「ここ東遊園地では旧居留地時代に外国人のスポーツの場となったほか、震災の慰霊の場にもなっており……」
タウンガイドのボランティアで東遊園地を案内するとき、罪悪感のような、疎外感のような、後ろめたさのような、形容しがたい感情が胸のなかを通りすぎていく。その理由はただ一つ「震災を経験していない」という明白なものだった。
私が生まれたのは阪神・淡路大震災が発生してから4年後のことだった。地震による家屋倒壊が最も酷かった東灘区に実家があったが、幸いなことに深刻な被害は受けなかったようである。私が物心ついたころの街並みは地震があったことも分からないほど綺麗になっていて、黒煙が上がる神戸の街、横倒しになった阪神高速、グチャグチャになった建物などをテレビや写真で見ても、本当にあった出来事なのか実感が湧かない。
そのように震災を経験していない自分が、タウンガイドで観光客に震災のことを説明する行為に違和感を抱えていた。発する言葉には実感が伴わず、どこか他人事でいる自分が浮き彫りになるだけだった。震災のことをもっと知ろうと、関連する書籍や資料を読んでみた。防災士の資格も取得した。それでもなお違和感は残りつづけた。この違和感は恐らくずっと消えないのだろう。東遊園地をガイドするたびに、1月17日が訪れるたびに、違和感は私を神妙な気持ちにさせるのだろう。それでも私は伝え続けていきたいと思う。私を育んでくれたこの街の歴史を。
タイトル
震災を経験していない
投稿者
美籏應登
年齢
25歳
1995年の居住地
生まれていない
手記を書いた理由
行きつけの古本屋さんに勧められたのが動機です。
震災を経験していない世代だからこそ伝えられるものもあるのではないかと思い書きました。