1995年、1月17日(火)5時46分。自宅の2階で寝ていた少年は、戦争が始まったのではないかと思い、急いで1階の両親と妹のいる寝室に向かい階段を降りようとするが、騙し絵のように階段が一瞬で無くなった。状況が把握できない少年。外からはサイレンが爆音で鳴り響き2階の窓ガラスは爆撃を受けたかのように破れていた。その隙間から見えた景色は、瓦礫の山。やはり戦争だ! 突如少年は、映画『ダイ・ハード』の真似事を試みる。デスクチェアで窓ガラスを壊して、外へ脱出を試みる。瓦礫の隙間から、父親を発見。機転が効いた少年は、瓦礫の山を裸足で走り出した。近所の工場に勤める男性寮に駆け込み助け求めた。
そして、夜が明け、数時間後、父と母と妹は無事救出された。その日は寒く、少年の足は血塗れだった。
ヘリのプロペラ音が鳴り響きつづける中、近所の人から「神戸で大地震が起きたんや!」と教えられだが、少年はまだ戦争だと思っていた。亡くなった人が沢山いた。
11歳の少年は、41歳になりました。今も元気に生きています。
この30年間懸命に生きて来た人達、私含めてみんな偉いよ。よくがんばりました! まだまだ長生きしましょうね。ブルース・ウィリスさんもですよ。
最後に、あの時、戦争だと感じた感覚は大切にしていきたい。いつ何時、勃発するかわからない不安定な世界なのだからこそ、日々を平和に暮らす努力をしようよ。
タイトル
1995年、神戸市東灘区に住む11歳少年の話
投稿者
武重光紀
年齢
41歳
1995年の居住地
神戸市東灘区
手記を書いた理由
阪神・淡路大震災30年をテーマにしたテレビ番組に参加して高森さんたち(※)と出会えた事が大きな切っ掛けになりました。いろいろ振り返る事ができ今回はじめて手記を書かせていただきました。
※編注:本企画の主催メンバーである高森順子のこと。