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2016/1/6

イベントレポート

未来のかけらラボvol.7 トークセッション「宇宙はどこまで見えたのか?」 レポート

2015年12月16日(水)

未来のかけらラボvol.7 トークセッション「宇宙はどこまで見えたのか?」を開催しました。

今回お招きしたのは、天文学普及プロジェクト(天プラ)代表、東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム准教授の高梨直紘さんです。現代の天文学の知見を一枚に凝縮した「宇宙図」の制作など、天文学をベースに、知を俯瞰することを目指した、統合的な研究活動を行っている方です。

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なぜ天文学?
最初に、都会の夜景と天の川、2枚の写真を見せて、高梨さんがなぜ天文学に携わっているのかという動機について語ってくださいました。

この2枚の写真は非常に近しい感覚で眺めることができる。
都会の夜景には、街の光がたくさん写っている。灯りのついている窓には人の生活がある。一枚の写真のなかだけでも何十万人の人の人生が写りこんでいる。
天の川の正体は、天の川銀河と言われる星の大集団の断面図。私たちはその中に住んでいる。天の川銀河には、おおよそ1000億個ほど星がある。1000億個全部の星が見えているわけではないが、おおざっぱに言って1億個くらいの星が見えていてもおかしくない。
星の個性は重さでほとんど決まるが、太陽は比較的軽く、全体の2,3割くらいは似たような星がある、ありきたりな星。また、100個星があるとき、その7割くらいが惑星を持っていてもおかしくないと言われている。2,3000万くらい太陽みたいな星があって、その7割は惑星を持っているなら、すごい数の星が、この写真に写っている可能性がある。そう思うと、この1個1個写っている星の周りの惑星には私たちみたいな人たちが生活していると想像しても別に悪くない。そこにいろんな人生を想像することができる。それって結局夜景の写真と一緒。

宇宙に、この地球以外にも生命に満ち溢れている星があるのか?<我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか>は有名なゴーギャンの絵の題だが、天文学という方法を使いながら、この根源的な問いに答えてみたい、迫ってみたいという思いがモチベーションになっている。

「Mitaka」を使った宇宙俯瞰ツアー
地球から宇宙の果てまでを俯瞰して見ることができる4次元シミュレーションソフト「Mitaka」(詳細はこちら)を、高梨さんのガイドとともに見ていきました。会場を暗くして見るMitakaの映像の迫力に、来場者から歓声があがることもしばしば。大いに盛り上がりました。

最初は、ソフトを起動している時点のリアルタイムな星空。人間の目で見えるギリギリの明るさの6等星までを映し出している。6等星は4000個くらい。
数字を知っているといろいろ便利で、たとえば地球の大きさは直径1万3000キロ。国際宇宙ステーションは400キロメートルのあたりを飛んでいる。
最近、ニュースで宇宙のことが多く報道されるようになってきたが、それが「宇宙のどこの話をしているのか」が分かっていると「あのあたりの話ね」と頭の中で整理できるようになる。
Mitaka上でもスケールが表示される。天文学でよく使われる距離の単位は、「1天文単位」=太陽と地球の間の距離=1億5000万キロ。

どんどん地球から離れ、月、火星、木星、と進んでいく。海王星、冥王星あたりまでは30天文単位、40天文単位だが、実は太陽系は全然ここで終わりではなく、まだまだ内側の方。1万天文単位になると、太陽系から離れて星たちの世界へ。1000光年になると、天の川銀河が渦巻き模様で見える。
地球は銀河系の中心のところからかなり外れた、いわば田舎の方にある。
138億光年が、観測できる果て。この先は何も存在しない。現在、138億年前のある1点から宇宙が始まったということが分かっている。138億光年以上先は観測することができない。

ツアーを終えて会場を明るくすると、本当に一つ旅をしてきたような充実感でした。
ツアーにつながる内容の、会場で配布していただいた「宇宙図」についての話の後、モデレーターの芹沢とのトークセッションに移行し、伝えること、俯瞰する視点の重要性についてなどお話しいただきました。

宇宙図
Mitakaを見ながらしてきた話を一枚にまとめたのが「宇宙図」(詳細はこちら)。138億年を時間と空間に分けて俯瞰してみよう、というもの。縦軸が時間、横軸が空間になっている。小学生でもわかるように論理構成をシンプルにしてある。

「宇宙図」は美術家の小阪淳さんと一緒に作った。専門家は、方程式は詳しいけど、方程式から具体的なイメージを作れてはいなくて、図に起こしてみることに真面目に取り組んでみた人はこの何十年いない。

