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2013/10/23

イベントレポート

KIITOアーティスト・イン・レジデンス2013 『なみのこえ 気仙沼』映画上映会 +濱口竜介×本間直樹トークセッション レポート

2013年9月14日(土)

 

「KIITOアーティスト・イン・レジデンス2013」招聘作家の映画監督・濱口竜介さんと、哲学者の本間直樹さんによるトークの場を設けました。濱口さんは、2011年の7月から2013年の4月まで、共同監督の酒井耕さんとともに被災体験の聞き取りを行い、東北三部作を製作。今回はその内のひとつである『なみのこえ 気仙沼』を上映ののち、本間さんが聞き手となり、質問を濱口さんに投げかけるところから始まりました。以下に、話された一部をご紹介いたします。

 

濱口 復興の記録の撮影のために被災地に入った時は、震災の爪痕はあるが、その場所で本当に何が起こったのかを感じ取るには遅すぎる時期でした。さて何を撮ろうかと考えていた時、沿岸部の瓦礫の光景を見て「全部 “モノ”になっちゃった」ということを仙台市に住んでいる同行の方が言っていたのが印象に残りました。瓦礫の映像は当時メディアにたくさん流れていて、そのイメージだけが残っているような状況でしたので、瓦礫がただの“モノ”ではなかったのだ、瓦礫に歴史を与え返すような映像を撮りたい、そのために被災した人たちにインタビューをしてみようと思い至りました。

何を聞いたらいいのか全くわからない、という状態から出発しました。はじめのうちは人の繋がりがなかったので、メディアに出ている方をあたっていきました。ただ、カメラ慣れされている方々は、求められている“被災者”のイメージに答えようとされる傾向がどうしてもあるので、そうではない言葉を拾えるようなインタビューを模索していました。
ある時、とあるご夫婦にお話を聞いたら、二人で思い出し合いながらごく自然に喋ってくれて、それでいてその様子や内容は自分たちの予想を超えるものでした。この体験から、二人の親しい人に対話してもらうのがいいのではないかと思い、しばらく続けてみることにしました。

『なみのおと』の製作を経て『なみのこえ』の頃には、インタビューしたい方と撮影に至るまでに最低三〜四回はお会いし、カメラに撮られているのではなく僕達の前にカメラがある、というふうに安心してもらおう、と決めていました。人はカメラを向けられると萎縮してしまいますが、それを何とか和らげたい、その人自身の言葉が出てきて欲しいと思っていたんですね。

本間 もともと人間関係があった人同士が、震災体験からスタートして話していくうちに人生の真剣勝負がはじまっていく。生き様、語り様があらわれていく。

濱口 事前に、相手への質問を一つくらい考えてほしいとお願いしています。あとは震災当時、以降、そして以前にどうしていたかなど基本的な質問はします。ただ、どういうことを喋ってもらってかまわない、ということは一番大事なこととして伝えています。

 

本間 この映画を見ていて思うのは、ものすごくリアルだけれども、話してもらうという状況は濱口さんが設定しているわけですね。編集されて映画になっている、つまり濱口さんの見たいものを見ているのではないか、という気になってくる。

濱口 実際、二~三時間のインタビューを十数分にまとめる編集を行っていますから、原型をとどめないですね。ですがそうしなくてはいけないという気持ちでした。単なる記録ではなく、いつかだれかに見られるべきもの、という気持ちを強く持っているからです。そのためには、それは単なる記録を越えた凝縮された時間でなくてはならないと考えて、編集していました。

「このインタビューではここが重要なんだ」と、僕と共同監督の酒井が同意できるところを中心に据えて編集します。ただしその部分を切り取っただけでは、映像にした時点で多くの要素が失われ、別のものになってしまいます。その人達と何度も会った記憶や、その場に身をおいて息を詰めて聞いている時に僕達が感じる「良さ」っていうのは回復しません。観客に、その場に立ち会っているような高揚感をまねき寄せ、僕達がその場で感じていたことを少しでも感じてもらうため、もしかするとそれ以上に何かを感じ取ってもらうために編集をしています。

 

本間 また、映像の中の人と向かい合うという、本来ありえない位置におかれる「居心地の悪さ」が面白いです。相手はカメラを見て、自分はスクリーンを見ているのに、視線が噛み合って対峙してしまうことに不自然さを感じると同時に、もっと見たい気持ちにさせられます。

濱口 観客にも、二人の親しい関係性の中に入ってもらい、他人ではないという感覚を持ってくれはしないだろうかと思っています。津波の被害に遭った人たちは、明日も今日と同じような日が来ると思っていたという意味では、私たちと全く変わらない人たちなんだなと。まったく他人事ではないのだと。その実感が、遠く先まで映画を通じて届くといいと思います。

 

本間 「中高生と考える、3.11からの対話リレー」というプロジェクトを行っています。震災体験についても話しますし、「おばけはどうして怖いのか」から「人が生きる、死ぬとはどういうことか」まで何でも話します。対話はその場で起こり消えていくからいいものだと思っていますが、人が語る様子を見て、人は何を思うのか、ということが気になり映像記録をとっています。人が言葉を出していくその瞬間を記録し、別の対話の場で参加者に見てもらい、さらに対話をつなげるというものです。語られない部分が、映像を見ることにより伝染していくことってあるんだなということがわかりました。

濱口 映画は、例えば舞台やダンスなど生で展開されるパフォーマンスに比べて、緊張感を持って観ることができづらいメディアですが、言い換えれば、まったくそれ自体姿を変えることなく残り続け、誰かに受け取られる時を待っているようにも思えます。現代の自分たちにとっての問いを未来の観客に受け渡すことができればいいなと思います。

KIITOでの即興演技ワークショップでは、東北での経験を基にして「聞く」ことを大きな柱としたいと思っています。ドラマや映画で、セリフが発された時にそれを誰も受け止めずに、事態が進行しているのをよく目にします。案外、それをただちゃんと受け止められる環境を作れば、誰でも演技をできるのではないか、という僕自身の疑問から始めました。

動く、話すということももちろん大事ですが、聞かれている、受け取られているということがなければ、何も起こってないのと一緒ではないか。そして、カメラはありのまま起こっていることを写し取ってしまう怖さを持っているのです。ですが今回の試みを通じて、何かが起こる場を作ることができれば、その状況もカメラに写すことができるのではないか、という希望を持って取り組みたいと思っています。

 

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