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2019/7/23

イベントレポート

未来のかけらラボ vol.14 トークセッション「来るべき多文化共生社会に向けて、アートにできること」 レポート

2019年6月21日(金)
未来のかけらラボ vol.14 トークセッション「来るべき多文化共生社会に向けて、アートにできること」を開催しました。

ゲストはアーティストで秋田公立美術大学教授の岩井成昭さんです。まず移民を巡る基本的な状況についての説明・共有の後、岩井さんの活動紹介、最後にモデレーターの芹沢高志(KIITOセンター長)との意見交換を行いました。

日本の状況
2018年末の法務省調査では、在留外国人の数は273万人。国別でいうと、中国・韓国はもちろん多いが、最近増えているのはベトナム、フィリピン、ネパールから。東京都が一番多く、兵庫県は7位。自治体別だと新宿区が4万人、10~19位に神戸市が入っている、尼崎市、姫路市も増えている。

国際移住機関の定義では、本来の居住区を変更した人が移民であり、3か月以上離れた人は移民。しかし、日本に移民は法的には存在しない。あるのは管理するための法律・出入国管理法で、移民のための法律ではない。政府も彼らは移民ではないと言っている。外国人を移民ではなく、労働者として受け入れるという認識。
オーストラリアやカナダ等、国策で移民を積極的に受け入れ、多文化共生を推進している国の移民に対する考え方は、移民が国に入ってくることによって、民族的な多様性が生まれる、文化的な豊かさが生まれる、平行して寛容性のある社会が生まれる、ひいては経済的な豊かさにつながっていく、と移民に希望を持っている文脈。一方、この国は、民族的多様性ではなく、民族的単一性を誇っており、それを価値観の基準にしている。文化的な豊かさではなく、単一な文化の優越性。寛容性のある社会を受け入れるというよりも、排他的な社会を作っている。そして、経済的な豊かさを、民族的多様性や文化的な豊かさの上にできあがるものではなくて、労働人口の減少に短絡的に結び付けて、経済的な面において、労働人口として、一人の人間を労働力として考えているというのが現実。つまり、先進国は、移民を変化と発展の機会、この国は、停滞と維持への処方と考えている。

移動してくる一人一人について想像すると、それぞれ背景を持っていて、日本との差異がある。それから我々は学ばない手はない。それには、学ぶ前提をまず作らなければいけない、と岩井さんは考えます。

ここで、文化的な差異から問題・話題になったいくつかの事例やキーワード(ブラックフェイス/イエローフェイス/ホワイトウォッシング/文化的盗用/アファーマティブアクション/ポリティカルコレクトネス/ボストン美術館の「キモノウェンズデー」イベント 等)を紹介いただきました。

あまりにもセンシティブになってしまって、表現の自由みたいなものが退行しているんじゃないかと考える向きもある。SNSで話題になった、アメリカのコメディ番組「サタデーナイトライブ」の動画では、いろいろな文化に気を使うことによって、とんでもなく滑稽になってしまう、といったことを皮肉っている。

基本的には、物質的、量的平等ではなくて、個々人がどういう目的をもってそれを達成できるか、それをどう手助けするか、が問題。そのためのポリティカルコレクトネスやアファーマティブアクション。

海外のイミグレーションミュージアム
海外には各地にイミグレーションミュージアム(移民博物館、移民美術館、移民史博物館)がある。神戸や横浜にもあるが、日本から海外に移住した人のための歴史が主。海外のイミグレーションミュージアムは、いまそこに住んでいる移住者たちの文化を紹介する。
中でもメルボルンのミュージアムはオーストラリアで一番大きく、一番アクティブな活動を展開している。オーストラリアは、アボリジニは先住民としてもちろんいるが、移民でない人はいないと言っていいほど、移民が社会構成上非常に重要な役割を担っている。そんな状況下、まちの真ん中にイミグレーションミュージアムがあることで、観客は自身の所属する文化に触れ、自分のルーツにつながる文化が紹介されていることによって、誇りを持ち、自尊心を高めることができる。また、自分たちの社会が多文化社会であり、多様でなければいけないということがわかる。
十把一絡げにしてしまうところからステレオタイプな文化は生まれる。展示には、一つの文化に偏らないよう非常に気が使われている。人種の多様性はもちろん、移動した時代によってもヒエラルキーが自然とできてしまうので、なるべく是正していくような展示を心がけている。また、特定の文化を固定的に語らないようにしている。文化的ステレオタイプをまず反省し、現在もあるならそれを回避する。
ある人種を辱めるような名称とつけている製品も、一つの反省として並べる。歴代の政治家の移民に関する発言を聞けるコーナーもある。テレビや新聞等のメディアは、移民・難民に対して否定的な側面を報道しがちだが、それに対して美術館は、より広い視点で、多角的で偏向のない視点を提供できるはずである、というのがイミグレーションミュージアムの理念。

