの一端を知ることができました。引き続きさまざまな切り口から、それぞれのテーマについて掘り下げていきたいと思います。なお、本企画の内容をまとめた冊子を制作予定です。春には完成予定ですので、ぜひご覧ください。



神戸スタディーズ#5「神戸港からの眺め」
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2016年1~2月に開催した神戸スタディーズ#4「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」の成果物として、全3回の企画内容の軸とのなる講師の村上しほりさんによる論考を収録した冊子を制作しました。
論考に加え、当日スライドショーで紹介した図版やフィールドワークの記録などを収録し、充実した内容になっています。


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神戸スタディーズ#4「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」
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2016年2月13日(土)

神戸スタディーズ#4 「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」第3回トークセッション「過去から未来へ:まちの変わる契機(モメント)」を開催しました。

今回は、講師の村上しほりさんから、第1,2回の振り返りと補足をしつつまとめのレクチャー、最後に、モデレーターを務めるKIITOセンター長・芹沢高志とのトークセッションを行う回です。


モニュメント
第2回フィールドワークで注目した「モニュメント」について。
・神戸では、1960年代後半から大規模な彫刻展が開催され、積極的に「花と緑と彫刻のあるまちづくり」が推進されていたが、1998年に現代彫刻展は終了。
・主因としては、予算、公園における防災機能の優先化~各地の空地を復興用途で利用していく過程で、園内の彫刻がその場所にある必然性、メッセージ性が問われるようになったことなどが考えられる。
・1995年以降、各地に「震災モニュメント」が設置されるようになる。震災からモニュメントに対する認識の転換がおこったのか。

まちが変わる契機、災後の変化
神戸というまちの変化に影響したさまざまな出来事(戦災復興/三大水害/都心が東へ/山地を切り崩して臨海部の埋め立て地造成「山、海へ行く」/ニュータウン開発やポートピア81に向けた都市整備/震災/復興 など)を挙げ、その変化の契機について見ていきました。
・自然災害からの復興やその原因の克服は都市整備のモチベーションに。
・「復興」に際しては民間の力もたくましかったが、「官」が主体となって引っ張ってきた。それが復興のスピードを上げたともいえる。新しいことを、と走っているうちに、気がついたら過去が遠くなっていた、のではないか。なお、都市開発が急激に進む前には、民衆の間や人びとと行政との間のエネルギーのせめぎあいが目に見えて残っていた。過去の写真の建物の立ち方からも分かる。
・震災を契機として、集合的記憶の喪失というクライシスが実感された。
残し、伝えることの重要性の認識がなされ、そこから膨大な記録が生まれた(災後の記録だけでなく、災前の資料の救出・収集も)。

聞く力
トークセッションでは、集合的記憶を残す、という話をきっかけに、「聞く力」についての話になりました。

聞き取り調査などをするとき、人の記憶に比べ、この場所に何があったか、といった場所の記憶は、聞かないとなかなか自分からは出てこないのだそうです。その場所の建物が建て替わったりしてしまうとなおさら。また、資料なしに聞くと、事実と異なることが多いため、聞きたい時代についてあらかじめ調べておき、地図や写真などを準備した上で、さらに決して誘導はしないように気をつけながら質問を投げるのだそうです。
忘れたからといって、忘れたきりではなくて、何かが引き金になって思い出すこともある、とのこと。

思い出すきっかけの他に、語るきっかけについても言及されました。
歴史化されるタイミングとは何だろう。伝えたいと意識するのはどんな時なのか?
村上さんの調査のなかで「震災があったから、戦後のことを話す気になった」という人が複数いて、「戦後の振り返りのために商店街の資料を集めていたけれど、持ち出せなかった」という話もあったそうです。
95年はちょうど戦後50年の年。節目の年に、自分の振り返りをしようとした矢先に震災があった、ということが、喪失感をより大きなものにしたのではないか、と二人は考察します。


サラエボ・サバイバル・ガイド、発見された1958年の広島のスナップ
また、芹沢からは、これまでの3回を経て浮かんできたという『サラエボ・サバイバル・ガイド』、エマニュエル・リヴァの写真集についてなどが話されました。

