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2020/8/12

イベントレポート

キイトナイト27 デザインの現在地:デザイン史で読み解く「ニューノーマル」の実体 レポート

7/22

キイトナイト27 デザインの現在地:デザイン史で読み解く「ニューノーマル」の実体を開催しました。新型コロナウイルスの状況下において、デザイナーたちは何を考え、何を実施したのか。デザインリサーチャーの久慈達也さんを講師に迎え、これまでのデザイン史を振り返りながら、コロナ禍を起点にこれからのデザインが社会でどのような役割を担っていくのかをお話しいただきました。内容をレポートにまとめましたので、イベントに参加できなかった方もぜひご覧ください。

 

◯デザインの「現在地」とは
いきなり「今」という2020年のコロナの状況が存在するわけではないため、現状を理解するには今につながる過去の動向を把握することが重要である。また、時代の変化には時間がかかるので、長いスパンでみることも重要である。東日本大震災の節電の動きがたった1年で順応されてしまったように、コロナも一過性である可能性は十分あり、コロナ禍によって社会の価値観は大きく変わらないのではないかと考えている。状況は急速に変化し続けている中で、徐々にコロナを俯瞰的に捉えることができるようになり、今後の取り組んでいくべきことは明確になりつつあると考えている。そこで、戦後からの日本のデザインの変化を振り返りつつ、パンデミック以前からの変化とパンデミックによる変化を確認し、コロナ禍におけるデザイナーが何に取り組んできたのか、今後の可能性とともに分析をしていきたい。

◯「ニューノーマル」を探る
ここでの「ニューノーマル」は、「新しい日常」とも訳される「コロナ禍を経験した生活のあり方全般」をさすものとする。本来は2008年のリーマンショック以後の株価・経済を指した用語であるが、今回でポストコロナの生活・経済の変化を意味するようになった。とりわけ企業にとっては「消費所の購買行動の変化」の意味合いが強い。ではコロナ禍の中で登場した、WithコロナAfterコロナPostコロナといった言葉はどのように違うのか。Withコロナというのはパンデミックが起きてからワクチンができるまでの状態、Afterコロナはロックダウンが解除された後、ワクチン開発までの医療活動が再開される状態、Postコロナはパンデミック発生してからこれからの生活全般のことである。ニューノーマルとは、ロックダウン解除後、パンデミックを経験した後の生活のことを示す言葉であるが、内容を指し示した言葉ではなく、実態が見えない、もしくはないもののことである。ニューノーマルとは、2020年に至るまでの生活文化の中にあると考えていて、新しい生活様式もニューノーマルの中の防疫という一部の構成要素に過ぎない。コロナ以前から社会全体はデジタルトランスフォーメーション(D X)という流れで既に進んでおり、これからもそれがさらに進んでいくということは変わらない。そしてデザインが解決していくべきものとして、コロナ以前の社会課題に合わせて、コロナ禍による防疫的制度設計が増えた。現在この部分がクローズアップされているが、社会全体で見たときの大きなライフスタイルの枠組みは変化していない。

◯戦後の日本の産業とデザインの変遷
戦後の日本の産業・生活文化の変遷を20年ごとに4つに分けて考えることで、コロナ禍のない年がどのような立ち位置にあったのか見えてくるだろう。第1期は1945年の敗戦後の復興期から1964年のオリンピック開催まで。第2期は、日本の工業製品が世界的に高い評価を得た時代で、バブル経済の呼び水となった1985年のプラザ合意まで。第3期は情報化社会の形成期にあたり、デジタル化が大きく進んだ2005年のYouTube設立まで。第4期はその後から現在に至るまでであり、技術の成熟期にあたる。社会構造の変換の完成に近い位置で、コロナ禍は発生した。また、情報化社会への移行の20年の時代と情報化社会の移行期は失われた30年と被っているということに注目している。戦後1957年から始まったグッドデザインの受賞作品は、生活文化のアーカイブであるため、変遷を理解するのに有効な資料を提供してくれる。まず、技術の変化がわかりやすい自動車を例にとって紹介する。1958年、自動車は一般的ではなく、移動手段には主にバイクが使われた。1966年にトヨタのカローラ初代が登場し、この時代の自動車は他社よりも大きく、より力強いデザインへと進化した。そこからスポーツカーや高級セダンのデザインの自動車が誕生し、1983年時代には自動車産業が頂点になった。この後、ライフスタイルが変化したことによって自動車の形も変化した。ワンボックス、軽自動車やハイブリット 、自動運転などの車が登場し、自動車の小型化や端末化などが進んだ。日本の車産業は70年から80年代に全盛期を迎え、その後徐々に衰退していったが、これが失われた30年とほぼ一致しており、日本はこの時代に工業技術が情報技術への移行がうまくいかなかったのではないかと考えている。

―1945年〜65年のデザイン―
戦後の復興の時代、朝鮮戦争の特需を経て日本は高度経済成長を迎えた。1956年「もはや戦後ではない」という言葉には、戦前まで回復したということと、戦後の復興がひと段落し今後の経済発展は難しいという2つの意味が込められている。対外的には日本企業による海外の作品の模倣・盗作が問題視されていたため、1957年に日本独自の優れたデザインに対し、グッドデザイン賞として表彰することが始まった。この頃の日本のデザインは「ジャパニーズモダン」と呼ばれ、家電製品が入ってくる時代になった。生活の電化により専業主婦の家事をする時間は約6時間軽減され、余った時間は「余暇」のを生み出す土壌となり、次の時代に向けて娯楽のニーズが高まっていった。東京オリンピック前後には優れた製品が誕生し、Nikonの一眼レフカメラを手にする報道カメラマンが多く見られた。

