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先日亡くなった娘、希の35歳の誕生日をお祝いしました。ケーキを買って希の好きだったものを作りお供えします。震災以降もずっと続けています。もし生きていたらどんな娘になっていたのでしょうか。私の生き方も違うものになっていたのかもしれません。

30年。長い月日が流れました。つらい事も嬉しい事もありました。その間にも多くの地震があり、災害がありました。亡くなった方のニュースを見るとそのご家族はどんなつらい思いをしていらっしゃるのかと胸が苦しくなります。希はたった5歳でした。今からたくさん楽しい事が待っていたはずです。今でも守れなかった後悔がずっと心の奥にあります。親にとって子どもを亡くすほどつらいことはありません。私にとって一番悲しい死を経験してしまうと自分の生に対しての執着はなくなります。

今私は勤めている保育園で年に一度、子どもたちに地震の話をしています。そのお話の時に必ず言う事があります。30年前、神戸の人たちは「神戸って地震がなくていいよね」と思い込んでいた事。もしその時地震が来るかもしれないという気持ちを持っていたら失わなくていい命がたくさんあったと思う事。地震がきたらどうしたらいいのか? 自分の命を守る為に何をしたらいいのか? そして津波が来るとわかったら迷わず逃げる勇気を持ってほしい事を伝えています。もし地震が来ても津波が来てもこの子たちに生きていてほしい。絶対に守らないといけないと思って話をしています。最後に黙祷をするのですが、話を聞いた子どもたちは静かに目を閉じて心の中でお話しをしています。何か感じてくれていたら嬉しいと思います。

30年、当時の事を知る人はだんだん少なくなり、私自身も先が見えてきました。伝えて続けていく難しさを感じています。幸い、阪神・淡路大震災の事を伝え防災に取り組む若い人たちがたくさんいます。あの日何があったのか? これから何をしなければならないのか? 学び伝えていってほしいと思います。

私も残りの人生が見えてきて私の手でやらなければならない事があります。捨てる事の出来なかった希の物の処分です。衣類やタオル、アルバムに貼りきれなかった写真、今は見る事が出来なくなったビデオ……まだまだたくさんあります。最後に私が希にしてあげられる事かもしれません。

震災の資料もあります。なかなか進みませんが自分がまだ元気で気力のあるうちに整理しなければならない事だと思っています。

30年。もう歴史になるような阪神・淡路大震災ですが、私には忘れる事の出来ないつらく悲しい出来事です。これから先、私のような思いをする人が一人でも少なくて済むように心から願っています。

タイトル

私がやらなければならない事

投稿者

小西真希子

年齢

65歳

1995年の居住地

神戸市灘区

手記を書いた理由

私が初めて手記を書いたのは震災直後です。ただ悲しく何も出来なかった私が娘のいた証を残しておきたくて、娘が消えてしまうのが嫌で泣きながら書きました。
10年目、20年目にもその時々の私の気持ちを書かせていただきました。書く事で自分の心の整理が出来、改めて気づくこともたくさんありました。
そして震災30年を前にして震災の記憶をどうつなげ、これから起こるかもしれない災害にどう備えればいいのか? 私がこれから何をしなければならないのか? 私が今思う事を書かせていただきました。