天文学は5000年の歴史がある。5000年間ずっと右肩上がりに発展してきたわけではなく、ある時期ぐっと伸びて、しばらく低調な時代があって、を繰り返している。一番伸びたのが2000年前のギリシャだが、実はここ20年くらいが一番ジャンプしてきている。たまたまこの時代に生まれて天文学に関わっている人はすごくラッキー。
昔は宇宙や星空を身近に感じる生活をしていたけれども、近年切り離されてしまった。
天文学の近年の発展はすごいけれど、普段の自分の生活とは関係ないと思ってしまう。それはもったいないことだなと。もう一度身近に戻して、日々の生活に根ざした宇宙観を再構築したい。
一般の人に伝えるには、まず「宇宙図」のようなものを作って全体像を把握したうえで、自分たちはここの部分をやっている、と言わないと伝わらない。
「宇宙図」を作っていて、構造化していくと、天文学だけでなく化学や生物学とのつながりを発見できたこともある。

すごさを伝える言葉
今、ハワイで巨大な望遠鏡が作られている。それが完成すると、惑星の表面にあるかもしれない大気の成分を調べられるようになる。もし大気の成分に酸素が含まれていたりすると、酸素は普通安定的に存在しないから、水分、(地球でいう)植物のような存在がないと説明できなくなる。
地球以外の宇宙に生物がいるのか、我々はこの宇宙で孤独な存在なのか、という議論自体は昔からなされていて、1600年代も、デカルト、カントも議論してきた。抽象的な議論としてはずっとあったが、具体的な惑星が見つかってきて、その上で議論できるようになってきたというのは、思想、哲学にも影響を及ぼす人類史の大転換期になってきているということ。すごい価値、意味があると信じている。

そんなすごいことが、一方でなかなか伝わっていない。そのすごさをどう言葉で表現していいのかわからないから。言葉がないというのは大きい。
見つかってきている概念を、どのように私たちが日常的に使っている言葉に落とし込むか。同じ分野の人同士で話すと、説明しなくてもなんとなく理解できてしまいがちだが、異分野の人と対話して初めて、それがあいまいな言葉だと気づくときがある。対話的な活動の重要性を感じている。すごさを上手く表現してくれる人をいまのうちに見つけて、一緒に楽しんでくれる人を増やしたい。

芹沢からはSETI(地球外知的生命探査)、ドレイクの方程式などのキーワードが挙がりました。

ドレイクの方程式という、アメリカの天文学者、フランク・ドレイクが考案した、宇宙にどのくらいの地球外生命が分布しているのかを推定する方程式がある。式の中の変数には、1年間に恒星が誕生する数や、ひとつの恒星が惑星系を持つ割合、技術文明の寿命などが入っていて、一つの分野だけでは解決できない式。これが全部導き出せれば、計算できる答えが出る可能性がある、ということがおもしろい。

高梨さんの言う、俯瞰の視点が必要とされているときに、実はドレイクの方程式やSETIみたいなものを探していくということは単なる知的好奇心というだけではなくて、すごく意味があることなのではないかと思う。

高梨さんからは、これまでのお話以上に、宗教、思想にまで壮大に広がる視点で締めくくっていただきました。

科学は、宗教と仲が悪いとよく言われるが、科学と宗教は根っこがまったく一緒で、兄弟みたいなものだと思う。
ガリレオ・ガリレイがやったことは、神がこの世界をどのように作ったかを知ることによって、神が何を考えていたかに迫ることができる、と、非常に宗教的な行為として科学をやっていた。一神教的な文化圏の中に科学をやっている人たちの目的はやっぱり、己の真理を知り、己の統一教祖たる神が何を考えているかを知るということ。これは、日本を含め多神教的な文化圏の人にはピンとこない考え方。だから多神教的な文化の人たちは、何のために科学をやるのかという目的をちゃんと作っていかないといけない。いま科学に絡んでいろいろな問題が起きているが、根っこを辿ると、日本人にとって科学とは何かが議論されないままだから。そういうところに哲学を作っていく可能性があるなら、天文学はなかなかいいところいっているのではないかと思う。

「宇宙」というキーワードの引力か、平日夜に行うことの多い「未来のかけらラボ」では珍しい、小中学生の参加が複数ありました。質疑応答では子どもからの質問も。このような場が、彼・彼女らが将来生み出すかもしれない新しい言葉を育むかけらになっていたらと思います。

未来のかけらラボvol.7 トークセッション「宇宙はどこまで見えたのか?」
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