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横倒しになった阪神高速。そのすぐ北にあたる倒壊率90%以上という地域に、結婚したばかりの夫と2人、夫の祖母が生前住んでいた家をリフォームして暮らしていた。木造2階建ての1階が押しつぶされ全壊したけれど、2階に寝ていた私たちに怪我はなかった。近所の人が渡してくれたハシゴで窓から外に出た。しばらくして隣の奥さんが、「○○さん見かけた?」と聞いてきた。背中合わせに隣接している家の親子のことだ。私は「見てないです。青少年センターにみんな避難しているらしいからそこかなあ?」と答えながら、もしかしたら家の下敷きになったままかもしれないとも思っていた。「揺れた瞬間声聞こえたんやけど」とその奥さんは言い、私はその言葉を聞き流していた。淡々とした会話だった。

その家には80歳代のお婆さんと60ぐらいの娘さんが2人で暮らしていた。古い一軒家が並ぶ地域で、もともと住んでいた夫の祖母とその親子の間に過去に何かあったのか、夫の両親も夫も隣家の親子のことは良く言わず、どちらかと言うと悪口ばかり口にしていた。それを聞くのがとても嫌で、30歳になったばかり、老人が多い地域での新参者の私は、近所付き合いに少し気後れしていたのだけれど、逆にしがらみはないのだから普通に接しようと決めていた。そのせいかどうか、2人とも私には普通に接してくれていたように思う。

あの時、身長より高い塀の向こうに見えるはずの家が見えなかったのだから、全壊だったことは間違いなく、その下に2人が埋まっていることも容易に想像できたのに、なぜ避難所にいるかもしれないなどと言ったのか。なぜ塀の中を見てみようとしなかったのか。あの日、近所の人たちが集まって救助活動をしたのは、目の前に広がる瓦礫の山から這い出てきた誰かが、家族が埋まっていると訴えていた家ばかりで、高い塀が崩れていなかった隣家のことは皆の目からこぼれ落ちていたように思う。だからこそ、と思ってしまう。次の日に親戚の人が来たと聞いたのは2、3日してからで、新聞にはお2人のお名前が載っていた。ふとした時に思い出し、なぜ?と自問し、それに対する言い訳の数々、そう、思いつく限りの言い訳の言葉で全身をふわふわと包み、次にそんな自分を思いっきり非難して。そして苦しくなる。

タイトル

心の傷――文字にしたら少しは楽になるかもしれない

投稿者

長谷川貴子

年齢

62歳

1995年の居住地

兵庫県芦屋市

手記を書いた理由

最初に書いた手記が、書き連ねるうちに2,500字ほどになり、何度も何度も大幅に削除することを繰り返し、それでも1,200字の字数制限に収まらなかった。最終的に提出できないのがいやだなあ、と思い、もう一本保険として書いておこうと思い書き始めたのがこの文章。思いのほか重い内容になってしまい、でも、誰にも、もちろん夫にも伝えたことのないことを活字にできてよかった。