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携帯電話のない時代、石川県の公衆電話から結婚前の今の夫に職場に電話をしました。大阪では大きな影響がないと聞き、安心した記憶があります。

その後結婚し大阪で暮らし始めましたが、1月になると石川県よりは震災についてテレビで取り上げられることが多いくらいの感覚しかありませんでした。

20年ほど前に宝塚市に引っ越すと、震災関連のイベントの情報を見聞きすることがありましたが、子育てに追われていたので、特に参加することはありませんでした。住んでいたのは、駅前に買い物ができる複合施設ビルがあり、周辺は落ち着いた住宅街で住みやすい環境でした。ある日子供と歩いていて、ふと、この辺りは新しい家ばかりだなと気が付きました。

あっ……と、その時、私は、はじめて震災に触れた気がしました。

その後、この地域は宝塚でも震災の被害が大きかったと知りました。駅前には商店街があったという話を聞きました。駅前のビル内のお店はそこにあったのでしょう。

実際に経験していない私は、意識せず暮らしていましたが、地域には震災の記憶が刻まれていたのです。その「記憶」からはじまることもあるのかもしれません。

タイトル

ある気づきから

投稿者

上村いくみ

年齢

56歳

1995年の居住地

石川県金沢市

手記を書いた理由

芦屋、風文庫さんですすめられました。