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1995年1月17日午前5時46分、私は地震の揺れで飛び起きた。私は兵庫県西宮市の生まれだが、当時は仕事で富山県富山市で働いていた。富山では揺れはそれほどでもなく、いつも通り出社してラジオを聴いたらなんだか様子がおかしいと思った。

そして阪神間や淡路島などで大きな地震が起きたのを知った。私が生まれてから高校までを過ごした西宮市の生家には、当時父と姉が住んでいた。父や姉の安否を知りたくて、会社にいても落ち着かなかったのでいったん富山の自宅に帰り、電話をかけまくった。生家の電話にはつながらなかったが、親戚を通して父と姉が無事生きていることを知ってほっとした。

それで休みをとって、水を持っていったら役に立つかなと思って近くのスーパーでペットボトルの水をたくさん買ってカートにくくりつけ、それを引っ張って富山駅へ行った。駅前でもニュースを聴いて、阪神電車が梅田から甲子園まで開通したと知ってすぐに生家へ向かった。

私の生家は柱が傾き、家じゅうのガラスがすべて割れていた。家には神奈川県で働いていた兄が帰ってきていて一緒に片付けをした。水は結局近くの病院に入院している祖母にあげた。

とはいってもあまり生家に滞在するわけにもいかず、確か2、3日の滞在で富山に戻ったと思う。私の片付けとかはあまり役にも立たなかったし、何が悲しいって父が震災のわずか4年後に70歳を待たずして死んでしまったことと、その4年後に姉も若くして死んでしまったことだ。生家も潰され駐車場になったらしく、私は大学時代を過ごした京都府に移住し、もう10年ぐらい西宮には帰っていない。つらくてあまり行く気になれないのだ。

タイトル

当時の思い出

投稿者

矢田明子

年齢

54歳

1995年の居住地

富山県富山市

手記を書いた理由

当時の記憶と、自分の思いを少しでも書いておこうと思ったから。