・村上さんのお話や写真から、神戸の特徴を改めて感じた、これまでの神戸スタディーズで、兵庫津の方をまわるフィールドワークを行った時も感じたが、歴史的な遺構のようなものが、ずいぶん目立たなく、あっさりしているのが印象的だった。失ったものを再建するのではなく、次に進む、という考え方なのだろうか、びっくりするほど残っていない。
・サラエボの都市インフラが止まった時、TVプロデューサーのスアダ・カピッチが、ミシュランの都市ガイドの形式をまねて、『サラエボ・サバイバル・ガイド』という本を作った。カピッチは「ハード・ウェアは破壊されたが、ソフト・ウェアが生き延びた」と言っている。自分たちの文化的な記憶、昔ながらの野草を使った料理法、暖の取り方など、ものがなかったころのソフトをしたたかにユーモラスに再生していく。
・1958年のフランス映画『ヒロシマ・モナムール(邦題:二十四時間の情事)』に出演した女優のエマニュエル・リヴァが撮ったまちのスナップが、何十年後かに発見されて写真集になった。その写真が、人がさまざまなことを思い出すきっかけになったという話を聞いたことがある。写真が大きな引き金になっている。


今回も時間いっぱいまでトークセッションが続き、質疑応答の時間が短くなってしまいました。アンケートからも関心の高い参加者が多く、聞きたいことや話したいことがご自身にもある方が多かった企画だったことがうかがえましたので、今後機会があれば、参加者とのトークセッション中心の回を設けるなど、構成を検討したいと思います。

神戸スタディーズ#4は今回で終了です。これから本企画の内容をまとめた成果冊子を制作します。参加出来なかった方も楽しんで読めるような構成を検討していますので、ご期待ください。


神戸スタディーズ#4 「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」
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2016年2月6日(土)

神戸スタディーズ#4 「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」第2回フィールドワーク「商業のまち・復興のまち 三宮」を開催しました。

今回は、第1回の概論で学んだことを頭に置きつつ、実際に三宮を歩きながら、まちの中にあるしるし・痕跡を探して、都市計画やまちの変化を知る回です。

最初は、KIITOにて、講師の村上しほりさんからミニレクチャーです。これから歩くエリアの昔の写真をまとめた小冊子と、1995年2月に神戸大学建設学科調査班によって調査された被災度を色分けして示した地図、1936年制作の手書きの住宅地図も配られました。各種の資料をつきあわせながら、実際のまちを、下記のルートで歩いてきました。

KIITO
外に出る前にKIITOに残る痕跡(第1回レポート参照)も確認しました。
旧生糸検査所の建物は、戦後、GHQから1945年9月25日までに明け渡し命令が下り、横浜生糸検査所に続いて接収されたそうです。2,3,4階は、生糸輸出の復興促進が渇望されていたこともあり1946年に段階的に返還されていくものの、1階の大部分は室内遊技場として使用され、1952年5月に講和条約が発効されるまで返還されなかったとか。


みなとのもり公園
JR貨物神戸港駅の跡地。駅は2003年まで存在していましたが、震災復興事業の一環として、神戸震災復興記念公園となりました。防災設備が整備されているほか、「ニュースポーツ広場」という、スケートボード、インラインスケート、BMX用施設があって、多くの人で賑わっています。神戸港駅時代のレール一部、時計、安全の鐘をモニュメント化して残しており、駅であった時の記憶も留めています。

東遊園地
1868年に外国人居留遊園として開園した場所。さまざまなモニュメントが設置されています。4グループに分かれて、それぞれにiPadを渡して、見つけたモニュメントの写真を撮ってもらいました。
「慰霊と復興のモニュメント」は誰もが知るところですが、改めて探してみると、知らなかったモニュメントがたくさんありました。「ボウリング発祥の地」「神戸復興都市区画整理事業」「水道給水開始30年」「モラエス翁像」「没後200年記念モーツァルト像」「日本近代洋服発祥の地顕彰彫刻」「日本マラソン発祥の地」「加納宗七の像」「命の灯台」ほか、震災による地盤沈下の保存、ブリスベンから贈られた銘板、(三木瀧蔵氏が神戸生糸取引所理事長退任時に寄贈した)噴水、震災復興の願いを込めイタリアのオリーブ協会会長から寄贈されたオリーブの記念樹、等々。


