今でも、思い出すと怖いです。大きな揺れのあと、ベランダに出て、東の方角を見たときに、山の向こうに見えた黒い煙。
とんでもないことが起こっているという漠然とした怖さがありました。
初めての地震を経験し、これが地震なのかという感覚と地震が起きると、そのあと何が起こるのだろうという疑問。そして、あの煙は地震が引き起こしたことのひとつなんだという怖さ……これらの感覚は忘れられません。
テレビがうつるようになり、目に入ってきたのは倒れた阪神高速。世界が終わったような気がしました。
身近な人はみんな無事だったけど、いろんな辛い話は聞こえてくるし、街を歩くと当たり前にあったものがなくなっていて、当たり前に進んでいた時間が、止まったり、ゆっくりになったり、街が傷つくことで、なにか欠けてしまった気がしました。
生きていることが本当にありがたいんだけど、なにか欠けてしまいました。
それは、大人になって、神戸に来た友人が何気なく、プラスの意味で言った「神戸は新しくて綺麗な街だね」という言葉を受け止めた時にも、ふと何かが欠けたことを思い出させました。
明日が来るのは当たり前ではありません。けど、そう思いながらも、訪れてくれた新しい今日をいつも通りに、最高の時間を過ごせるように努力したいと思って過ごしています。あと、地震自体は防げないから、防災対策は大事です。
震災よりも前、小さい頃から行ってきますやさようならの時は笑顔でと親から教えられてきたけれど、それは、年をとるごとに、より実感しています。
いろいろあるけれど、笑顔でまた明日。
タイトル
笑顔でまた明日
投稿者
紅美
年齢
41歳
1995年の居住地
神戸市西区
手記を書いた理由
震災当時、小学生だったこともあり、記憶はぼんやりとしています。また、自分自身や身近な人たちに大きな被害はなかったので、震災について語ってよいのかという疑問がありました。
でも、このプロジェクトのメッセージを読んだり、震災以降に生まれた人たちが地震のことを後世に伝えようとしている姿を思い出したりして、震災を経験した自分は、もっとちゃんと伝えていかなくてはいけないのではないかと思いました。