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神戸は災害のないところ……と昔から言われていました。誰もが予想もせずにいた平和で美しい、我が街、大好きな神戸。

未明の大揺れ、何事と飛び起きた。この名谷は幸いにも何事もなく10日間の断水だけで無事でした。

東灘の実家は? 母たちは? その後のことは今も明白に憶えている。2階に一人で居た84才の母は無事。1階の3人、兄、義姉、甥のうち53才の義姉は即死に近く、並んで寝ていた60才の兄はかすり傷一つなく無事。地震って何? こんなもの?

その後の街の様子が信じられず、悪い夢がずっと覚めずに毎日を過ごしました。

我が家は子供達が成人して県外に出ていたので夫婦二人の生活なので、母、兄達も頼って来た。兄の娘の姪は前年に結婚し、六甲に居たのが無事でした。半年後、出産予定のお腹の子も無事に誕生しました。

生まれ育った神戸の街の変わり様に改めて自然の恐さを感じました。何十年もの間の戦後復興は跡形もなく、なすすべもない。

母は阪神大水害、戦禍の中も女一人で私達子供3人を育て、やっと安らかな老後を迎えると思っていた矢先に……。それでも「戦争よりましや」とポツリと云った。

昭和20年に父を病気で失くし、その日から食べ物はなく、毎日爆弾が降ってきたという。何とか焼け残った家に私達はしがみついて生きてきた。呉服屋をしていた父は丁稚奉公からはじめ、やっと建てた家が十数秒の揺れで全壊した。かけがえのない美しい義姉と共に。

家は建て替えられる。その他のビルや高速道路もすぐに再建できた。でも人の命だけは二度と取り返せない。

今、世界中の戦争では、人が人を殺す。こんな事が毎日起きている。

地球温暖化による大水害、巨大台風、大地震など人の力ではどうにもならない事ばかりあるのに人々はどうして、地球人として一丸となって立ち向かわないのでしょうか。人類撲滅に向かっている様にしか思えない。

世界中の人々、人類一致団結して、この美しい地球を救いませんか! 人権、宗教、主義を越えてこの星を救わないといけない。戦争などしている場合ではない。太陽系、いや、宇宙の中で一番美しい素晴らしい星を今救うのは私達ではないでしょうか。

戦争も災害も生き残った人々は、家や街や国を建て直す為に生きている。それが私達の指名だと思うのです。

タイトル

阪神・淡路大震災30年

投稿者

向山輝美

年齢

82歳

1995年の居住地

神戸市須磨区

手記を書いた理由

震災10年目に当時書いていた日記を記録として残した方が良いと思い、手記を書きました。経験した事のない災害だったので当時の状況、時間の経過などを記しました。二度と経験したくありませんがあれ以降、東日本、熊本、能登と終わりのない様に思います。
この30年間は単なる自然の変化のみでしょうか。我々にも原因がある様にしか思えません。子供の頃、戦争がありました。毎日毎晩大人達は爆弾の中を幼い私達を背負って逃げまわったと聞きました。戦争など何の意味があるのか。今一度考え直す時だと思います。