神戸市庁舎展望ロビー
24階の展望ロビーから、今の三宮のまちの眺望を、1960年、1995年といった年に撮られた戦後、災後の写真と見比べました。


三宮駅前~三宮センター街~センタープラザ
駅前は闇市がずらりと並んでいた写真と比べると大きな変化です。そごうは、震災時は新館と旧館をつなぐところが完全に崩れ落ち、大きな被害を受けたそうです。センター街は、戦後焼け野原の中から闇市が出来て、それに対抗するようなかたちで出来たものだそう。当時は土の道で、よしずを張って日を避けてアーケードのようにしている写真があります。
センタープラザ西館の場所にあった公設三宮市場が、再開発時に地下におさめられたというエリアも通りました。


生田筋~東門街~三角マーケット~ムスリムモスク
1965年に台風で東門街のアーチが倒壊して危ない状態になっている写真と見比べました。東門街をしばらく上がってから東側へ入った路地に「三角マーケット」があります。1935年ごろにできた市場とのこと。設立当時も北野や山本通には外国人が多く住み、彼ら向けの商品も多く扱われていたそうです。戦中には全焼、戦後に再建。のちにテナントビルになり市場の店舗も入りつつ営業が続けられましたが、震災でビルが全壊した後の建て直し期間に店舗が離れていき、今は数少ない店舗が営業するのみのようです。
ムスリムモスクは1935年に建てられた日本初のモスク。戦災にも震災にも耐えたそうです。今回は外から見学するのみでしたが、個人での見学は自由にできるようです。


C.A.P.
坂を上がっていくと、旧移住休養所だった建物が、海外移住と文化の交流センターとして活用されている場所があります。館内でさまざまなアートプロジェクトを運営するC.A.P.(芸術と計画会議)の事務所前のラウンジ的なスペースをお借りして、休憩しつつ、東遊園地で撮影した写真をみんなで見て、感想を共有しました。
撮影するものは重なっていても、そこで感じたことやめぐらせた想像がそれぞれ異なり、視点が広がります。
モニュメントの中には「5:46」で止まった時計も止めた時計もある、痕跡が「ない」ことを感じられるか、といったそれだけで掘り下げてみたいトピックも出てきました。また、国際マーケットがあった駅東側、阪高橋脚など、ほかにも足を向けたいところはありましたが、今回はここまでで終了としました。新開地など他のエリアも回ってみたい、という参加者の声もありましたので、次の機会への期待も残しつつ、次回はトークセッションです。


神戸スタディーズ#4 「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」
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2016年1月27日(水)

神戸スタディーズ#4 「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」第1回目レクチャー「概論:近現代神戸 都市(まち)のなりたち・人びとのくらし」を開催しました。

「神戸スタディーズ」は、さまざまに語られる神戸というまちのイメージをあらためて考えるため、多様な専門分野の方を講師に迎え、これまでなかった視点で神戸を見る「神戸学」をつくる試みです。デザインセンターではなかなか扱われることのない、地形、地質、社会学などの視点から、自分たちの足元の土地を見つめることで、デザインやアートを考えるための土台にしていこうというものです。
レクチャー、フィールドワーク、トークセッションの全3回で構成する今回は、近現代神戸の都市史を専門とする、研究者の村上しほりさんをお招きして、まちの痕跡や人びとのつながりを手がかりに、神戸を解(ほぐ)してみます。


第1回は概論です。村上さんが8ページにわたる詳細なレジュメを用意して配布してくださいました。そもそも都市史って何?というところからはじまり、レジュメと、豊富な資料画像のスライドとともに、近現代神戸を丁寧に概観していきました。

レジュメは、今回の神戸スタディーズのタイトルに含まれる「せめぎあい」を連想させ、都市史のおもしろみに引き込まれるテキストから始まっていました。

―「都市」とは多様な人びとの居住の場である。その変化は激しく、あっという間に更新されて、気が付いた時には前の姿を思い出せないこともある。さまざまな人びとが集まり暮らすということは、新たな交流が芽生えたり、各人の利害が衝突したりする可能性を抱えている。― (レジュメより)


