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令和5年2月6日、遥か遠い中東のトルコとシリアで、マグニチュード7.5以上の大地震、死者が5万人以上かとのニュースが飛び込んで来た。その時、私の脳裏に浮かんだのは、あの忘れもしない阪神・淡路大震災の記憶でした。当時、私達一家は4年前に大阪府下から、神戸市の六甲山近くのマンションへと引越して来た頃の1月17日未明、大きな横揺に飛び起こされた。外は冬期にて暗闇。そして第2波の時、リビングで食器の落下時に割れる音。外に出て、隣家の住人の携帯にて初めて知った震災の規模の大きさに息を飲んだ。 その後、次々と入るニュースで長田地区の火災、国道の高架の倒壊、私鉄駅舎の損壊等々は目を被う惨状。当時、私の勤務地は地方私鉄のみしか術が無く、私鉄は3日間の運休で、出勤ままならず、情報が入手困難。後日、被害は大した事がないとの事で一安心した。

その後の復旧に向けた動きは各所に於いて早かった。私は通信関連企業に勤務していた。

先ず、人名救助は率先して行われたのは当然だが、次にインフラ整備も重要との事で神戸市の通信設備復旧に向けて、我が社は行動を起こした。我勤務先の建物は無傷であり、JR駅にも近いため、全国からの支援部隊(主に技術工事関係)の仮宿舎とも相成った。 彼等は早朝から帰還は夜まで。印象に残った事は、暖かい沖縄県から真冬の時期に派遣されるとは「何でやねん!」と思った。そして聞くところによると、食事は冷えた仕出し弁当。風呂は徒歩にて、銭湯へとの事。そんな折り、上司である所長から「支援隊に何か、我々に手助けになる事はないかいな?」との問いかけにある女子社員からの一言が「冬は暖かい豚汁は?」それに対して全員一致で賛成の声。

その後の動きは早かった。社員有志3人が有給休暇にて、買出し、調理へと発展した。無論、私もその一員。何よりも、沖縄県人に豚肉は馴染みの食材。他に、大根、人参、椎茸、もやし、長ネギ、豚バラ肉をニンニクで炒めて、香り付けする。出来上がりは、満足のいく出来映え。付け足せば、大量に作ったから色んな味の競合もあった。早足、スポンサーの所長に味見を。彼曰く、「甘いなあ、へそくり出した甲斐があったわ」

次に私たちも相伴に預かった次第。数日後、所長から「皆さん喜んでいた。沖縄は豚肉には慣れ親んだ味やから尚更感激したそうや」。それを聞いた我々は有給休暇を取った意義があったと相合った。

そして、我が家の晩餉ばんげに豚汁が出た。妻も調理師免許を持って、料理自慢を自負しているが彼女は東北出身で、秋の芋煮鍋の鮭味と豚肉味とでは微妙に差が有る。私は関西育ち故、鮭は塩鮭の焼きしか知らぬ身。でも、冬の夜に食す豚汁を見るに付け、あの震災復興に尽力をされた、元、我が社の社員に対して、感謝の念を抱かずには居られない。

タイトル

冬に想う

投稿者

有馬義博

年齢

79歳

1995年の居住地

神戸市北区

手記を書いた理由

大阪から神戸に移り住んで4年目に予想もつかない、惨事に見舞われるとは。しかしながら、改めて、兵庫県人の心の強さに感動すると共に、私個人も、何か役に立てればとの想いから仲間と共に行動を起こした次第です。小さな事柄かもしれないが、自分にとっては大切な思い出であり、小さな自負でもあったので、現在でも、記憶の隅に残っていましたので、投稿させていただきました。