2026/2/24
イベントレポート
災厄の経験を分有する表現の可能性をさぐるリサーチプロジェクト「災間スタディーズ:震災30年目の“分有”をさぐる」。
9月28日(土)に、ゲストを迎えたケーススタディシリーズの第2回ディスカッションを開催しました。
第2回では、佐々木和子さん(震災・まちのアーカイブ会員、神戸大学人文学研究科学術研究員)さんをゲストにお迎えし、災間文化研究会の佐藤李青さん、高森順子さん、宮本匠さんを聞き手に、佐々木さんの約30年にわたる取り組みを振り返りながらご紹介いただきました。どのような記録や人びとの出会いがあったのか、「記録を集め、受け渡す」ことについて、参加者とともに考える時間となりました。

写真:船山哲郎
まずはじめに、災間文化研究会の佐藤李青さんよりプロジェクトの趣旨についてお話いただきました。
佐藤さんからは、「阪神・淡路大震災から30年を迎える神戸において、私たちは「災間」「分有」というテーマでこのような場を設けている。「災間」という言葉は、東日本大震災の後に社会学者の二瓶さんが使われていた言葉。東日本大震災があった後という使い方をしているが、実は次の災害との間とも考えられるのではないかということで「災間」という言葉を使われていました。
その言葉を受け、私たち研究会では、「間」ということばを「中(なか)」に置き換えています。地震があった能登で豪雨があったりといったように一つの災害が起こって、その復興に向かう間に別の災害が起こっているという状況がある中で私たちは災害の後や間ではなく、「中(なか)」に生きているんじゃないかという考えのもとに「災間」という言葉を使っています。その中で、私たちが共有し得ないそれぞれの経験を「分有」というキーワードがあることで思いを馳せたり、そういう出来事があることをみなさんと共有していく術を、ディスカッションなどを通して探っていくのがプログラムの趣旨。佐々木さんからお話を伺う中で、1995年の震災時にどのようなことがあったのか、また、アーカイブや記録に対する当時の様子や出来事を改めて伺い、その当時に起こったことを改めて振り返ることで今に通じるものを考えたり、今のあり方を問い直したりするきっかけにもなるんじゃないかと思っています。」とお話いただきました。

写真:船山哲郎
佐藤さんの導入の後に、ゲストの佐々木和子さんから1995年~2000年頃までの活動について振り返ってお話をいただきました。
佐々木さんは、1996年12月より震災関連の記録保存に関わられ、現在も震災・まちのアーカイブ、神戸大学人文学研究科の地域連携事業などで震災関係資料の記録保存に関わってきています。
現在、震災資料を扱う主な機関としては、人と防災未来センターの資料室、震災・まちのアーカイブ、神戸大学附属図書館 震災文庫、長田区役所にあるひとまち長田震災資料室があります。兵庫県立図書館、神戸市立図書館などでもコーナーが設けられているほか、尼崎市立歴史博物館/あまがさきアーカイブズでは地域資料として保存されています。
佐々木さんは、震災当時芦屋市にお住まいで、一部損壊した家屋で暮らされていたそうです。「ご存じかと思いますが阪神・淡路大震災は場所によって被災状況が異なりました。同じ芦屋市の中でも、阪神高速が落ちた辺り、東灘区との境では、阪急を南に越えると家はぺちゃんこになり、もっと下がると、子どもたちの友人で亡くなってしまった方もいました。その中で災害に関する資料保存をしていくことになったというのが私の話の前提になるかと思います。」
お仕事として「人と防災未来センター」神戸大学の「震災文庫」に、また、ボランティアとして「震災・まちのアーカイブ」に関わって来られました。設立経緯の異なる施設や活動に関わられてきた佐々木さんに、これまでの活動とそこで見たものや考えたことをお話いただきました。

