2019/5/2
イベントレポート
去る3月13日(水)に、「+クリエイティブ公開リサーチゼミ Vol.2「人口減少時代の豊かな暮らしを神戸でデザインする」」の第4回目を開催いたしました。今回は、東京理科大学理工学部建築学科教授の伊藤香織さん(建築)を招いて、「まちの未来を創造するのは誰か?」というテーマでお話しいただきました。
前回の曽我部昌史さんのお話では、アートプロジェクトやリノベーションに関わった事例が紹介されましたが、いかにして地域、および住民から、身近な街に関わる動きが出てくるのか? といった課題も現れていたように思います。今回の伊藤さんのお話は、「シビック・プライド」を軸にして、住民が街に関わるだけでなく、住民の活動を通じて、地域の特徴が際立ったり、外へ発信されたりする過程を垣間見るものとなりました。
現代は、社会の変化が広範囲で大規模に起こる時代でもあります。人やモノ、お金の流れは外部や隙間がないかのように地球全体を覆うものになっていますし、それに応じて、人びとの生活も変化にさらされています。特に集中的に人やモノ、お金が集まる拠点である「グローバルシティ」が登場し、周りの都市をどんどん飲み込みつつ拡大し、同時に特定の都市に機能が集中していきます。その一方で、「人口減少」という状況も現れていると考えることができるでしょう。
そのような状況で、自らの近隣、あるいは地域でどのように生きていくのかが課題になっています。こういう問題があるから、という対処療法的ではなく、積極的に関与する、課題を自分で考える、そうした地域への関わり方を模索するカギとして「シビック・プライド」はあります。
「シビック・プライド」は「郷土愛」と似ている点もありますが、なにより、当事者意識を持って、自分のこととして、よりよい場所にするために関与する、という点が重要になります。その地域に自分を重ね合わせられるか、自分の身の置き場所があるか、そこがスタート地点です。自ら地域に身を投じることで、動機を得て、ひらめき、そこから恩恵を得て、また地域へのモチベーションの高揚に還元されていく。問題だからどうにかしようではなく、自分のことだし、やるのが楽しい、だから新たなインスピレーションも生まれる。「シビック・プライド」は、まずそれありきではなく、活動しているうちに発生するものでもあるわけです。
「シビック・プライド」の起点は19世紀、産業革命を経て商工業が発展し、急速に勃興、拡大した都市に求められます。そこには、貴族に代わって、新たに「中産階級(≒ブルジョア)」が登場し、彼らが「市民社会」を形成する原動力となります。都市に地歩を占めた中産階級は、新たな都市づくりを支えることを社会的ミッションと捉え、積極的に、都市に関与し、投資を行います。「貴族的公共性」から「ブルジョア的公共性」へ。都市における「市民社会」は、多くの人に開かれた公共建築、文化施設へと結実することになります。都市の中に初めて、市民向けの空間、「公共空間」が登場したわけです。「社会的地位」を問われない「開放的」な空間。これが同時に「市民社会」のシンボルなり、年月を経て、「シビック・プライド」の受け皿として捉えられるようになります。市民が積極的に関与する、自分の場所と捉える、その拠り所となったと言えるでしょう。現代において、19世紀の市民社会のいとなみが再評価されているわけです。
日本でも、1960年代から70年代にかけて、各地の地方自治体で「市民参加」が盛んに喧伝されるようになります。個人の生活条件の向上への関心が高まり、公共的なインフラの整備が都市にとって不可欠なものとされる中で、都市の整備や管理を「市民参加」へ開こうという動きも現れました。前回の曽我部さんのお話の中で、横浜のアートプロジェクトの前史として、60年代から70年台にかけて横浜市企画調整局長を務めた田村明が「アーバンデザイン」の考え方を導入し、都市のインフラ整備(6大事業)を行っていったことが話題にのぼりましたが、彼自身もその過程で「市民参加」を重要視し、インフラ整備後には「まちづくり」をテーマに掲げていくことになります。摩天楼の遥か上空、あるいは、きらびやかな夜景や荘厳な工場萌えといったスペクタクルとして表象の彼方に去りつつある都市を、身近に引き寄せられないか、というのことが、現代の「市民社会」の課題であったのかもしれません。
「コミュニティ」が人と人どうしで完結したつながりで形成されるのに対して、「シビック・プライド」は、人と街がつながり、街を介して人がつながり、さらにそこから人がつながる、という点で考え方が異なります。19世紀的な公共空間を、街レベルに落とし込むものと捉えられるのではないでしょうか。そこでは、「街」と「私」の関係を築く、シンボリックな建物だけでなく、接点や機会を設けることに重点が置かれます。人が多く関わり、共同作業で、街に何かができる、何かが起こるというわけです。
