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2016/2/20

イベントレポート

神戸スタディーズ#4 「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」第2回目 レポート

2016年2月6日(土)

神戸スタディーズ#4 「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」第2回フィールドワーク「商業のまち・復興のまち 三宮」を開催しました。

今回は、第1回の概論で学んだことを頭に置きつつ、実際に三宮を歩きながら、まちの中にあるしるし・痕跡を探して、都市計画やまちの変化を知る回です。

最初は、KIITOにて、講師の村上しほりさんからミニレクチャーです。これから歩くエリアの昔の写真をまとめた小冊子と、1995年2月に神戸大学建設学科調査班によって調査された被災度を色分けして示した地図、1936年制作の手書きの住宅地図も配られました。各種の資料をつきあわせながら、実際のまちを、下記のルートで歩いてきました。

KIITO
外に出る前にKIITOに残る痕跡(第1回レポート参照)も確認しました。
旧生糸検査所の建物は、戦後、GHQから1945年9月25日までに明け渡し命令が下り、横浜生糸検査所に続いて接収されたそうです。2,3,4階は、生糸輸出の復興促進が渇望されていたこともあり1946年に段階的に返還されていくものの、1階の大部分は室内遊技場として使用され、1952年5月に講和条約が発効されるまで返還されなかったとか。

みなとのもり公園
JR貨物神戸港駅の跡地。駅は2003年まで存在していましたが、震災復興事業の一環として、神戸震災復興記念公園となりました。防災設備が整備されているほか、「ニュースポーツ広場」という、スケートボード、インラインスケート、BMX用施設があって、多くの人で賑わっています。神戸港駅時代のレール一部、時計、安全の鐘をモニュメント化して残しており、駅であった時の記憶も留めています。

東遊園地
1868年に外国人居留遊園として開園した場所。さまざまなモニュメントが設置されています。4グループに分かれて、それぞれにiPadを渡して、見つけたモニュメントの写真を撮ってもらいました。
「慰霊と復興のモニュメント」は誰もが知るところですが、改めて探してみると、知らなかったモニュメントがたくさんありました。「ボウリング発祥の地」「神戸復興都市区画整理事業」「水道給水開始30年」「モラエス翁像」「没後200年記念モーツァルト像」「日本近代洋服発祥の地顕彰彫刻」「日本マラソン発祥の地」「加納宗七の像」「命の灯台」ほか、震災による地盤沈下の保存、ブリスベンから贈られた銘板、(三木瀧蔵氏が神戸生糸取引所理事長退任時に寄贈した)噴水、震災復興の願いを込めイタリアのオリーブ協会会長から寄贈されたオリーブの記念樹、等々。

神戸市庁舎展望ロビー
24階の展望ロビーから、今の三宮のまちの眺望を、1960年、1995年といった年に撮られた戦後、災後の写真と見比べました。

三宮駅前~三宮センター街~センタープラザ
駅前は闇市がずらりと並んでいた写真と比べると大きな変化です。そごうは、震災時は新館と旧館をつなぐところが完全に崩れ落ち、大きな被害を受けたそうです。センター街は、戦後焼け野原の中から闇市が出来て、それに対抗するようなかたちで出来たものだそう。当時は土の道で、よしずを張って日を避けてアーケードのようにしている写真があります。
センタープラザ西館の場所にあった公設三宮市場が、再開発時に地下におさめられたというエリアも通りました。

生田筋~東門街~三角マーケット~ムスリムモスク
1965年に台風で東門街のアーチが倒壊して危ない状態になっている写真と見比べました。東門街をしばらく上がってから東側へ入った路地に「三角マーケット」があります。1935年ごろにできた市場とのこと。設立当時も北野や山本通には外国人が多く住み、彼ら向けの商品も多く扱われていたそうです。戦中には全焼、戦後に再建。のちにテナントビルになり市場の店舗も入りつつ営業が続けられましたが、震災でビルが全壊した後の建て直し期間に店舗が離れていき、今は数少ない店舗が営業するのみのようです。
ムスリムモスクは1935年に建てられた日本初のモスク。戦災にも震災にも耐えたそうです。今回は外から見学するのみでしたが、個人での見学は自由にできるようです。

C.A.P.
坂を上がっていくと、旧移住休養所だった建物が、海外移住と文化の交流センターとして活用されている場所があります。館内でさまざまなアートプロジェクトを運営するC.A.P.(芸術と計画会議)の事務所前のラウンジ的なスペースをお借りして、休憩しつつ、東遊園地で撮影した写真をみんなで見て、感想を共有しました。
撮影するものは重なっていても、そこで感じたことやめぐらせた想像がそれぞれ異なり、視点が広がります。
モニュメントの中には「5:46」で止まった時計も止めた時計もある、痕跡が「ない」ことを感じられるか、といったそれだけで掘り下げてみたいトピックも出てきました。また、国際マーケットがあった駅東側、阪高橋脚など、ほかにも足を向けたいところはありましたが、今回はここまでで終了としました。新開地など他のエリアも回ってみたい、という参加者の声もありましたので、次の機会への期待も残しつつ、次回はトークセッションです。

神戸スタディーズ#4 「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」
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