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小学校に入学し、学校にいる時も放課後も遊んでいたかよちゃんという友人を地震で亡くした。私が通っていた長田区の神戸市立池田小学校で唯一亡くなった児童である。

地震から1週間程経ち、長田の商店街でかよちゃんのお母さんと偶然出会った。お母さんは泣きながら私の事を強く抱きしめてくれた。その場に何故だかかよちゃんはいない。かよちゃんのお母さんも私の父も泣いている。どんな会話をしたのか覚えていないが、苦しい程に抱きしめてくれたあの感覚や真冬のとても寒い中の温かさは今でも忘れない。その数分の出来事の中でなんとなくかよちゃんは居なくなったんだと、小学1年生の小さな身体で感じ、悟った。

小学校が2月の途中から再開し、かよちゃんのお別れ会をするという事でかよちゃんと一番仲良かった私に「全校生徒の前でかよちゃんとの思い出を話して欲しい」と担任の先生から頼まれた。かよちゃんとの思い出を皆の前でする事でかよちゃんの死を受け止めなければいけない、そんな風になんとなく感じ「話すのは嫌だ!」と強く拒んだ事をはっきり覚えている。今となればこれは防衛本能だったのだと思う。

お別れ会当日、講堂の舞台上にはかよちゃんの遺影。黙祷したあと全校生徒の前で入学式の時かよちゃんと手を繋いで入場していた6年生が話をしていた。その時間は哀しみでいっぱいであり、胸が苦しくて遺影が見られなかったのを覚えている。

家が壊れたり燃えたりして、今までの思い出を全部無くしてしまった燃えてしまったという友人も多く、わざわざ震災の悲しい思い出を口にする事はなかった。それ以降、小学生・中学生・高校生・大学生・社会人となり、語り部をするまでかよちゃんの事・地震の事は思い出さないように心に蓋を閉めた。がっちり、と。子供ながらに自分を守るための術だったと思う。

タイトル

心に蓋をしたあの日、蓋を開けたあの日

投稿者

堀美恵子

年齢

36歳

1995年の居住地

神戸市長田区

手記を書いた理由

阪神・淡路大震災から30年が経とうとしているが、あの日感じた感情は何も変わらない。しかし時は経ち、震災を経験していない世代が多くこの長田の町にも住んでいる。「継承」よく聞く言葉であるが、本当の意味の継承を行動にするタイミングが来た。
それは自分自身が語り手となり、語っていくという事。阪神淡路大震災以降、心に蓋を閉め生きてきた私が、心の蓋を開けるきっかけとなった震災特集番組。語り部の高齢化。語る順番が来るべくしてやってきたのだと思う。
あの日以降何も変わらない感情、むしろ悲しみは増すばかり。しかし決して後ろは向いていない。前を向いているからこそ、自分の感情の棚卸しをしたいと思い今回綴りました。