写真:船山哲郎
震災資料収集活動の背景と始まり
阪神・淡路大震災は未曽有の都市直下型地震と言われました。記録保存の必要性が高まった背景として、佐々木さんは次の2点が挙げられるといいます。
1.震災直後から、倒壊家屋の分布報告書やボランティア活動の体験集など、膨大な数の記録報告書や手記が早い時期に出版されたこと(1995年3月頃から)。
2.「ボランティア元年」と言われるように、全国から多くのボランティアが集まり、地元NGOやボランティアをコーディネートする団体も生まれたこと。
「倒壊家屋の分布報告書、地震の予知情報をまとめた記録集、あるいはボランティア活動の体験集などあらゆる場所からそれぞれの専門家が調査研究した膨大な資料が編集、出版されてきたということが「大震災100日の記録」にある貝原俊民知事のお話にも出てきます。非常に沢山の報告書と手記が早いものでは95年の3月頃から出版されています。震災文庫の土木建築の分類をしても、今でも多く出版されたのは1995年。非常に沢山の資料が出てきた時にこれは置いておかなければいけないんじゃないか、後から資料を見るには、集めておく必要があるよねというような流れになっていきました。」という佐々木さんのお話にあるように、震災直後から資料の散逸を防ぐための活動が始まります。
1月末には、地元NGOの連絡会議の中に、歴史資料の救出や震災資料の散逸を防ぐ「文化情報部門」が、その後、3月にはボランティア活動の記録を残す「震災活動記録室」が発足。4月には、大阪を含む阪神間の図書館員など有志による「ライブラリアンネット」が発足し、震災記録の実務者研究会が神戸市役所で開かれ、記録を残そうという機運が高まりました。当時の貝原俊民知事は、「復興に向けた多方面の資料や各種の研究報告が散逸するのを防いで収集保存して公開に努めることが行政の役目だ」と述べています。1995年7月の復興計画に「震災と復興の資料の収集と整理」が項目として入りました。10月には、兵庫県は阪神大震災に関する資料収集事業を(財)21世紀ひようご創造協会に委託し、震災記録の収集と10年間の復興誌づくりを開始。「委託先が外郭団体であったため、行政資料に触れられないなど、行政資料収集には限界がありました。」と、この時期の動きについて佐々木さんは振り返ります。
阪神大震災に関する資料収集事業が始まり、震災資料を集めるために県はチラシを作って呼びかけますが、思うようには集まりません。「資料は集めに行かないと集まらない。人についてくるものだ」という認識に至り、資料収集の専門嘱託3名が雇用され、佐々木さんもこの活動に関わります。
収集方針は、防災だけでなく、都市社会のあり方、政治行政のあり方などを考える糧とするため、被災者の生活実態を含めて、文書、ビデオ、写真などあらゆるメディアの資料を集めることとされました。佐々木さんは「すぐに使えないかもしれないが、行政批判になるようなものも集めてきてください。むしろそういうものこそ必要」と、上司から言われた一言が、活動を進める上で重要だったと話します。
佐々木さんのほか、専門嘱託職員として活動することになった方々は、灘区、東灘区で社会学の調査経験があったり、中央区でボランティアをしていたり、それぞれ関係やネットワークが強いエリアがあったため、阪神間、灘・東灘、中央区・兵庫区といったように担当エリアを分けて調査は進められました。
「やり方はそれぞれに任せて、私は阪神間担当になり避難所周りをしました。はじめるといろいろなことが見えてきました。避難所は臨時のものなので避難所がなくなれば場所もなくなるし、資料を所管しているところもなくなる。そこに残った資料が誰のものかもわからないので、誰に渡していいか判断ができない。何が資料とされるのかも相手は分からないので訪ねても「資料なんて無いですよ。」と言われてしまう。では、「じゃあ避難所でどのような対応をしていたのか、どのような人が来ていたのかお話だけでも聞かせてください。」と伝え、話を聞いていると「ちょっとまって!」と話の流れでノートが出て来たり「そういえば、ボランティアさんがこんなの置いていったな」とその時の資料が出てきたそうです。「私たち専門家は当たり前に思っていたことが通じなかった。資料と言ったってみんなピンとこないんですね。」同時代に起こっているものをどうして残すかという時にどのように説明をするか、貴重な資料であることをどのように分かってもらうのかというのを考えながら被災者の方と話をしていく必要があったと佐々木さんは話します。


