あれから30年。早かった、あっという間だった。
毎年、1.17は東遊園地にあの時間に訪れるようにしている。それは、亡くなった友達があの時間にあちらから此岸に戻ってくるような気がして、その時に迎えて「貴女を忘れていないよ」と言いたいから。そして、遺体安置所で「貴女の分まで一生懸命生きるから」との誓いを再認識するため。この1年の私の生き方を振り返るため。あの時間に鳴る秒針と「黙祷」の言葉。30年も経とうとしているのに毎回胸が締め付けられてしまう。でも、やはり涙が止まらない程ではなくなってきた。冬になると思い出し気持ちが塞がることもなくなってきた。毎日友達を思い出すこともなくなってきた。
やはり、30年の時間は流れていると感じてしまう。これを気持ちが落ち着いてきたからというのか、それとも風化というのか分からない。ただ、今は笑っていても1分先は死ぬかもしれないこと。安全であるはずの家の中に居てもだ。時間は無限でなく有限。死は対岸にあるのでなく背中合わせの身近にあること。まさしく身をもって学んだ。これを私自身忘れないように改めて誓いたい。そして、周りにも教えたい気持ちが湧いてきている。
タイトル
忘れない
投稿者
よっしー
年齢
56歳
1995年の居住地
神戸市垂水区
手記を書いた理由
改めて振り返る機会になるので。30年も経つのに、まだ震災に向き合いたくない気持ちがあり、悲しみや怒りを引きずっている部分があります。その蓋を取りたい。直視して気持ちに整理がついた時に、亡くなった友達はやっと喜んでくれるのでは思いましたので。