レジュメとレクチャー内容からいくつかピックアップします。

「神戸イメージ」・・・戦後から現在までの観光案内や、神戸を語ったエッセイを参照し、記述されるさまざまな「神戸」を見ていきました。観光案内には「国際的な観光都市」「オシャレで異国情緒あふれる」、1965年の陳舜臣のエッセイには、駅前に密集する木造家屋やバラック飲食街が描かれています。

「戦後、災後のまち」・・・村上さんが特に研究されている闇市については、とりわけ時間が割かれました。
その発生と変容、報道のされ方、語られ方(社会政策学者か、社会学者か、ジャーナリストか。批判的な見方と評価する見方で対照的。誰の目線で描かれるかによって異なる印象を与える)。村上さんは戦後1945年~50年の神戸新聞地方面を通読して復興の推移を調べたそうです。合わせて居酒屋、飲食店の推移についても見ていきました。

「進駐軍と神戸のまち」・・・なかなか語られることのない、戦後、進駐軍が占領していた時期についても丁寧に調査されています。
イースト・キャンプの敷地確保のために、葺合区の対象地域に居住する132戸のバラック生活者が、1週間で立ち退きを要求されたことがあるそうです。

接収時のKIITO(旧生糸検査所)についても興味深い資料を示してくださいました。
この建物は、1階は室内運動場としてバスケットボール、バレーボール、テニスなどの設備があり、読書室、音楽・映画も楽しまれていたそうです。「レッド・クロス」という喫茶スペースがあり、セルフサービス式で、無料でコーヒーやドーナツが楽しめたとか。1945年10月28日の神戸新聞地方面で6分の1ほどのスペースで写真付きで紹介されていました。
1階の地下へ延びる階段(現在は埋められている)の梁には、かなり薄くなっていますが「OFF LIMIT」「SPECIAL SERVICE OFFICER」というサインが残っています。(来館時に探してみてください!)


近現代の神戸の歴史というと、広く関心を集めるテーマなのか、参加申込も多く、当初の定員よりも多くの人数を受け入れました。
お馴染みと思われるテーマであっても、なかなか目を向けられることのなかった、占領期や闇市についてを村上さんならではの丁寧なリサーチにもとづき見ていく時間はとても興味深いものでした。開催後の来場者アンケートでも、「知らなかったことを知ることができた」「見た事のない資料や情報が見られておもしろかった」といった感想が複数見られました。

モデレーターを務めたセンター長の芹沢高志からは、最後に村上さんのレクチャーの中で出てきた「港にはいいものも悪いものも入ってくる」、「闇市は誰の目線で描かれるかで異なる印象を与える」といった印象的な言葉を取り上げ、神戸にはイメージの中で作り上げられた一元化した極端な像がある、過度に思い込むことで偏った見方が出てくるが、そういうところを村上さんのような若い研究者が冷静な視点で見ているというのがおもしろい、とコメントが。今回はレクチャーに比重を置いたので、二人のトークセッションは第3回の楽しみにして、この次の第2回は、三宮を対象にしたフィールドワークを行います。



神戸スタディーズ#4 「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」
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2014年1月12日(日)

シリーズ3回目の今回は、都市社会学者の山田創平さんを講師に迎え、普段目に見えている神戸の都市や建築の表層だけではなく、神戸とその周辺、大阪湾や播磨灘、淡路島を起点に、より広い視野で空間的特性を見直すレクチャーを開催しました。

文化人類学の領域では、陸上における地理的特性や文化が主に着目されてきましたが、山田さんはその一方向的な見方に疑問を呈し、海・川といった水の観点から、兵庫県や淡路島に視野を広げて神戸を見直しました。
日本海・若狭湾に流れ出る由良川と、瀬戸内海・播磨灘に流れ出る加古川は「水分かれ(みわかれ)」と呼ばれる山嶺の分水界を挟んで繋がっています。比較的容易に日本海と瀬戸内海を往来することができ、この回廊沿いには海と山の文化の混在が見られます。水は水平のイメージが持たれがちですが、当地の水の文化は、海から山上に至り、再び海に戻るという垂直の空間性を持っていることが紹介されました。

