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僕はこれまで被災経験がない。ただ、この地震の瞬間は覚えている。揺れで目が覚めて、そのままベッドの上で揺られながら天井を眺めていた。いつの間にか寝てしまって、朝になるまで記憶がない。

当時、僕は風邪をひいてしまい、病み上がりだった。朝になって、母にせがんでおかゆではなくバタートーストを焼いてもらい、味もしないのにかじりながら、テレビに映る倒壊した阪神高速を眺めていた記憶がある。当日の記憶はそれくらいしかない。

それから大分経ったとある日、祖母が「震災の時はアンタが風邪ひいたから、お父さん前の日にお医者さん連れて行くんで帰って来てたんよ。そやなかったら、もしかしたらあの時間、ちょうど阪神高速通っとったかもわからへん。ホンマは朝方に帰るつもりやった。アンタがお父さん助けたんやで。」と言っていた。何度か、折に触れてこの話をされた記憶がある。その時は、少し怖いが不思議なこともあるもんだ、というくらいにしか聴いてなかったと思う。もしかしたら父親を失っていたかもしれないという想像までは、当時出来なかった。

僕は2007年に関西学院大学に入学した。夜はまだ肌寒い春の時分、基礎ゼミコンとやらで西宮北口駅に行った。大学生になるまで電車に乗る習慣がなかった僕は、関西圏であっても他の町のことはよく知らなかった。この時、兵庫県立芸術文化センターの方の改札を出た。西宮北口って綺麗な駅だな、と素朴に思った。

2010年の1月17日に『その街のこども』というドラマを観た。多分たまたまその時間に起きていたんだと思う。結構集中して観ていた時、基礎ゼミコンで西宮北口駅に行ったことを思い出した。そして、あの駅が綺麗なのは震災の影響があったからなんじゃないかと思い至った。途端に後ろめたいような気持ちが襲ってきた。

これらのことは阪神・淡路大震災からもたらされたものであると同時に、僕という人間の存在証明の一部のような気がしている。

 

タイトル

2007年の西宮北口

投稿者

堀井和也

年齢

35歳

1995年の居住地

大阪府箕面市

手記を書いた理由

被災はしておらず、そのうえ当時はまだ幼かったので、震災当時のエピソードはほとんどない。でも、阪神・淡路大震災は僕にちいさくない影響を与えており、それを文字にしてみたいと思った。