2021/4/15
イベントレポート
3月3日(水)
「KIITOサポーター限定スペシャルトークセッション」の第3弾を開催しました。本企画は、新型コロナウイルス感染拡大の影響でイベントが減り、サポーターのみなさんとKIITOの関わりが少なくなってしまったことを受け、この機会にKIITOへの理解をより深めてもらおうとゆかりのある人物をゲストに招き、オンライントークを開催する、というものです。
今回は「使い継ぐ古家具~検査所時代の家具修理日誌~」と題して、家具修理を担当した家具デザイナー・山極博史さん(うたたね) と一緒に、実際に家具を直している作業中の写真を見ながら、家具が歩んできた歴史を覗いてみます。
ところで、「直す」というと「修理」「修繕」「修復」と似たような言葉がいくつか浮かぶと思いますが、これらの意味の違いをご存知でしょうか。修理・修繕については、これからも実用的に使っていくことを目的として直すこと。一方、修復は昔と同じ状態に戻すことを目的とするため、無くなったパーツがあれば同じものを探してきてあてがわないといけません。美術工芸品によく使われる言葉でもあります。今回は、これからもKIITOで家具を“使い継いで”いくためのメンテナンスという位置づけで、「修理」をしていただきました。
今回修理した家具は10点。使われている素材の種類や状態から、どの時代につくられたものかがだいたい推測できるという山極さんは、「どれも90年くらい経っているが、比較的状態が良いものが多かった」と話します。検査所時代に毎日使用していたことや、年数を重ねることによって木が痩せた(縮んだ)影響で、特に机などで全体的にぐらついているものは一度すべて解体して組み直しました。鏡がはまっている家具からは、解体すると緩衝材として裏に挟み込まれていた当時の新聞が出てくるなど、思わぬ発見もありました。フックに掛けたカバンやコートがあたった際についたであろう擦れた跡や、作業場で実際に机を使っていた職員の方のものらしき手の跡など、外見だけでも当時の様子が垣間見えます。机の脚にパーツを増やしたり途中で補強された形跡からは、使う人に合わせてアレンジを重ねてきた家具ひとつひとつの個性も見られました。
ちなみに、通常扉がついたキャビネットなどの家具は経年による木材の形状変化を見越して“あそび”(すきま)を設けてつくられるようなのですが、今回修理した家具にはほとんどその形跡がなく、山極さん曰くだいぶ“攻めた”つくりなのだとか。多少扉の開け閉めがぎこちなくなっているものもありましたが、約90年経った現在でも動かせることから、当時の職人の技術の高さがうかがえます。電動ドリルが普及しておらずネジをすべて手動で締める必要もあったため、家具づくりの良し悪しは職人の技量によるところも大きかったのではないか、と山極さんは推測していました。
トーク中は、参加者から質問が挙がる場面も。
「日本に洋式家具が入ってきて以降、家具づくりがさかんな黄金時代のような時期はあったのか?」という質問に対しては、「人々の暮らしに直結する家具は、床に座る生活から椅子に座る生活に変化するとともにその需要も高まったため、ちょうどこの家具が作られた頃が黄金時代だったのではないか」と答えた山極さん。神戸港開港で輸入がさかんだったことはもちろんですが、国産材昭和前半に輸出もしていたようなので、日本でも良い木材が採れていたようです。
また、木の見分け方や品質についての質問には、次のようにお答えいただきました。
「ある程度は木目でわかるし、塗装してあってわからないものは解体して中を見ると特徴で判別ができます。木は汚れていても1ミリくらい削れば新品の状態に戻せますよ。虫に食われたり腐ってしまうと繊維がぼろぼろになってしまうので再生が難しいですが、法隆寺は木造で1000年も保っているので、状態さえ良ければ使えます」
山極さんは、お仕事の中で、古いものを直すことも新しいものをつくり出すという両方を経験しているおかげで推測力が養われたのかもしれない、と言います。
生糸検査所時代の家具の歴史には、今回の修理を経て、これからまた新しいページが加わっていくことでしょう。
◎山極さんに修理していただいた家具は「KIITO NEWSLETTER 032」でも紹介しています。PDF版はこちら。
◎今回ご登壇いただいた山極さんをはじめ、神戸家具にまつわるゲストをお招きしたトークイベントを企画中です。こちらはどなたでもご参加いただけますので、詳細が決まり次第KIITOウェブサイト内にてご案内します。どうぞお楽しみに!
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