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1月17日からの報道を見て自分も何かせねばとの焦燥感を持った私は、新聞の震災情報欄にあった団体へ問い合わせボランティアに行くことしました。ただ前日は興奮で全く眠れず。何の資格も技術もない自分が行って何になる、との不安もよぎりましたが、とにかく人手にはなれるだろ、と自分に言い聞かせ被災地に向かいました。それが1月27日。

被災地では様々なことをしました。パンやお弁当の配布、物資の仕分けに配給、給水の手伝い(高齢者宅へのポリタンク運び)、引越しの手伝い、掃除、その他雑用。被災地のあちこちで同じようなことを多くの人がしていたはずですが、同じようなことでも関わった人の数だけそれぞれ別の体験があったはずです。

主に避難所での活動で、リーダーの人はいましたが、ボランティアはみな自分の判断でやれることをやっていました。なんでも屋さん的な感じだったので周辺地域の人からの依頼もあり、物置の修理なんてのもやりました。軽トラの後ろにこんもり積んだ引越し荷物に忍者のようにしがみつき移動したりもしました。スリルがあり面白かったですが今思うとかなり危険。

阪神淡路の被災地の多くがそうだったと思いますが、災害ボランティア初体験の人ばかりだったので自分の判断で色々やるしかありませんでした。またお手本を知らないからこそ思い切ってやれた部分もあります。ただそれらがすべて上手く行った、とは言い難いですが。

ボランティアと被災者はする側、される側に分かれていたのでなく、被災者もボランティアに参加していました。救援物資の積み下ろしなどはその時その場にいるみんなでやりました。そもそも発災直後のボランティアは地元の人、被災者がほとんど。昔からある助け合いです。

一時的に町の住民というか居候になった感じもありました。それでお手伝いもする。ボランティアの詰所にはいつも学校を終えた子供が遊びに来て、皆ではしゃぎ回って、遊んでいるのか遊んでもらっているのかよくわからない状態でした。お正月に集まった親戚の子供たちといるような。

私がいた避難所のボランティアはフリーターの人も多く、私もそうでした。被災地での活動をきっかけに海外ボランティアに行った人もいますが、私は特に何者にもなってません。ただ震災ボランティアで人生が変わりました。何がどうでなくボランティア以前と以後に。

誰かのために何かしたい、役に立ちたいと思う気持ちは尊いはずです。それをエゴの押し付けと退けてしまってはあまりに寒々しい世界になります。ただ「役立たずはいらない」と言われる社会は恐怖ですが。

とにかくボランティアに行きたいと思う方、どうぞ行ってください。こんな人が必要なんてありません、いろんな人が必要です。私がいた避難所も本当に様々な人がいました。行きたいけど何の役にも立てないかもしれないと不安に思い迷うあなたこそ行ってください。健闘を祈ります。

タイトル

震災ボランティア30年後の覚え書き

投稿者

つるはし

年齢

58歳

1995年の居住地

大阪府大阪市

手記を書いた理由

30年前の被災地でのボランティア体験は、その後の私の人生を変えるものになりましたが(といっても何者かになった訳でなく現在ただの中年男)、知らない誰かに伝えるようなものでもないとも思っていました。ただ最近になって、誰のどんな体験、どんな証言なら価値がある、もしくはないなんて言えない、さまざまな年齢や立場の人の視点を集めることこそが大事だと考えるようになりました。あとなにより、東日本大震災以降、度々繰り返されるボランティアを巡るネガティブな議論に、30年前ボランティアに参加した者として何か言わねばとも思いました。