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2015/9/10

イベントレポート

「OUR DIARIES KOBE」展/トークイベント「日記の魅力 〜日記文学と日記のことば〜」レポート

8月22日(土)~9月6日(日)

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2Fライブラリを会場にした企画展「OUR DIARIES KOBE 100人が日記で綴る、神戸の日常生活と冒険」を開催しました。

大阪のローカル・カルチャー・マガジン『IN/SECTS』を発行する編集プロダクション・インセクツとの共催企画です。
『IN/SECTS』の最新号・日記特集内の1コーナー、「関西1日記」をベースに、KIITOの展示では、神戸在住または勤務の100名の方に、1日だけ日記を書いていただき、日付順に並べることにしました。本展では「ことば」に注目し、文章だけの日記です。また、日記の他に、日記からピックアップされたフレーズも会場に点在させました。「もう脳みそが煮えくり返っています」「エルヴィス・プレスリー像の前で踊り狂う」など、その日にいったい何があったのか?と興味が湧く、印象的なフレーズばかりです。

会場構成はNO ARCHITECTS。KIITOの他の催事で使用し、余っていた角材を利用して、本展のために、三角形の構造体を設計・制作しました。タイムラインを示す1本の横棒を基準にして、上下の視点の動きが生まれるような作りになっています。


9月5日(土)

関連企画として、9月5日(土)には、「日記の魅力 〜日記文学と日記のことば〜」と題したトークイベントを開催しました。
大阪の詩人・辺口芳典さん、元恵文社一乗寺店店長の堀部篤史さんをゲストに、インセクツの中村悠介さんが聞き手となり、それぞれの視点から、日記の魅力について語っていただきました。

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堀部さんは、『IN/SECTS』の日記特集に寄せたコラム「日記を読む、という悪趣味な愉しみ」に沿って、日記文学の分類や、各分類の中からお薦め日記文学:植草甚一、横尾忠則、『アンネの日記』、『古川ロッパ昭和日記』『池袋母子餓死日記』などの紹介、楽しみ方などを語ってくださいました。

日記文学は、見られることを前提として書かれたもの/そうでないものに大別できるが、淡々とした著述の中に、意図しないところで詩情がにじみ出ることがある。100人の日記も読んでいると自由律俳句や現代詩みたいに感じるときがある。作為的な記述の中だけに詩情があるのではない。また、見られることを前提として書いている日記でも、横尾忠則の日記は、自意識のあり方みたいなものを逆手にとって、淡々と露悪的なことを書いていて、横尾忠則だという自意識がみなぎっている。
日記を、自意識のあり方を背景に感じながら読むと楽しいし、作為のなさに事実の価値を読み取れたり、ポエジーを見出せたりする。フィクションしか読まない・日記文学には手が出ないという人も、そういう楽しみ方に比重を置いて読んでみると、楽しめるのではないか。 …等々、興味深いお話ばかりでした。

辺口さんには、「ダイアリー」「ポエトリー」「ローカル」をキーワードに、詩人という立場から語っていただきました。以下、辺口さんの言葉です。

日記は書かないが、常にメモを取っている。それに日付を書けば日記になってしまうようなもの。メモすることで自分を整理できる。何に自分が心を捉えられたか、どんな世界を見ていたかを記する。ボールペンの減り日本一だと思う。
日記、詩、ローカルはつながっている。
日本語で詩を書くという手法は世界とつながりにくいと思っていたけれど、突きつめていったら世界につながっていった。極端なローカルは日記に行くんじゃないか。そしてローカルは突きつめると世界に行ける。ダイアリーはローカルを突きつめる方法の第一歩。いちばんローカルを追求できるのが詩人。

最後には、100人の日記から辺口さんが気になった言葉をカットアップして、「ダイアリーを経てポエトリーに到達する、一歩手前」の朗読を披露し、締めていただきました。100人の日記から、一部が長短バラバラにカットアップ、リミックスされていますが、不思議とつながり、リズムができ、新しい響きが生み出されていました。

展示、トークを通して、神戸というローカルな100人の日常から浮かび上がる、同時代の共感、それを読み解く楽しみ。日記という形式の奥深さ、そこから広がる世界の幅広さを目の当たりにすることができました。

「OUR DIARIES KOBE -100人が日記で綴る、神戸の日常生活と冒険-」展
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