1995年5時46分。ドン!と強烈な突き上げの後、聞いたこともない地鳴りが響き渡り壁は軋み、身の回りの物が全て上下左右に激しく揺れ落ち倒れた。
当時25歳の私は生まれて初めて生命の危機を感じた。
あとで知るが揺れは約10〜20秒間だったらしい。
その僅かな時間が友人や知人、住み慣れた神戸の街並みを奪い去った。
それまでの私の価値観もガラリと変わった。
自分だけ生き残った罪悪感がぬぐえなかった。仕事を辞め、家に引き篭もった。
そんな私を救ってくれたのは友人の「アイツらの分まで頑張って生きて行こうや!」という励ましの言葉だった。
私はようやく生きる意味を見出すことができた。
それから時が過ぎ結婚して子供が生まれた。
勿論、震災を知らない。
平穏な日々が続いた。
2014年。震災から20年、神戸マラソンで「メモリアルランナー」(震災20年を機に、阪神・淡路大震災に関するエピソードを持ち、そのエピソードをマスメディア等に発信するランナー)が募集されていた。
震災を風化させてはいけないという残された者の使命感にも似た思いに駆られ応募して運良く選出された。
世代は違えど似た様な境遇を持ち震災を乗り超えたメモリアルランナーの皆と神戸マラソンを通じて出会えたことは人生の折り返し地点を迎える私にとってはとても貴重な経験となった。
しかしながら、昨年(2023年)、体調不良でマラソンは控えざるを得なくなった。
私のそんな姿に20歳になる息子(諒・りょう)が「お父さんが大好きな神戸の街を僕も走りたい」と言ってくれた。
メモリアルランナーとして走った私の走りを当時10歳だった息子の記憶の片隅に残っていたのかもしれません。
2024年11月17日、神戸マラソン。「がんばろう神戸」をスローガンに皆励まし合ってここまで復興を遂げた神戸の街並み、沿道の見知らぬ人々の声援が背中を押してくれたおかげで息子は初マラソンを無事完走することができた。
フィニッシュした息子のやり遂げた顔を見て、私の思いを、震災を知らない世代に繋ぐことができたと信じてやまない。
タイトル
阪神・淡路大震災と神戸マラソン
投稿者
田口誠
年齢
55歳
1995年の居住地
神戸市兵庫区
手記を書いた理由
私は25歳の時に阪神淡路大震災に遭いました。
日常が崩壊して喪失感で心が折れそうになりました。
あんな思いを震災を知らない世代にはさせたくない。
それには風化させないこと。
私にできるのは震災から復興を遂げることができた感謝の思いを表す大会「神戸マラソン」を走ることだと思いました。
そして、神戸マラソンのテーマ「感謝と友情」がより伝わればと思いまして「30年目の手記」を書くことにしました。
微弱ながらお役に立てれば幸いです。