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和歌山で被災した。
その前日から熱を出して寝ていて、階下からのいつもと違う親の声色を覚えている。
しかし遠くの何か、台風19号や昭和天皇の崩御、恐竜大行進やETと同じような、少し遠い世界の異変だった。
東京、福岡で20年ほど過ごし、その後神戸に移住した。住居のため、数十件の物件の内見をするうちに、年代の偏った建物の連なりや、スタイルの偏り(アーチ扉や窓型のカウンターキッチンなど)、小さい地域の均質性などが目につき、神戸という街は、東京や福岡とは違う偏りがあるようだった。

この夏、膝を切った。十針だった。
この傷跡、ケロイドを見るたびに、このヒダのような偏りは、史(ふみ)なんだと思うようになった。
きっとこの傷跡はしばらく消えないのだろう。
震災や万博のヒダは大きさに関係なく、いろいろな犠牲を伴ったのだと思う。しかし、それが都市の特徴であり、そこを魅力に感じる自分もいる。
その史の意味は受け取る側が決めることなんだと思う。

タイトル

その街のヒダ

投稿者

片田友樹

年齢

40歳

1995年の居住地

和歌山県和歌山市

手記を書いた理由

震災の少し後、少し復興した三宮元町に行った。記憶では、まだ元町の入り口などに瓦礫のある風景だった気がするのだが、同行者の記憶と大きく違っていた。それも少し遠い世界であるが故の、記憶の改竄なのかもしれない。
ここに、今思う阪神・淡路大震災と、自分が見れた今の神戸の街について書いておきたいと思った。