1995年1月17日午前5時46分は、私達の脳裡からは一生消え去ることのない阪神・淡路大震災の発生時刻となりました。まさに「青天の霹靂」とはこのような事態を指すのでしょうか。勿論、何の予知、予告もなく突然襲ってきたこの大震災が後々に語り継がれる阪神・淡路大震災の始まりでした。以後30年間私達の脳裡からは消すに消せない日々の生活が続きました。
発生当初は何の気力もなく、呆然として何も手付かずの状態が続いていたように思います。でも、このような時にあって自分自身の将来のことも少しは頭にあったのでしょうか。時々1923年9月1日に発生した関東大震災の映像等を目にすることがあります。このたびの経験を、ただ私達の代だけの記憶だけに終わらせてよいのかどうか。恐らく関東大震災の発生時にも、後に起こるかもしれない大地震に備えて多くの映像の記録が残されていたのだと思います。そしてようやく神戸の大震災からも30年の歳月が経ち、街並みも整備され、表面上は従来と変わっていないように思います。
この我が町を襲った大震災以後も各地で大きな地震が発生しております。自然災害の発生には、従来より少しはメカニズムも進み、地震の予知にも生かされているように思いますが、何と言っても一番大事なことは発生した直後の迅速な対応が最優先であることは申すまでもなく、当然のことではあります。それは現時点で考えられる対策、それはやはり細部にわたっての映像と文字の記録を克明に保存しておくこと。人間の口から口への言葉での記録だけでは記録に残すことはできません。
地震に限らず、将来発生することが予想されるであろう台風、大水害等の映像記録を後世に残して、非常時に役立てること、それが間もなく発生から30年を迎える大震災を経験した私たちに課せられた義務と責任であると思う。
災害は発生しない方が良いことは勿論承知しているが、この広い地球上、何時、何処で、何が起こるか予測がつきません。その時に備えて対策を用意していることがこの世を生き抜いて行く上での最善の対策ではないかと思う。
タイトル
大震災を経験した私達の今後の義務
投稿者
小高肇
年齢
81歳
1995年の居住地
神戸市垂水区
手記を書いた理由
阪神・淡路大震災から早くも30年、この手記を書くに当たり、後世に引き継がなければならないことは多くあると思いますが、なかでも最重要事項は何と言っても発生時の対処の仕方、及びその後に発生が予測される二次災害を如何に防止するかということに尽きると思います。そのためにはやはり、発生時の様子を現在のメカニズムをフルに使って映像に残すこと、それが後々に発生することが予想される災害への最善の方法であると思います。