私が今生きてこの文章を書いていることは、キセキなのかもしれません。
自分の人生の中で、喪失体験もたくさん経験し、今も体調にきてしまう事もありますが、どんな時も悲しいだけではなく、えがおや笑いや明るさやこんな時にこんなおもしろいこと、思いつくことがありました。こどもの時にしていたよかったあそびやものがたりづくりや空想旅が、私の心をささえてくれたのだと思います。
私が生まれてきた事は、人をしあわせにすることなのだろうか? たくさん考えた中で感じた今のおもいは、自分自身がしあわせになることだと思います。そして好きなことを一生懸命に見つけ、チャレンジしてみることだと思うのです。好きなことひとつあれば、人は強くなれ、生きていけます。
震災の体験を経験してよかったことを書こうと思います。お風呂にはいった時、本当にしあわせだなぁと感じることができます。
ごはんが食べれるだけでも、ありがたいなぁと思います。ごはんとふりかけの組み合わせだけで、うなぎを食べた気分になった時、まるで落語の世界を生きているようで、防災食研究家になれたようにおもいます。
体調が悪くなって、家で寝込んでいた時、神戸でもらったひまわりの種と、京都からもらったひまわりの種を植えてみたら、とっても大きなひまわりになり、小学生のこどもたちが、先生と見に来て下さる様子が、家の中でいながら、こどもさんの声に元気をいただくことができたことがあります。さまざまなまちで復興や元気を願うひまわりの種の力を感じることができて、しあわせな気持ちになりました。
また、心のケアの大切さを感じて、たくさんの方々に、出会えたことです。たくさんの方々の本や映画や舞台や講座で、貴重な経験をしました。東北の震災の日、東大寺の二月堂のお水取りを、雨の中いて、帰りの電車で、東北が大変な事になっているのを知り、次の日から体調にきて、生きていられるかとおもった時、東北へサンタの姿でプレゼントをくばるボランティアへ往復バスで出かけました。兵庫県の絵本やあそびの伝承士の資格を持っているので、どこかでパフォーマンスをさせて下さいとお願いして、仮設住宅のとなりの集会所で、うたや手話うた、絵本やパペットをつかって、自分の伝えたい気持ちを表現しました。震災で生きのこった方々が、自死や一人で孤独になくなることが、みんながあつまって、たのしいことや笑うことができたらステキだろうなぁというおもいを届けたのです。おばあちゃんやちいさなこどもさんが、がんばってと逆に励まされ、東北にまたみなさんとお会いしたいですが、神戸からさまざまな方にたのしいことやえがおを届けるスマイルエンジェルになりますと約束をしました。
そして私はこれからもたくさんの方々に、えがおを届けるスマイルエンジェルとして、さまざまなことにチャレンジしていきます。
みなさんも電車の中や歩いていて、しんどそうな方をみまもったり、にっこりえがおでその場の雰囲気をあたたかなものにしていきませんか?
生まれてきた赤ちゃんは、みんな誰かをえがおにしていた時代がすべての人にあります。そのことを思い出す事ができれば、人々が支え合い、寄りそい合い、すばらしい世の中になり、復興しなければならない、つらくしんどい時も、ほんの少しでも元気が出るといいと思っています。何もしないで、悲しいだけで終わるのではなく、あの人といるとたのしかった。あの場所へ行くとたのしいという場所や人がたくさんになれば、きっと心の復興も自然とできてくるのではないのかと思います。だいじょうぶじゃなくても、だいじょうぶ、だいじょうぶというまほうのコトバを投げかけてみませんか?
昔の日本の伝統医学、民間療法、薬草やおまじないコトバ、東洋医学のそれぞれのすばらしさや世界のさまざまな医療の世界的なチームを組んで、研究されることがコロナやインフルや熱中症など以前になかった症状や病気をどのように対応するか、早期治療につながっていくこともあるとおもいます。
また、芸術療法にもこどもの頃からアートや音楽やダンスなどで、元気になることを体験させる環境をつくってほしいと願っています。
自然の中を感じるまちづくりや居場所づくり、色やカオリやファッションなど、昔の日本の文化や伝統の中にもたくさんの答がかくされているのかもしれません。
ものづくりや職人さん、自然の中にたくさんのヒントがあり、心のケアという言葉の前にできることを考えてみる大切さを感じています。自分の中にたくさんのいのちがつながれ生きていること。すべてのいのちが大切な宝物で、いのちがまもられることを願っています。
さまざまな経験から大切なことをアートと音楽と笑うことの大切さと、こどもさんから大人さんまで、いろんな方々に絵本のすばらしさを伝えたいです。
以前看護学生さんの前でおはなしした時のことを最後に書きます。
災害やさまざまな方々に、出会うことがあるかもしれません。特にこどもさんたちに、絵本もぬいぐるみもすべてなくなっても、頭の中にあるおはなしで手を口のようにパクパクしてみたり、そっと手をとり、そばにいることが、とても大切な手当になるのだと。
タイトル
スマイルエンジェルMASAKOの約束
投稿者
三嶋雅子
年齢
61歳
1995年の居住地
神戸市須磨区
手記を書いた理由
私は神戸で生まれ育った、大好きなまち神戸が震災でまちも人も傷つき、復興するまでの道のりの長さは、一生かかるのだと思います。4世代神戸在住で戦争・水害・震災とずっと復興しながら、今のまちづくりにつながっているのだと思います。
神戸の震災だけでなく、さまざまな喪失体験を経験しながら、心のケアがおもうようにできていない上に、神戸での震災を経験した後も、カラダとココロの不調が続いた。
災害時は、生活することが精一杯で、心のケアが大切なことなのに、神戸ではなかなか、できなかった事もあったので、東北の震災の時は、テレビやラジオなどで、こころのケアの大切さが、伝えられるようになり、私自身も東北の震災の次の日から体調にきて、さまざまに生きたことを伝えたいと思い、手記にしました。