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阪神・淡路大震災から30年。30年前、私は生まれていませんでした。私は現在19歳。実は、大きな揺れというものを経験したことがありません。私にとって震災とは遠い存在でした。

阪神・淡路大震災当時のことを母に聞いてみました。1995年1月17日午前5時46分。当時14歳だった母は大阪にある自宅の自室で寝ていました。揺れが起こった時、部屋に並べてあったキューピー人形が倒れてきたことで目を覚ましました。その時、母は家の前を大型トラックが通ったんだ、と寝ぼけた頭で思ったそうです。特に気にすることなくもう一度眠りに落ち、目覚まし時計の音で再び目を覚まし、リビングへ行きました。そしてテレビに映し出されていたのは、火の海になった町、倒壊した高速道路など悲惨な神戸の姿でした。電車で1時間と少しあれば行くことができる町が変わり果てていたことにとてつもない恐怖を感じたそうです。

当時の写真、ニュースや教科書に載っている話だけでなく、震災が起こった頃を生きていた人それぞれの話を聞くことで、より震災を近い距離で知ることができると思います。

小学生の頃、音楽の授業で「しあわせ運べるように」を合唱しました。この曲を練習する際、先生がこの曲は阪神・淡路大震災がきっかけで作られたと教えてくださり、私はそこで訪れたことのある神戸の町で震災があったことを初めて知りました。定期的に行われる避難訓練や震災に関するDVDを全校生徒が体育館に集まって観ることは、先生方が私たちに震災を伝えようと実施されていたことだと気がつきました。

阪神・淡路大震災から30年後の今、神戸の町はここで震災が起こったということがわからないほど、美しい町です。以前、大丸神戸店の床のレンガに「がんばれ神戸!」「神戸大好き!」などの被災地に向けてのメッセージが書かれているのを見ました。あたたかい気持ちになるとともに、本当にここで震災が起こったのだと実感し、心が痛みました。町は元通り、震災前以上に進化しても、被災者の方の心の中には震災の傷跡が残っています。日本の人々がこの傷跡を忘れないことが大切であると考えています。

私は阪神・淡路大震災当時のことをすべて理解することはできないかもしれません。しかし、知ろうとすることはできます。知ることで少しでも多くの命を守ることに繋がると思います。そして、家族や先生、被災者の方々から聞いた話をこれからの世代に語り継いでいくのは私たちです。未来の命を守るために。

タイトル

そして、未来の世代へ

投稿者

みん

年齢

19歳

1995年の居住地

生まれていない

手記を書いた理由

大学の講義で「10年目の手記」(※)を紹介され、「30年目の手記」を書くという課題でこの手記を書きました。自分にとって震災とはなにか、未来の世代のためにどうするべきかを改めて考える良い機会になったと感じています。

※編注:東日本大震災から「10年目の手記」のこと。
https://asttr.jp/feature/shuki/