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「黙祷」と放送スピーカーから流れると教室は静寂に包まれ、息が詰まるような緊張感が張りつめる。今でもあの不思議な時間と感覚は鮮明に思い出すことができる。

私は1995年1月17日阪神・淡路大震災が起こった日、まだこの世界には生まれていませんでした。そのため私には震災の思い出は無く、身近なものでもありませんでした。しかし、兵庫県尼崎市に生まれた私にとって、1月17日は特別な日として刻まれていきます。毎年1月17日には学校で防災訓練や震災学習の時間が設けられ、小学校の道徳の時間には、自分の家族や身の回りの方から震災の被害や思い出について話を聞いて作文にする課題を行いました。また不思議な気分になるのが、毎年繰り返し行われる「黙祷」でした。小学校低学年の頃は、特に説明を受けた記憶もなく、「黙祷」と言われるとみんなが静かに目を瞑る。どれだけやんちゃな子も、話したくてうずうずしていた私も、急に空気が重くなり謎の緊張感に包まれ声を出すことはできなくなる。ずっと「この時間は何をしたらいいのだろう?」と思いながら歳を重ねていきました。

不思議なことに、高学年になるにつれて、「黙祷」は1月17日に設けられる当たり前の時間となり、その時間に疑問を持つことはなく、故人や震災についてゆっくりと考え、穏やかな時間を過ごすようになりました。そして時が経ち2022年1月17日、高校1年生になった私はいつも通り学校に向かい、ふと友達に「今日、1.17か! 黙祷あるなぁ」と友達に声をかけると「ん? 何それ?」と反応されます。大阪の高校に進学した私は、その出来事をきっかけに兵庫県と大阪府では、阪神・淡路大震災と人々との心の距離に、かなりの差があることに気づくことになりました。そしてふと、父から聞かされていた「神戸方面と大阪方面ではまるで境目があるかのように被害の大きさは目に見えて違った」という震災の記憶を思い出します。そこで改めて、小さい頃から学習することの大切さを感じ、地元を守るためにこの想いを繋げていきたいと強く思いました。そこから4年間大阪の学校に通い続け、最近1月17日の黙祷は行なっていないことを、他の手記を読んで思い出しました。今年はしっかり黙祷の時間を設けようと思います。

タイトル

忘れないように

投稿者

ざっきー

年齢

18歳

1995年の居住地

生まれていない

手記を書いた理由

今回、他の方の手記を読んで、私がかつて大切にしていた阪神・淡路大震災という記憶がだんだんと薄れていってしまっていたことに気づくことができました。それと同時に、あるスイッチと共に、薄れていっていた記憶がだんだんと鮮明に思い出されていくことから、何度も学習することや記憶することの大切さに気づくこともできました。私の記憶が誰かの記憶を思い出すスイッチになればと思い書くことにしました。