―1965年〜85年のデザイン―
戦後の復興の目処がつき、社会の変化も認められてきた時代である。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれるように、産業機器の自動化や医療分野でのハイテク化も進み、日本の工業力に対し世界的に評価が高い時代となった。ウォークマンや卓上電卓などの「小型化」された製品や、燃費がいい自動車がグッドデザイン賞を受賞するなど、性能や見た目の美しさが重視されるデザインの時代へと変化した。

―1985年〜2005年のデザイン―
社会が大きくデジタル化、情報化社会に向け動いた重要な時代である。1993年にケータイのデジタルサービスが開始、1995年にはパーソナルコンピューターが開発され、家庭でもパソコンが使えるようになった。2001年のブロードバンド化でネットが常時接続可能になり、インターネット時代の幕開けとなった。2000年前半には、デザインケータイがグッドデザインを受賞したが、これはバブル経済崩壊で不況に陥り物が売れなくなったため、デザイン価値が置かれる時代へと変化したということを意味している。取り出し口の角度が斜め30度になっている洗濯機など、今につながる生活家電が開発されたのもこの時代である。ミューチップと呼ばれる、非常に小さな非接触I Cチップが開発されたことにより、モノのインターネット化が進んだ。モノが自身で情報を送受信できるようになり、モノが電子でコントロールできるようになった原点の時代である。

―2005年〜2025年のデザイン―
アイフォンが発売されたことによりコンピューターを携帯する時代が始まり、社会のデジタル化、スマート化が急速に進んだ時代である。UberやZoomなど現在頻繁に利用しているサービスは2013年ごろには既に設立されていて、この時からシェアリングという考え方が始まった。2015年にSDGsが採択され、ヨーロッパでは電気自動車以外は認めないなど、ハイブリットのガラパゴス化が進んでいる。東京オリンピックに合わせて東京ではテレワークの準備をしており、社会のデジタル化は進む予定であり、その状況をコロナが強烈な形で後押しした。世界の時価総額ランキングではこの30年で、情報に関わるG A F A、アリババといった企業が上位を占めるという大きな変化があった。ここからも、日本は情報でビジネスができなかった結果が顕著に現れているのではないかと考えている。カーナビゲーションシステムの発達や無印の自動運転車に見られるように、自動車が情報端末になり、ネットワークの中で車が走っているという状態になった。自動車が情報を受け取り、発信する役割を果たしていて、これもDXの一例と言える。東日本大震災以降、デザインは社会課題の解決を期待されるようになり、モノからことへのデザインへと、デザインの活動の幅が広がった。現在、I O TやA I、デジタルファブリケーションなど新たな技術が社会の構造変化を後押ししている状況である。以上の例から分かるように、コロナ以前からこのような技術の発達によって、社会はずっとD Xの方針で動いていた。コロナでシェアという考え方がどうなるかはわからないが、ニューノーマルでしないといけないことは変わっていない。

 

◯コロナ禍とデザイン
では、コロナ禍でどのような取り組みがなされてきたのだろうか。P A N D A I Dという新型コロナ感染対策情報サイトを、東日本大震災の時の「O  L I V E」と比較すると、この10年での情報環境の大きな変化が感じられる。ポータルサイトという、情報が1つに集まる仕組みが壮大化した。医療現場では、フェイスシールドや人工呼吸器の部品などの製作に3Dプリンターの活用がなされたが、デザイン事務所にある3Dプリンターなどが活用された例は少なかった。それは、医療とデザイン事務所をつなぐハブがなかったのが1つの要因であり、スモールファブリケーションが社会インフラ化するには至らなかったように思える。また都市部における自転車需要が急増し、ヨーロッパの各都市は自転車専用レーン「pop-up」を設けた。しかし、コロナ禍以前からフランスでは「自転車で15分」で移動ができるような都市計画があり、ヨーロッパ全体としても自動車社会からの脱却を掲げていたことをふまえると、この例もコロナで後押しされただけのように思える。

◯デザインがなしえること
いつの時代もデザインの目的は「人々の生活を改善すること」であり、「社会に対し良い変化を生むこと」が期待される。それはコロナの状況に置かれた現在においても変わらない。社会の変遷を見てきたように、デジタル化の流れは以前から進行しており、大きく変化したのは防疫的制度設計に対する部分のみであると考えている。デザイン、デザイナーが果たすべきことは何も変化していないが、その中で今まで社会に存在しえなかった「防壁」や目を背けてきた「分断」が顕著化している。例えばフェイスシールド、入国制限、入稿規制、ソーシャルディスタンスの自己防衛による心のバリアなど、今までなかったところに様々な「境界」が、今回のコロナでクローズアップされた。この境界に対する調整が当面の間、デザインが対応するべき問題となるだろう。人の距離など、必要な境界を明確に「可視化」すること、フェイスシールドなどの作られた境界を見栄え良く、かつ安全に社会の中に「最適化」していくこと、そしてできてしまった境界の意味を読み替え、「透明化」することで乗り越えていくこと、この3つの手法が考えられる。透明化の手法が最も重要であり、例としてメキシコとアメリカの国境にシーソーを作った例を紹介し、新たな境界のあり方、コミュニケーションのあり方の可能性を示したい。このような方法論を用いて、これまでなかったところに生じた様々な「境界」に対してデザインは働いていくのではないかと予想する。

 

ソーシャルディスタンス確保のため、ホールを会場としたキイトナイトの開催となりました。最後の質疑応答では、久慈さんに多くの質問に答えていただき意見交換がされました。予測不能なコロナウイルスの状況下において、「今何が起きているのか」ということを社会的な背景から理解を深めるイベントとなりました。

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