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車を運転していて救急車に出会う。サイレンを鳴らさずに消防署に戻る救急車。「けがをした人は病院で診てもらえて安心しているだろうな」「痛みが少しましになっているといいな」

家にいて外から救急車のサイレンの音が聞こえる。時間をおかずにもう1台、救急車が近づいてくる。「朝の気温が低いから体調をくずしたのかな」「ふらついて転倒したのかな」

けがや病気の人の苦しみが和らいでほしいと思う。本人や家族の方の不安がすこしでも小さくなったらいいなと思う。

けがや体調が不安定な時に医療や救急に携わる方々に助けてもらう。助けてもらいたい時に助けてもらえる、と思うと安心する。命を守る方々が安心して働くことができるといいなと思う。助けたいと思っても助けなくてはならない人が多すぎると助けたくても助けることができない。電気や水が十分にない時にはできるはずの治療はできない。

親に命を授けてもらい、命を大切にすることを学び大きくなった。8才で終戦を迎えた母は「戦争はあかん。平和でなくてはあかん」と繰り返し平和の大切さを伝えてくれた。「平和を続けるために何が出来るだろうか」と考えることはあったが、災害が命を奪うものだとは思ったことはなかった。

阪神大震災は災害が多くの命を奪うものと示した。命、からだ、こころ、生活を傷つける災害を体験した。

阪神大震災の時、被害の大きかった地域では病院も被災していた。私の住む北区や三田方面へ治療の必要な人を乗せた救急車が走っていた。サイレンは一日中鳴り続けていた。

「阪神大震災」と聞けば今も私の中で鳴っているサイレンの音。遠い所から神戸の人を助けに来てくれた音。助けても助けても終わらない救援の音。

震災から30年。地震が傷つけたからだ、こころ、くらしをもとに戻そうとしてきた。人と人のつながりを大切に思い、まわりの人のしていることにつながるものを想像してきた。安心してすごせるとほっとし、ありがたく思う。助けてほしい時には「助けて」と伝える。まわりの人はやさしく接してくれた。消防署に救急車は止まっているかどうか、つい見てしまう。救急車の姿がない時、「けがの人を助けてくれているんだ。ありがとう」 消防署に止まっていたら、「今はけがや病気でしんどい人がいないんやな。よかった。安心や」と思う。つい、救急車のことを見てしまう。

タイトル

心の中で鳴り響くサイレン

投稿者

薩摩美子

年齢

62歳

1995年の居住地

神戸市北区

手記を書いた理由

阪神大震災を体験したことで防災について学ぶことができた。起きるかもしれないことを予測して、それに備える生活をしたいと思う。体験の一部を手記にして、これからの生活を考えたいと思い書くことにした。