「先生、僕、小学校の時、神戸から引っ越してきました。2歳の時、震災にあって……」
「確か、橋口くん、小学校の時、福岡に転校して来とったね」
私は頭にある生徒の情報を辿った。私は、中学校2年2組、橋口くんの担任だ。橋口くんが話しかけてきたのは、阪神・淡路大震災についての道徳の授業の終わりをつげるチャイムのすぐ後のこと。
「私、知らんかったけん。つらいこと思い出させてしまったね……大丈夫やった?」
「ぜんぜん大丈夫です。だって僕は2歳で記憶ないから。寝てて、あと20センチで柱の下敷きになるとこだったらしいです」
「わあ。大変だったねぇ」私はそう答えながら、さっきの授業が彼を傷つけるようなことになっていなかったか反芻した。
「来週も震災の道徳あるけど大丈夫?」
「大丈夫。先生、心配しすぎですよぉ!」そう言って橋口くんは戻っていく。
数日後、担任のルーティン、生活ノートに1冊ずつ目を通す。橋口くんのノート。「今度の道徳で、震災のこと話しましょうか?」と。
「それはありがとう。でも、どうして話してくれるの?」と返事を書いた。
次の授業、当時のニュース映像を見て打ちひしがれた後、学級に、橋口くんが以前神戸に住んでいて被災していることを伝えた。みんなの眼が、えっ? から、すぐにシリアスなものに。
それから橋口くんは、自分は全く覚えてないけど、小さい頃から両親に聞いてきたと言って話し始めた。福岡に親戚がいて引っ越してきたこと。お父さんが彼に被さって柱から守ったこと。20センチが生死を分けたこと。お母さんはその衝撃が爆弾だと思ったこと。おばあちゃんが震災のことをあまり話したがらないこと。神戸の小学校の避難訓練は真剣さが違うこと。自分の言葉で淡々と。
教室は深く静かな海になった。担任の私、生徒もみな、この狭い同じ海に被災した友達がいるとは考えもしなかった。教科書の話や映像が、冷たく肌に触れる水となり浸透していく。想像上の同情や共感に、生々しい痛みや恐怖の潮風が打つ。ただ、考えれば、全くめずらしくはない。震災後、住み慣れた街を離れ、どこかの場所で今日を暮らす人がいる。
授業が終わり、「ありがとう。真剣に聞きよったね」と私が言い終わる前に、橋口くんは、ニコッと親指を立てて、かっこよくOKサインを出して去っていった。次の日のノートに、「僕には記憶がないから話せた」とあった。
日々、水しぶきを飛ばし合って賑やかな海である私の教室を、一瞬で静寂の海に変えた生徒。震災から30年。私は彼の話しを真珠のように大切にしまっている。久しぶりに取り出した真珠を掌にのせると、あの時とはまた異なる光を放った。広い海、誰のそばにも無言の痛みを抱え、今を進み続ける人がいる。波は未来永劫続いていく。ただ、海には風がおさまり、波が穏やかな時を迎える「凪」が訪れる。その時、誰かのOKサインが見れるといい。
タイトル
凪を待つ真珠
投稿者
立石博子
年齢
48歳
1995年の居住地
福岡県福岡市
手記を書いた理由
目の前のひとりの生徒の命
守れるのか?
いつも 心に問う
高校3年生 福岡の地で
鮮明な 記憶
灯りのない夜景 燃ゆる街
朝も 昼も
紅蓮の炎は消えず
晦冥の赤 煙 赤 灰 黒 黒
画面を観ながら 涙が つたう
ただ 感情なき しずくが 掌に
教員として
避難訓練 防災教育
「いのちを守る行動を」
と、幾度も伝えた
私は 甘かった
20年前 被災した生徒が教え
気づかせてくれた
ハンマーで頭を殴られたような衝撃
体験を語り 経験を知り
揺さぶられ 共感し
知恵を学び 未来のために
語り継ぐ 忘てはいけない記憶
もう、教師でなくなった
震災を経験していないからこそ
伝えたい 私の震災のはなし