伊藤さんから、いくつか、国内外の事例が紹介されました。
普段入ることのできない建物が一般公開される「オープンハウスロンドン」や「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪」では、街について、あるいは身近な面白い場所、建築について知る機会が設けられるとともに、オーナーと市民とが交流する中で、オーナーが建物の新たな価値に気づいたり、市民が面白さを発見したりして、双方が街へと意識が向き、街を作るアクターへと変化していきます。
ドイツのハンブルクの「ハーフェンシティ・インフォセンター・ケッセルハウス」やベルリンの「インフォトロッペ」では、再開発地域に展望台や見学施設が設けられ、都市が変わっていく過程そのものが舞台に上がっています。街が変化していく過程が見えるのともに、新しい街が徐々に街なじんでいく、市民に近づいていくという仕掛けが備えられているわけです。これからどうなるか、どう関わるか、それを市民自身が意識する舞台でもあります。
また、佐賀の「わいわいコンテナプロジェクト」では、身近にある手の届く範囲のものを街の資源とし、共同作業を通じて、関わるきっかけをつくり、そこで何かをしてみようというモチベーションを高める工夫がなされています。同じく、街が何らかの資源になるという点では、イギリスの「インクレディブル・エディブル・トッドモーデン」も特徴的な試みです。街中のそこら中に食べられる植物が植えられているというもので、都市のスクウォット運動の手法の1つとして行われていた「アヴァン・ガーデニング」を街全体でやっているという印象すら受けます。壁にはレシピも貼ってあるそうで、食育、地産地消が身近に行われているとも言えますし、街への意識を変えるにとどまらず、人びとの街に対する動きに大きな変化をもたらす試みでもあります。
「コンパクトシティ」として知られる富山では、JRの富山港線をLRT(路面電車化)しました。そのLRT「ポートラム」では、その車両を編成ごとにそれぞれ塗り分けして、キャラクターを与えるような形で、市民に親しまれるきっかけを作ろうとしています。また、停留所もそのエリアを表現する、場所に応じたモチーフを用いるものなっており、地元の企業からも支援を受けているとのことです。
市民の水辺を綺麗にしようというかつどうから始まった静岡県三島市の「街中がせせらぎ事業」では、水質改善と同時に、水辺に応じた回遊性の強化を試みました。水に近づける機会を多くし、生活に密着し、街の文化生活スタイルに組み込まれていて、活用されることで、その街らしさが際立つものとなっています。公園のように、市民が水辺に居場所を求めているわけです。
また、香川県高松市郊外の「仏生山温泉」の試みは、自分が思っていること、構想していることを実際に街に体現していくという点が特徴的なものです。温泉の登場をきっかけに、「まちぐるみ旅館」という動きが始まります。各施設や住民が連携して、色々な店や施設でき始めて、街を徐々に旅館化していく。街を通っていて、何かニヤニヤしてしまう、楽しくなる……、せっかく住むなら好きな場所にしよう、というのが「仏生山温泉」モチベーションになっています。
上記のいくつかには実際に足を運んだことがある方も多いことでしょう。市民の活動から始まったり、自治体の事業として始まったりと、活動のきっかけや運営主体、規模、進め方は異なるものですが、いずれにしても、上から「課題」や「問題」が降りてくるというよりも、市民自身が街の身近なところに触れ始め、そこに関与し始める、あるいは、関わるきっかけやチャンネルを設ける、オープンにする、市民が自分で街を作り、体現する、というスタンスが重要視されている点は、いずれも共通しているではないでしょうか。
街に触れることができない、関われる余地がないと思えるような状況の中でも、こんな街にならないか可能性を考える、街をきっかけに住民どうしがつながり、その関係を共有する、一緒に街を楽しむ、街の中に自分が重要なアクターとして現れることできる──今回は、そういった希望を持つことができたのではないでしょうか。
次回は、秋田公立美術大学教授の藤浩志さんを招いて、「つくることに縛られないつくりかた」というテーマでお話しいただきます。
+クリエイティブ公開リサーチゼミ Vol.2 「人口減少時代の豊かな暮らしを神戸でデザインする」の概要はこちら。