11/23 Sat
EVENT
LECTURE
1995年以降、地震、風水害、コロナ禍など、いくつもの災害が発生してきました。
私たちは、すべての被災地の復旧や復興を見届け、共有することが困難な「災間(さいかん)」を生きています。
過去の災害の記録や表現にもう一度光を当ててみること。そこから、経験を想像し、分かちもつ「分有(ぶんゆう)」の態度を探ること。阪神・淡路大震災から30年目を迎える今、ともに考えてみませんか。
災間スタディーズでは、災厄をめぐって、アートやアーカイブの視点からリサーチを行うゲストを迎え、渦中に生きる人びとが生み出す記録や表現の力について考えます。
「災間」「分有」という2つのキーワードを軸に、阪神・淡路大震災から30年を迎えようとする2025年に向け、震災を経験した地で行われた活動と、それによって生まれた記録や表現に光をあて、さまざまなリサーチやプログラムを通して、継承の糸口をさぐるリサーチプロジェクト「災間スタディーズ:震災30年目の“分有”をさぐる」。全3回シリーズの最終回となる第3回ワークショップでは、ダンサー、散歩家の古川友紀さんをゲストにお迎えします。
「歩く」という素朴な行為のなかにある「動き続けること、感覚が開くこと」に興味を持ち、さまざまな人たちと歩行の実践をしてきた古川友紀さん。古川さんは、2018年、阪神・淡路大震災に関する演劇への参加をきっかけに、神戸のまちの記憶を歩いてなぞる「おもいしワークショップ」を始めました。
第3回は古川さんをナビゲーターに「おもいしワークショップ 湊川編 2024 ver.」を実施します。身体を動かし、地形をたどる。土地の記憶につながるテキストを読み、それを声に出し、過去の出来事に思いを馳せる。ゆっくりと時間をかけて、まちを歩くことから、自分とは異なる誰かの記憶にアプローチしてみましょう。
※開催場所について:会場はデザイン・クリエイティブセンター神戸ではございませんのでご注意ください。
集合:湊川公園 時計塔 MAP
解散:JR新長田駅周辺 MAP
兵庫区から長田区、そして海へと流れ込む湊川。
この川の流域を歩きながら、水害や戦争、震災の記憶を辿ります。
川は、海と山とを繋ぐ水の道であり、
まちとまちや人と人を隔てる境界線でもあり、
異なる水流が混じり合う存在でもあります。
〈繋ぐ、隔てる、混じり合う〉をキーワードにしながら、災間の想像力を、湊川に乗せて歩いてみましょう。
湊川は、六甲山系の石井川と天王谷川の合流点(雪御所公園)からはじまります。
その流路は、もともと神戸港までストンと真っ直ぐでしたが(なので湊川公園や新開地は昔は川だったのです)、
明治期に河川の付け替え工事がなされ、川は途中でクイっと西へ曲げられました。
流路の途中の丘(会下山)では、隧道が通されてそのポッカリ開いた巨大な管の中を流れます。
長田神社のあたりで苅藻川と合流し、海と川の水の混じり合う汽水域を経て、長田の海へ。
水の流れをたどりながら、持ってきた小石を一つどこか気になる場所においてみる
ーーそれが、あなたとまちの記憶との、小さな留め石になるかもしれません。
古川友紀
〈災間文化研究会〉
さまざまな災厄の間(あいだ/なか)を生きているという「災間(さいかん)」の視点に立ち、社会を生き抜く術としての文化的な営みに目を凝らし、耳を傾ける試みを行うグループ。2021年に実施したTokyo Art Research Lab「災間の社会を生きる術(すべ/アート)を探る 災害復興へのいくつもの「かかわり」から」でのディスカッションをきっかけに活動を開始。メンバーは佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)、高森順子(情報科学芸術大学院大学 研究員、阪神大震災を記録しつづける会)、宮本匠(大阪大学大学院人間科学研究科 准教授)、小川智紀(認定NPO法人STスポット横浜 理事長)、田中真実(認定NPO法人STスポット横浜 事務局長)。それぞれ異なるテーマをもって活動し、災間の社会における“間”で動くメディアとしてのふるまいを模索している。2023年5月、記憶を〈分有〉する表現にまつわるメールマガジン「分有通信」発行。bun-tsu編集部には編集者の辻並麻由が参加。
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〈阪神大震災を記録しつづける会〉
阪神・淡路大震災の体験手記を集め、出版する市民団体。阪神・淡路大震災の約1ヶ月後の1995年2月中旬より、神戸で印刷業を営んでいた高森一徳を発起人として活動をはじめる。同会の最初の活動は「震災にかかわったすべての人」を対象に、「原稿用紙5枚程度の自作未発表の体験記、および関係写真」の募集であった。募集ポスターは韓国語、中国語、英語にも翻訳され、外国にルーツをもつ人びとからの手記が広く寄せられることも目指された。1995年5月に最初の手記集『阪神大震災 被災した私たちの記録』を出版。手記集の出版は、約1年に1度のペースでおよそ10年にわたって続いた。10巻までの投稿総数は1,134編。10巻の脱稿後の2004年12月に一徳が急逝し、約5年間の活動休止を経て、2010年に一徳の姪である高森順子が事務局長となり活動を再開した。震災から20年目の2015年には10年ぶりの手記集を出版。25年目の2020年には、これまでの執筆者へのインタビューを収録した記録集を出版し、現在まで活動を続けている。
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1987年、京都府生まれ。歩くという素朴な行為のなかにある運動の持続と世界の受けとめ方に関心をもち、歩行にかかわるいろいろな企画をしている。複数の人と目的地を決めずに歩き、その歩行の軌跡を一本の線で地…(続きを表示)