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あの日から30年経った。
それぞれが、早かったと思う人、長い歳月だったと思う人、自分自身の過ごし方により感じ方は違うと思う。
私にとっての30年はあっという間に過ぎた年月だ。
震災の1ヶ月後に産まれた男の子と一緒に歩んだ30年でもある。
ポートアイランドに住んでいた私は大きな揺れで目を覚ました。
主人は既に仕事に出かけていたため、家にいるのは私だけで、暗闇の中、電話のあるリビングに行くと、家具、電化製品は倒れ、無残な光景を目にした私は、夢を見ているんだと思った瞬間、電話が鳴った。
「地震が起きた。無事か?」
と言う主人の言葉を聞いて、「夢じゃない、現実なんだ」と何度も何度も独り言を言いながら、これからどうなるんだろうと初めてその瞬間に涙が出た。
2日後には、神戸大橋を徒歩で渡り三宮に着いた。
お買い物に行ったお店、食事をしたお店、なにもかもない。
大好きな神戸の街をみて、また涙があふれた。でも、その時、お腹の子の強い胎動を感じ、泣いていたらダメだ、しっかりしないといけないと心に誓った。
臨月までお世話になった中央市民病院での出産を諦め、翌月、大阪で私は男の子を産んだ。
産声を聞きながら、あの日以来、初めて私は嬉し涙を流した。
5月に神戸に帰り、まだまだ不自由な生活だったが、1年、2年が経ち、町の復興を見ながら子育てをする毎日だった。
毎年、1月17日に震災から何年というフレーズをテレビや新聞で見聞するたびに、長男は何歳になったとあらためて数える日々だった。
幼稚園、小学校にあがり子供の同級生の親達と話すことが増えた。
震災の時はどこに住んでいた?
どんなふうに過ごしていた?
みんな、何年か経ち、やっと誰かに話せるようになったのだろう。私より、辛い体験をした人、親、兄弟を亡くした人、みんなそれを乗り越えている姿をみて私も勇気をもらい頑張らないといけないと心に決めた。
小学校の震災行事で、長男が、『しあわせ運べるように』を歌っている姿をみて、震災のことを思い出した。
あの日、お腹の中にいた子が神戸の再生を願う希望の歌を歌っている。その姿に久しぶりに涙した。
中学生になり震災から13年、高校生になり、震災から16年、大学になり、震災から18年、社会人になり、震災から22年、いつも私の中であの年のあの日から、子供の成長が始まったような気がする。
あの日無事にお腹の中にいてくれてありがとう。
震災の後、悲しかったこと、苦しかったことも子供がいたことで頑張ってこれた。
震災から30年。
30歳になる長男。
去年、結婚し、私のもとを離れた。
これを機に震災から数えて何歳になるといういい方を辞めようと思う。
でも、私はいつまでもあの日の震災を忘れずに今、生きていることを当たり前と思わずこれからも頑張っていこうと思う。

タイトル

神戸 震災と私の30年

投稿者

浜名有利子

年齢

62歳

1995年の居住地

神戸市中央区

手記を書いた理由

震災の1ヶ月後に産まれた長男。
あの日、母子ともに無事であったから、いま、30歳になった子供がいる。この30年、私は子供がいたから頑張ってこれた。
生まれてから今までの思いを記したいと思った。