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私は阪神・淡路大震災から8年後に生まれました。震災を経験していない私は、あの日から懸命に生きてきた人の苦しみの全てを理解することはできません。だからこそ、ことばによる記憶の伝承の大切さを実感します。

震災当時大学生だった母と父は、2人とも神戸で阪神・淡路大震災を経験したといいます。ですが、多くを教えてもらったことはありません。あまり話したくはないからか、もっと絶望的な経験をした人を知っているからか、理由は分かりません。しかし、「大阪にいたお兄ちゃんが地震で凸凹になった道路を車で何時間もかけて、沢山生活品持ってきてくれたんやで」「アルバイトしてた飲食店が燃えたんや」 そういう幼い頃にぽろっと聞いたことでも、2人のことばは強く私の心に残っているのです。

一方で、ことば以外にも震災を伝える媒体は存在します。映像などの貴重な資料や行事です。具体的には記念碑や防災センターなど震災について知る施設、ルミナリエや追悼式などです。そのため、小学校の頃から他の地域に住む同世代の子たちよりも震災に触れる機会は多かったと思います。学生だった私は、震災の被害をみて非常に衝撃を受けたと同時にこのような資料の重要性や貴重さを知りました。それらの経験を通して、今の生活が幸せであることを感じてきました。

それでも、実際に生のことばに勝るものはないと強く感じます。なぜなら、ことばの伝承がなければ、私を含め経験していない世代の中で、震災は「映像や写真で見たもの」に過ぎないからです。でも、私なんかには計り知れない悲しみややるせなさ、悔しさを持って、それでも生きていこうとする人々を私は知っています。それはことばが伝わっているからです。震災の経験、絶望した経験からは目をそらしたいと私なら思ってしまいます。ですが、ご自身の経験を口にしたり書き記したりして伝わってきた生のことばは、熱を持ってしっかりと受け継がれていきます。助け合って生き抜いてきた人が今も沢山いるまちが神戸なのかなと感じています。だから、神戸が大好きだし、このまちで生まれ育ったことを誇りに思っています。

私のそばには震災の記憶があり、いつからか人が安心して生きていけるまちや災害からのレジリエンス力を高めるまちづくりに興味を抱くようになりました。それは消えることなく、今は大学で建築を学んでいます。小学生の頃から建築に興味がありましたが、災害の多い日本で建築を学ぶ意味をずっと考えています。いつ災害が起こるかわからない国だとしても、たくさんの人に幸せに生きてほしいし、幸せに生きていきたい。災害が起きても強いコミュニティやまちを作っていきたい。ことばを通して伝わった想いは、誰かの人生の一部になっています。

タイトル

震災の記憶と、ことばと私

投稿者

あめまい

年齢

21歳

1995年の居住地

生まれていない

手記を書いた理由

手記を書こうと思ったきっかけは、震災を経験していない私から見た震災の解像度は非常に低いものだと感じているからです。生まれていない時に起きた出来事なので、当たり前のことです。しかし、神戸で育ったからこそ、違う地域の人とは違った視点でこの震災に触れてきたと思います。そういった経験しない世代の感じてきたものを残したいと思いました。