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5時46分。乗っていたジェットコースターが、勢いよく跳ね上がった瞬間、大きな石(12型テレビ)がおなかに飛んできて、目を覚ました。

ボーっとして、信じ難いけど、巨大地震や。

「えらいこっちゃ、火事になるで! ガス止めてんな! ストーブとか大丈夫やな?」1階の両親に大声で叫んだ。「大丈夫や。すぐ、大ちゃん見てきて。家つぶれて、死んでるかも知れん」 母から返事があった。

着の身着のままで、ちょっと離れた姉の家に向かった。走ってる間に目にする光景は、地獄絵。前の家はペッちゃんこ。三叉路のブロックは倒れてる。「なんちゅうことしてくれんねや!」 なんか自然に対して、無性に腹立ちを覚えた。姉の家はそこそこ古い。あかんかも知れん……。

祈る気持ちで、到着。家は潰れてなかった。「大丈夫か?」「大丈夫。この子すぐ、ばあしゃんとこ連れて行ってくれる?」甥っ子を毛布にくるんで、おんぶで家に引き返した。よかった、生きてた。

家の玄関では、飼ってた金魚がぷかぷか口を開けて転がってた。助けてやりたいけど、頭が回らん。家の前のがれきの下から、なんか音が聞こえる。猫? 押しつぶされている? そんなことより、人間や。「大丈夫? ケガないか?」「タンス倒れて足ケガした。血出てるけど、まあ大丈夫や」 母から返事。ちょっと待てよ、さっきの猫じゃなくて人間か? もう一度、玄関出たら、近所の若い兄ちゃんが「助けてーって言うてるわ!」と叫んでる。自分も協力して、その兄ちゃんと、がれきをかき分ける。必死。人の力の無さを実感。しばらくかかって「人や! 人や! よかった!」土色になった腕が見えた。みんなで何とか引きずり出せた。何が猫や、前の家に住んでるおっちゃんや。「ありがとう」おっちゃんが礼を言った。直ぐ助けられなかった、自分を責めた。

その横の家、完全につぶれてる。老夫婦が住んでる。さすがにこっちは人の力では無理や。どうしてやることもできん。呆然と時間がただ経っていく。罪悪感と共に家に戻る。

テレビでは石屋川車庫が崩れてる。会社がえらいことになってる。はよ行かんとあかん。家の電話はつながらない。宝塚駅前のバスの事務所で電話を借りて、会社に連絡。さあ……これからやなぁ……。長い日が始まるな。大変や……。

次の日。老夫婦ががれきの下から見つかった。植木や花の話をよくしてた二人がこの世からいなくなった。がれきの傍に足跡でどろどろになった布団があった。立派なタンスもあった。引き出しが抜かれて、ばらばらにされ、着物や帯が散乱していた。昨日から金品目当てにうろつく者がいた。

これが2日間の様子です。

そこにある命を救える自分。でも救うことができない自分も。不幸の中で、悪事を働く。これ全て人間。複雑な気持ち……。

タイトル

震災直後2日間の備忘録(宝塚市川面)

投稿者

村田豊喜

年齢

60歳

1995年の居住地

兵庫県宝塚市

手記を書いた理由

将来のために次世代に伝承することは、私(経験者)の責務であると考えたから。