当時21歳、社会人1年目のことでした。今は50歳なので「震災後」が人生の半分以上です。当時は母一人残して、父と姉と3人で北海道へスキー旅行に行っていたため、不在で地震そのものを経験しておりません。神戸を離れていて地震の揺れを経験していないので、ずっと「真の」被災者とは思えず、非国民のような、引け目を感じ生きてきました。けれども震災2日後からはずっと被災生活をしてきた、それは事実なので、こんな自分でも何か語れることはあるのかもしれない、とようやく思えるようになり、最近になって「あの日あの時どこにいたか、どうしていたか」などを地元の人と話せるようになって来たのです。そんなに時間がかかるものなんだ、心の整理がつくようになるのには。そう思った時にこの手記を知りました。
仕事や結婚で神戸を約10年離れていて、4年前に神戸に戻って来ました。古い家は建て替えました。土地に断層が走っていて、ジャッキアップしても傾きは元には直らず、傾きのある家で水平でない気持ち悪さを感じての長い年月、今思うともしかしたら早逝した両親の健康被害にも繋がっていたのかもしれません。家族内で唯一経験した母はずっと恐怖があったと聞きます。そこは経験していない者との温度差が大きくありました。
被災者だけど私は地震を経験していないし、元気に生きている。自分よりももっと大変でもっと悲しくもっと辛い経験をしている人がいる。そう思うとどうしても自分なんて語るに値しない。「ヒサイシャ」。違和感を覚えながらの30年でした。被災地の中でも被害の度合いは異なり、ずっとモヤモヤした思いを抱えている。そうした人も実は多いのではないかと思い、手記を書きました。
タイトル
揺れを知らない被災者
投稿者
安場由紀子
年齢
50歳
1995年の居住地
神戸市東灘区
手記を書いた理由
昨年の1/17にSNSで震災について思うことを書いたところ、それを見た当時県外住みのママ友さんが「子供に神戸の地震のことを伝えてやりたい、もっと教えてほしい」と言ってくれたことから、実は旅行で神戸を離れていたために地震を実体験していない自分でも、被災者としてほんの少しでも何か語ることは出来るのかもしれないと思ったからです。