大規模資料所在調査と人と防災未来センターへの収蔵
2000年〜2002年には、厚生労働省の緊急地域雇用創出特別交付金を活用し、兵庫県は「震災資料調査事業」を実施しました。半年間の雇用契約で再雇用不可という制約がある中、延べ100人を4期に分けて雇用し、資料の所在を調査が行われました。佐々木さんは収集のためのマニュアル作成、調査票作成に協力、ボランティア団体、会社、学校に加えて一般の家庭(被災者)からの資料収集を重視しました。調査方法の手順は、以下の通りです。
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電話アンケートで調査の許諾確認→直接訪問して資料確認、資料を提供いただく→調査票に記入して1点ずつ表を作成→調査先ごとに資料を整理
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地域を分けて資料収集のための訪問活動が行われた結果、約16万点の資料(写真約12万枚程度を含む)が集まり、人と防災未来センターに保存されました。
「もっとちゃんと公開の意思確認をしておけばよかったなと思うところはありますが、資料を提供いただく段階で、公開の意思を確認して、センターに一任するか別途協議するのかを選んでいただいきました。収蔵された資料について少しだけ残念なのは、収蔵までの経緯があまり残らなかったこと」と佐々木さんは振り返ります。
震災・まちのアーカイブの設立経緯
また、ボランティア元年ともいわれるように、1995年には全国各地からボランティアが集まり、ボランティアをコーディネートする団体も出てきました。
「専門家として「何か自分に出来る事はないか」とみんなこの時に思ったんです。そこがボランティアに繋がるのではないかと思います。地元NGOのボランティアの連絡会議の中には、自分たちの活動の記録も残そうという「震災・活動記録室」というボランティアグループが3月の時点でできました。もう一つ、ボランティアとは何かという時については、外岡秀俊さん(『地震と社会』)が、非常にまとまったドキュメントを出していらっしゃいます。その中では、ボランティアは日本にはなかなか根付いていないけれども、誰かを助けるために自発的に「分際」を越えてしまうということではないかと定義付けられました。職責上当然に義務付けられること、自発的にしようとすること、あるいはその人というような定義。義務付けられるということより一歩外にでるというのがボランティアだ」と佐々木さんは言います。
ボランティア団体である「震災・活動記録室」は、当初の記録を残すという活動から、被災者への情報提供など、活動目的が変遷していきました。「始めた頃は記録を残そうと動いていくが、だんだんとやりたい事に違いが出てくる。被災者への情報提供の方が大事ではないかという人も出てくる。」と佐々木さん。震災・活動記録室は資料を公開する場所が無かったので、震災文庫に持って行くという話になった。震災文庫は図書館なので、公開できるものしか預かれない。アーカイブでは、30年後とか個人情報の保護などを考えながら公開するまで持っておくことができるが、寄贈するために公開判別をしなくてはいけないため、どの情報を隠すのか基準がないのでとても難しかったそうです。
1998年頃、情報提供をするグループと預かった資料を整理・公開するグループに分かれ、後者が「震災・まちのアーカイブ」の設立に繋がりました。設立当初は歴史研究者、詩人、主婦など多様なメンバーが集まり、現在では、女性メンバーが中心となって活動を継続し、会報『瓦版なまず』を発行。活動10年目、20年目は、発行していた瓦版を合本して本を発行します。2005年には、メンバーが参加する記憶表現の在り方を研究するグループが発足。調査研究を行い、展覧会「Someday, for somebody いつかの、だれかに」が開催されました。震災まちのアーカイブでは、「棚へ 未来の配達のために」という、震災一時資料を用いたインスタレーション作品を展示しました。
展覧会「Someday, for somebody いつかの、だれかに~阪神大震災・記憶の<分有>のためのミュージアム構想|展」は、災間スタディーズというプロジェクトを立ち上げる際、この活動への応答する場として立ちあがった経緯もあります。展覧会のカタログは、震災文庫でご覧いただくことができます。

神戸大学附属図書館 震災文庫
また、神戸大学附属図書館の職員は、発災直後、「図書館は、本来は本を集めていればよいけれども、この後、震災に関連することについて知りたいと思った時に、ミニコミ誌であったり、チラシなども含めて残していく必要があるんじゃないか」と、図書館の「分際」をこえて、資料の収集にあたりました。そして、広がり始めたインターネット上での資料目録の公開をおこない、デジタルアーカイブの先駆けとなりました。神戸大学に勤められるようになってから、佐々木さんは肖像権ガイドライン適用などの実践的研究を行い、情報公開や資料継承の重要性を提唱。佐々木さんが関わられた資料収集の経験や知見は、東日本大震災の後の資料保存活動にも、様々な形で活かされているそうです。
(後半につづく)
文:大泉愛子(デザイン・クリエイティブセンター神戸)
#2 ディスカッション「記録を集め、受け渡す」
日時:9月28日(土)14:00~17:00
場所:ギャラリーC
ゲスト:佐々木和子(震災・まちのアーカイブ会員、神戸大学人文学研究科学術研究員)
聞き手:佐藤李青、高森順子、宮本匠(災間文化研究会)
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災間スタディーズ:震災30年目の分有をさぐる
期間:2023年11月18日(土)~2025年3月30日(日)
● 阪神・淡路大震災から「30年目の手記」
募集期間:2024年1月17日(水)〜12月17日(火)
● 分有資料室
期間:2024年3月30日(土)~2025年3月30日(日)※月曜休(祝日の場合は翌日休館)