2024/11/4
イベントレポート
災間スタディーズ#3では、古川友紀さん(ダンサー、散歩家)をナビゲーターにお迎えし、「おもいしワークショップ 湊川編 2024 ver.」を2024年11月23日に開催します。身体を動かし、地形をたどり、土地の記憶にまつわる記録をつかって、過去の出来事に思いを馳せる。ゆっくりと時間をかけて、まちを歩くことから、自分とは異なる誰かの記憶にアプローチしてみる企画です。
*プログラムの詳細はこちら
この道行きノートでは、災間文化研究会のメンバーが「おもいしワークショップ 湊川編 2024 ver.」の道のりを記していきます。ひとつが企画がどう展開し、古川さんにプログラムの実施を投げかけたメンバーが何を考えたのか、その応答の記録です。今回は11月の本番に先立って、9月にプレ実施したワークショップの様子をお届けします。
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一本の線が途切れることがある。手編みのマフラーを作る途中だった場合もあるし、キャリア形成ルートの最中かもしれない。大学進学をしくじった東京の高校生二名は、ヤケッパチの四国旅行を計画したのだけれど、私たちの新幹線ルートは途切れ点線になってしまった。断念もできたけれど、せっかくだからと無理やりに点線区間を代行バスに乗り継ぎ出かけた。1995年3月のことだった。三ノ宮駅周辺は長蛇の列だったが、次々にバスが発着しスムーズに進む。車窓からは怪獣が踏みつぶしたように倒壊した建物が続いて見え「あっ」と声をあげてしまったが、私たち以外、満員の車内は静かだった。四国でどこに出かけたかは覚えていない。仲の良かった友人とはこの旅行以後、会っていない。
明治期、列強の脅威に追い立てられながら、日本政府はとにかく近代国家を作り上げていく。学制発布や廃藩置県などに遅れて、1896年に成立したのが河川法だ。その第3条には「河川並びにその敷地もしくは流水は私権の目的となることを得ず」とある。治水を目的としたこの法律で、河川は国の営造物と明確に示され、いわゆる公共空間となり、河川の国家管理体制がスタートしたことになる。県が管理する二級河川の湊川では、一本の線という流路の付け替え工事を1897年から行った。水害の頻発と、神戸港への土砂流出防止が目的であった。日本初の河川トンネル・湊川隧道が作られ、流路は大きく形を変えた。もとの流路だった土地は商店街になり、さらにその下流は現在の新開地である。
ダンサー・古川友紀と一緒にまちを歩く。湊川公園の時計塔の下で待ち合わせて、JR新長田駅の向こうで解散するまで、八時間の行程だ。ゆるゆると話しながら、もくもくと建物を眺めながら、曇天のまちを行く。自転車をやり過ごし立ち止まると、川端に記念碑が多く建っている。1938年の阪神大水害、1945年の神戸大空襲、1995年の阪神・淡路大震災などを契機に作られているものがある。少なくとも当時は切実な思いを持った誰かがいて、社会の時流や資金の多寡、維持管理体制の構築など、多くの要因が絡まった結果として、いま私がこのモニュメントを見ているわけだ。いずれの碑も存在感がある。こんにちただいま、これらのモニュメントにどんな価値があるのかは興味がない、ただ私たちは経験したんだぞ、といわんばかりの潔さ。こんな風に体を投げ出せたなら。公園で大の字になって寝転んでみる。
新湊川の川面近くまで階段で降りてみる。地上ははるか上方にあり、おっかない。鉄砲水が来そうな場合には、ところどころにある黄色ランプが増水の危険を知らせてくれるらしい。川底に染み込まないよう護岸がコンクリートで作っているから当たり前なのだが、殺風景で味気ない。ダンサーの古川さんは、この河道を何年にもわたって定点観測的に歩いている。ある夏の日、古川さんはおばさんに出会ったそうだ。すまなさそうな顔をした彼女は、持ってきたプラスチック製の灯篭を川に浮かべた。「本当はゴミになるから、流しちゃいけないんだけどね」と言い訳をしながら、灯篭を見送っていたという。私は「灯篭って拝むものなんでしょうか」と古川さんに聞いてみた。「拝むよりも、見送ることに意味があるんじゃないかと思います」と古川さんがいう。コンクリートの川底で灯篭を追うふたりの背中が浮かぶ。何のための灯篭なのかは、聞きそびれた。本線に辿り着くことのないできごと。だけど、全的な経験。そんなことは、そこかしこにきっとあるのだ。
本棚の前でふと思いついて、一冊を取り出し、ページを繰ってみる。たとえば、哲学者のジョン・デューイはこんな風に書いた。「コミュニケーション――分有された生、分有された経験という奇跡――が持っている感情的な力、神秘的とも言えるその力を内発的に感じられるとき、現代の粗野で過酷な生活は、かつて陸にも海にも存在しなかった光に洗われるだろう」。粗野で過酷な生活とは何だろう。陸にも海にも存在しなかった光とは何だろうか。
一本の線の周辺では、まとめられようもない無数の経験が重なっている。何かの形で表現され、忘れられ、発見され、見過ごされながら、時間が経過する。今日も自転車の高校生たちが、目の前を行き過ぎていく。そんな風に私は今年、神戸のまちを経験した。
(付記)途中のジョン・デューイのテキストは『哲学の改造』の一節ですが、訳文は木下慎さんの「デューイにおける経験の分有について―目的合理性と合一的共同性を超えて―」https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/49817/files/4408.pdf から引用しました。
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災間スタディーズ:震災30年目の分有をさぐる
期間:2023年11月18日(土)~2025年3月30日(日)
● 阪神・淡路大震災から「30年目の手記」
募集期間:2024年1月17日(水)〜12月17日(火)
● 分有資料室
期間:2024年3月30日(土)~2025年3月30日(日)※月曜休(祝日の場合は翌日休館)