「神戸の地震の時さ、このあたりは揺れたの?」
社会科の授業中、黒板の前の先生が唐突に言い放った。彼は少しだけ遠方の大きな街から、私の中学校へと赴任してきた新しい教員だった。私はぱっとノートから顔を上げた。
「揺れたよ」「気づいて起きたもんね」と、同級生がざわつくのを感じた教師は、「へえ、そうなんだ。この辺りは揺れたんだ。ぼくの住んでるところは全く揺れなかったね。朝までぐっすり寝てて、ニュースを見て驚いたもんだったよ。」と返した。
冬の暗い明け方、突然部屋が横に揺れ、小学5年生の私は、異変に気がつきバチっと目を覚ました。家が壊れたのか? 壁にぶつかったのか? なぜ部屋がぐらぐら揺れているのか全くわからず、隣で寝ている妹と布団に潜ることでやりすごそうとした。揺れがおさまった後、別室で寝ているはずの両親が「大丈夫か?!」と慌てて私たちの寝間にやってきたことを今でも覚えている。それは私が初めて体感した地震であり、のちに報道された震度は4を示した。
私の生まれ育った街は、何本もの大きな川に挟まれた、地名に”海”と入る場所だ。そこは空が広く水の綺麗な街だが、過去にさまざまな災害に遭っていた歴史を併せ持つ。大きな川の横には水害を防ぐための巨大な堤防が設置され、それはどの家の屋根よりも高い位置に存在していた。地盤は県内一弱く、すぐに液状化してしまうと授業で再三伝えられた。だからさらに大きな地震があったらどうしたらいいの? 地面はガタガタになって、きっと逃げ場がなくなってしまう。心配性の私は、いつくるかわからない地震に心の底から怯えていた。
先生は私の住む街から1時間ほどの距離にある、県内で一番大きな街からやってきたと語った。それを聞いた私は、自分の生まれた街よりずっと丈夫な場所があることに嬉しさを覚えると同時に、あの時の恐ろしさをちいとも体感してない人がいることに衝撃を受けた。安心な場所にいきたい、あんな怖い思いをしない場所があるならできるだけそこにいたい、頭の片隅でずっとそう思っていた。
そして今手記を書く私は、先生の住んでいた街へと引っ越した。
あの場所よりは安心なのだと、心の中で小さく願い、日々を暮らしている。
タイトル
安心な場所をさがす
投稿者
mini
年齢
41歳
1995年の居住地
岐阜県海津市
手記を書いた理由
能登の震災後、今住んでいる場所の耐震を調べました。結果、自分の出身地と同じぐらい脆弱な場所だということがわかりました。中学校の先生はかなり山奥に住んでいたことに今更気がつき、安心な場所なんてないんだよな……と少しだけ途方に暮れています。