各国のイミグレーションミュージアムに共通する傾向として、下記が挙げられる:
・個人が文化をどのように持ち込み保持してきたか等を、オーラルヒストリーとして引き出して展示する展覧会。
・美術館周辺に形成されている移民コミュニティと実際に展覧会を作る。展覧会の内容から移民コミュニティと美術館スタッフが一緒に協働するようになった。
・移民のアーティストによる作品の展示。
移民アーティストが作品を展示することによって、地域性を超えて人々に訴えかける自由さがあり、観客一人一人のパーソナルな経験と結びつくことができる。現代アートは、固有性や文化の特殊性を強調するよりも、普遍的な、共有できる部分を掘り出すような表現は得意だといえる。

イミグレーションミュージアム東京
イミグレーションミュージアム東京は、岩井さんがメルボルンのミュージアムにインスパイアされ、2010年からはじめたプロジェクト。器を持たないプロジェクトタイプの美術館で、かつては東京都小金井市、現在は足立区、2020年には集大成となる大きな展示を予定している。

1つの柱は、市民によるコミュニケーションプロジェクト。公募して集めた市民が、在留外国人に対する素朴な疑問を話し合って疑問点をひとつのテーマにして、実際に在留外国人と、料理、まち歩き、掃除などさまざまなかたちでコミュニケーションをとり、経験を美術作品に落とし込んでいく。そのときに、3つの視座を念頭に置いている。
1.在留外国人が日本の生活において起こるいろいろな不自由さをどのように克服し、どのように環境に適応しているのか。
2.彼らオリジナルの文化をどのように保持しているのか。完全に日本の文化を受け入れるという人達はほとんどいない。自分たちの文化を日本の環境の中に守っている。そのやり方にもいろいろ工夫がある。それを知ること。
3.妥協すること、嫌なことがいろいろあっただろうが、どのように自分たちは融合したといえるのか。

近年および現在進行形のプロジェクトは、
・「マキララ」:東京都足立区にあるカソリック教会に通って、そこに集まるフィリピン人とコミュニケーションをとり、一人一人にオーラルヒストリーを聞いたり、全員でフィリピン風のパーティをする。参考→http://aaa-senju.com/2017/imi
・「Jouney to be continued」:日系ブラジル人の多い岐阜県可児市でドキュメンタリー映画を制作した。働いている家族の子どもたちは、後から呼び寄せられて日本に住んでいる。子どもたちが何を考え、どのように適応しようとしているのかを捉えた映画。

この映画では、大きなキャンバスを用意して、彼らにとにかく好きに表現してもらった。絵を描いたり、表現してもらうことでコミュニケーションをとると、すごく赤裸々に、親身になって話をしてくれる。ある子どもの絵は、使う色とかたちの理由が全てあり、自分の来歴のようなものが明確に表現されていた。表現することは重要なコミュニケーション方法で、相互理解の助けになる。「アートにできること」を考えたときのわかりやすい例と言える。

いつもと少し違う方法で自分を表現してもらうのは、ワークショップのアイスブレイキングなどで行われることがあるし、絵を描いたり料理をしたり、一緒に何かをすれば、その後に交わす会話は一歩踏み込んだものになる。そういうときにアートはひとつの手段として有効。

岩井さんは、実際のところ、多文化共生と国際交流をほぼ同義だと思っている人が多いのではないかと指摘します。多文化共生は、国際交流がベースにはなっているが、一時的な交流ではなくて、続いていく生活においてどう共生していくかということ。ただ、説明しても、経験の少なさ、また、実際にそのような状況に置かれる人がまだ少ないことから、違いが分かってもらえないことが多い。これから起こるのをどうやって整理していくかを考えていく必要があるだろう、と。

最後の芹沢との意見交換でも、このトピックは、一筋縄では語れない、白黒がつけにくい、非常に繊細なトピックであり、考えを止めずに続けることが重要であることを改めて確認しつつ、その中でアートは有効な手段、または媒介になりうるだろうということが共有されました。

未来のかけらラボ vol.14 トークセッション「来るべき多文化共生社会に向けて、アートにできること」
http://kiito.jp/schedule/lecture/articles/34864/