 
 

2012年度より開催してきた「神戸スタディーズ」シリーズを通して、微視的・巨視的視点を行き来しながら、神戸の地理的・空間的・歴史的特性について継続的に探求してきました。これまでの講座をもとにし、「神戸スタディーズ 時間と空間を横断しながら、足元を見つめる」として一冊の報告冊子にまとめましたので、ぜひご覧ください。詳しくはこちら

「神戸スタディーズ#3 レクチャー 垂直の空間性からみる神戸」
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2012年度より開催してきた「神戸スタディーズ」の講座内容をもとにし、冊子「神戸スタディーズ 時間と空間を横断しながら、足元を見つめる」を発行いたしました。
PDFデータをこちらよりご覧いただけます。
冊子現物をご希望される方は、1階事務所までお気軽にお問い合わせください。

2013年11月10日 (日) 第4回 フィールドワーク


連続レクチャーの総まとめとして、旧兵庫津エリアのフィールドワークを行いました。兵庫津は、注意深く観察しながら歩いてみると、中世の町の痕跡、また近世の町並みや人々の生活が想起される神社や史跡が多く残されているエリアです。講師の松田さんのナビゲートのもと、対象地を巡っていきました。

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兵庫大仏

普段は正面からしか見る機会のない能福寺の兵庫大仏。斜め後ろに回って見てみると、前景のモダンな建物と絶妙にマッチするポイントを見つけました。能福寺は清盛の福原遷都計画時に平家の祈願寺となり、清盛も得度したという古い由緒を伝えるお寺です。

 

船大工町
中央卸売市場の北東向かいに位置しています。船大工町の町名は元禄9年(1696)の絵図にも同じ場所に確認できます。当時は兵庫津の船入に面する町でした。現在は兵庫運河(新川)の最北部分に面しており、運河の静かな水面には個人所有の小型船がびっしりと浮かんでいます。今も間口の狭い民家が建ち並び、近世以来の地割を伝えていることが想像されます。

 

竹尾稲荷神社

西出町にあります。蝦夷地の開発などを通じて兵庫津の繁栄に大きな貢献を果たした江戸時代後期の海商、高田屋嘉兵衛(1769-1827)。その功績を讃える記念碑があります。高田屋嘉兵衛の本宅はこの神社の門前にありました。文化10年(1813)の年号が入った花崗岩製の灯籠などを見付けることができます。文化文政年間の兵庫津の地形を描いた案内図もあり、今はない大きな入江、「佐比江」も描かれています。小さな境内ですが、兵庫の歴史を知る情報が詰まっています。

 

町家
伝統的な町家が数軒残っている東出町に来ました。一つ目に見た家屋はかなり保存状態が良く、大切に残されてきたもののようです。屋根上に突き出した「うだつ」が見られます。また、同じ通りに残る別の町家には、日本酒の銘柄「灘泉」の看板がありました。東出町にはこのように間口の小さい建物が並んでおり、船大工町と同様に近世以来の地割を伝えているのではないかと想像されました。

 

湊川跡
さらに北東に進むと旧湊川に当たります。旧湊川の川筋にあたる通りの標高が最も高く、そこを軸として周辺へ下がる扇形の地形となっています。湊川が作り出したこの微地形(非常に小規模な地形の変化)に添って、西出町・東出町などの町並みが形成されています。微地形と街区の関係を観察しながら歩きました。

 

松尾稲荷神社
拝殿にたくさん吊られている奉納提灯が印象的な松尾稲荷神社。この神社が位置する場所は周囲に比べてさらに高くなっています。わずかな高地を利用するためか、境内の密度がとても高く、独特の雰囲気です。
20世紀の初めにアメリカで誕生した神様で、明治末以降日本でも流行した神様「ビリケンさん」でも有名で、大正初期のビリケン像が祀られています。日本に現存するビリケンの中で最古級とか。これに因んで、世界のいろいろなビリケンさんの写真も壁一面に貼られています。

