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阪神・淡路大震災が発生した日、私は夢を見ていた。

当時付き合っていた彼女とデートする夢だった。先週に東京で彼女に会ったばっかりだったので、その余韻が残っていたのだろう。ともかくあの大地震が到来するまでは、幸せな一時を過ごしていた。

至福が破られたのは、大きな揺れによる衝撃と、重みによる衝撃が体を襲ったからだった。目覚めより先に痛みが走った。箪笥が倒れ、下敷きになっているような感触だった。

目覚めて、その原因がわかった。私の眠っている布団の左側には本棚があったのだが、それが見事に倒れて覆い被さっていたのだ。当然ながら本は飛び出し、私の体だけでなく、床にも散乱していた。

ぼうっとした頭で、私は状況を理解しようと努めた。

「確か大きな揺れが来たはずだ。恐らく地震だろう。そして、この本棚は……恐らくその地震によって倒れたに違いない」

ともかく私は本棚の下敷きから這い出し、本棚を両手で押し戻した。ばらばらと本が落ちたが、気にしなかった。ようやく元の位置に戻すと、散乱した本を整理し、一つ一つ棚に戻した。

戻しながらふと思った。

「本棚は確かワイヤーで固定していたはず。なのに、どうして倒れたのだろう」

本棚の後ろを確認して原因がわかった。ワイヤーは無惨にも切れていたのだ。針金のワイヤーのはずなのに。

「いったいどれだけすごい揺れが来たんだろう。そうだ、テレビだ」

すぐさまテレビをつけると、画面には衝撃的な映像が映し出されていた。デザスター映画で観るような、竜巻や地震に襲われた後の映像がそこにあった。私は作業する手を止め、呆然とそこに立ち尽くした。

その日職場に出向くと、話題は先の大地震で持ちきりだった。職場のテレビも常時震災の状況を伝えていた。へし曲がった新幹線の陸橋。折れた高速道路から落ち、積み重なった車。割れた道路に落ち込んだ車。呆然と立ちつくす人々と、倒壊した建物の中をのぞく人々。どれも映画のワンシーンのようにしか思えなかった。

「どうして神戸に大地震が……素敵な街が粉々だわ」。

神戸を旅した女性が呟くのが聴こえた。そう言えば、先日彼女から神戸土産をもらったばかりだった。その神戸の街も、映像を観る限りでは、瓦礫の山と化していた。

「えらいこっちゃ、これからどうやって生活するんやろ」

同僚の呟きは私の呟きでもあった。それでも私には期待があった。関西人はきっと立ち上がる。何しろ漫才や落語など笑いの文化を生み出し、発展させた地なのだから。いつしか私は両手を握り締めていた。

タイトル

本棚の下敷きになった私

投稿者

あらいゆう

年齢

56歳

1995年の居住地

岐阜県加茂郡

手記を書いた理由

震災発生当時の自分を記録として残しておきたかったことと、この手記が我が子にも読んで欲しいと思ったから。我が子二人は震災など経験したこともないし、観たこともないからこそ、万が一の危機意識を持って欲しいと思う。その意味でこの手記はとても有効だと思う。