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私の父方祖父母はともに幼児の時に関東大震災で被災した。関東大震災をきっかけに神戸で暮らすようになったようだ。ところで、祖母の妹は “十四子”と名付けられた。私が小学生の頃、年賀状で十四子おばさんの名前を見るたびに由来が気になった。ある時、おばさんに尋ねてみると、「父がね、関東大震災がとても怖かったからそれを忘れないために2年後の大正14年に生まれた私に十四子と名付けたの。私は嫌だったわ~」と笑いながら答えが返ってきた。

私は中学2年で阪神・淡路大震災を経験した。あれから30年経つが“十四子”と名付けた曾祖父の気持ちがわかる気がする。

震災で被災した時の状況は今でも克明に覚えている。当時住んでいた家は築40年の木造家屋。外壁は半分以上落ち、家も全体的に傾いたが倒壊は免れた。聞けば関東大震災を経験した祖父の父が家を自ら設計した模様。当時、地震が珍しかった関西において、地震に強い家を目指して建てたようだ。

地震発生時、タンスに囲まれて寝ていた私は洋ダンスが足元に倒れてきた。布団がクッションになったのか、幸い大きなけがは無かった。揺れが納まり、枕元のラジオをすぐにつけた。この地震は只事ではないと感じた。関東大震災以来の大地震かもしれない。瞬時にこの経験を話す機会が必ず来ると直感した。腕時計をはめて、何か印象に残る出来事のたび、時計を確認し、脳に記憶することを意識した。

高校生になると、同級生の中に被災者は1割にも満たなかった。1年生の時、担任の先生の勧めで、地震の体験を手記に応募することになった。震災経験を活かし、災害時に人を助ける仕事に就きたいと締めくくった。無事に本に掲載され、私自身にとっても貴重な記録となっている。

社会人になり、目標の仕事に就いた。最初の仕事は復興区画整理事業。運命を感じた。その後、東日本大震災が起こり、震災経験の伝承が重要だと考えるようになった。そんな時、防災ツール「クロスロード」を使って防災啓発に取り組む団体に出会った。中高生を中心に地域や自治体などでもクロスロードの講師を務めるようになる。当時の体験を話すと、会場の空気が一瞬にして変わる。伝承の重要性を実感した。

ある時、知人からの依頼で研究者の先生からインタビューを受けた。研究テーマは“伝承”とのこと。伝承を研究している人がいることを初めて知った。

最近になり、時間の経過とともに伝承がきちんと行われているのか、不安に感じるようになった。自分自身も伝承の研究をするべき時ではないか。震災30年を前に、大学院に進学することを決意した。

現在、後世に伝えていくためにどう伝承すべきかを研究している。たくさんの防災仲間に出会い、刺激を受けながら、大変な研究に足を踏みいれることになった。30年を思い返すと、今までの出会いは“伝承”の運命のレールに乗っていたような気がする。

タイトル

災害伝承の運命

投稿者

福田敬正

年齢

44歳

1995年の居住地

神戸市須磨区

手記を書いた理由

高校生のとき、「阪神大震災を記録しつづける会」の第3冊目の本に執筆し、掲載された。それ以降、執筆することは無かったが、社会人になり、当時の執筆を読み返して、とても貴重な記録であると感じた。
阪神・淡路大震災から30年。10年ほど前から防災啓発に関わるようになり、語り部として、当時の体験を伝えるなど伝承活動をおこなっている。この30年の間に防災の取組みについては大きく変わったと思う反面、当時の出来事の伝承は十分にできていないと感じている。
30年を振り返る中で、以前に掲載いただいた感謝の思いから、今後の伝承について取り組んでいく自分の決意と伝承の大切さを手記の中で伝えていきたいと思い、執筆した。