 

稲荷市場

旧湊川に沿うようにして形成されている稲荷市場。小さな間口の木造民家が密集し、狭い路地が張り巡らされています。

 

猿田彦神社(佐比江神社)

かつて佐比江の地には海が湾入しており、その周囲に遊廓が栄えていたとのこと。佐比江の遊女らは当時白川にあった山伏山神社(祭神猿田彦命)を信仰しており、毎月大勢連れだって参詣し、その信仰があまりにも深いため、後に猿田彦命の分霊を佐比江に勧請したのがこの神社だそうです。

 

鎮守稲荷神社

「ちぢみさん」の愛称で親しまれている西出町の稲荷で、境内には高田屋嘉兵衛が奉納した燈篭が見られます。灯籠の裏側には、文政7年(1824)の年号と「高田屋」の銘が確認できます。またここも竹尾稲荷神社と並んで、古いビリケンさんが祀られていることでも有名です。

 

七宮神社
平清盛が大輪田泊を造営するときに建立したと伝わる、古い由緒の神社です。かつては、佐比江に湾入する海が七宮神社の北に迫るところまで来ていたそうです。今ではその場所は広い車道となっており、海の気配はまったく感じられませんが、七宮神社にすぐ迫る海を想像すると、時空の旅をしている気持ちになります。

 

兵庫津歴史館・岡方倶楽部
近世兵庫津の社会集団のひとつ、「岡方」の惣会所跡です。「徳川時代兵庫津の行政機構は全域を三分し岡方、南濱、北濱とした。これを三方(みかた)と称し、大坂町奉行支配であつた。三方にはそれぞれ惣會所があり名主が惣代や年寄などを指揮して行政をおこなつていた」と碑にあります。
その後昭和2年、会所の跡地に兵庫商人の社交場としてこの建物が建造されました。モダンな近代建築です。岡方の歴史を継承するため、「岡方倶楽部」が設立されたとのこと。江戸時代から続く商家のご主人にも出会いました。現在建物内では、兵庫津の歴史についてのパネル展示を見ることができます。

 

大輪田泊石椋(おおわだのとまりいわくら)
昭和27年の新川浚渫工事の際に発見された大きな石が、船大工町の対岸に展示されています。案内板には、「この花崗岩の巨石は、(・・・)古代大輪田泊の石椋の石材であったと推定されます。石椋とは、石を積み上げた防波堤(波消し)や突堤の基礎などの港湾施設であったと考えられます。その構造は出土状況から、港の入口にこのような巨石を3~4段程度積上げ、松杭で補強し、堤を構築していたものと推定されます」とあります。

以上のように、松田さんのナビゲートのもと兵庫津エリアを歩くと、中世から近世にかけての地形やまち作り、人々の社会生活が生き生きと想像できる場所にいくつも出会うことができました。空間だけでなく時間をも行き来している気持ちになり、神戸の新たな見方を知るフィールドワークとなりました。

「神戸スタディーズ#2 地-質からみる神戸」
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8/3(土) 第3回 レクチャー 水際からみる神戸:氾濫原・埋立地 都市の低地性


 

第3回レクチャーでは、松田さんがこれまでフィールドワークをされてきた低地の町や水際における居住についての紹介、近世〜近代兵庫の空間と社会に関する解説、そして次回に控えたフィールドワークのイントロダクションをしていただきました。

・近世港町の空間構成の特徴
・講師が歩いた低地・水際の町:オランダフリースラント州、仙台平野、新潟平野
・近世兵庫津の空間と社会:生簀、遊女屋、北前船の交易で活躍した有力商人のことなど
・近代兵庫の空間と社会:和田岬を貫通する運河の建設、兵庫津から神戸港への移り変わり、労働者組織のことなど
・次回フィールドワーク対象地の紹介

次回はいよいよ現地フィールドワークです。旧兵庫津エリアに残る中近世の町並みの痕跡や、兵庫の空間と社会を理解するための重要な史跡、低地の微地形に対応して形成されている町並みなどを、松田さんにナビゲートしていただきながら巡る予定です。

「神戸スタディーズ#2 地-質からみる神戸」
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