お知らせ・レポート

下記のイベントを開催いたします。ぜひご参加ください。
※お申し込みが必要なイベントに関しては、各ページの一番下の申込。

・KIITOの魅力がもりだくさんの日!「オープンKIITO」
詳しくはこちら

・Found MUJI 神戸 リサーチ編~MUJI+クリエイティブゼミ 成果発表展~
詳しくはこちら

・MUJI+クリエイティブゼミ 特別レクチャーvol.4 「無印良品の企画開発〜インハウスデザイナーの仕事〜」
詳しくはこちら

・子育て支援イベント「kiiro フェスタ」
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2014年2月18日(火)

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第6回目のゼミを開催しました。次週からの成果発表会に向け、各自準備を進めました。
後半には1週間のリサーチ報告を行いました。

1週間報告
・自分が子どもだったらスマートフォンのゲーム等の機能にはまってしまうだろう
・子どもに、人と会って話す楽しさも知ってほしいと思う
・インターネットの情報がすべてになってしまっている人もいる
・インターネットで得る情報は、広いようで限られている
・情報の幅が狭い、偏っている
・新聞や雑誌からの情報も大切である
・子どもを交えて議論をしてみたい
・子どもを持つ母親は、スマートフォン一つで子どもをあやせるのは便利(おもちゃはかさばる)
・よく知っている友人は性格や雰囲気が分かっているが、よく知らない人とLINEでやり取りをすると、
 気持ちを読み取るのが難しく、誤った解釈をしてしまう可能性がある

神戸市西区で行われた「青少年ネットモラル向上指導者セミナー」報告
・学校関係者、警察関係者が170名ほど参加
・ケータイの問題は、先生、PTA、警察、セキュリティー会社、みんな困っている
・子どもの常識と、大人の常識には大きな差がある
・子どものケータイ問題は小学校4年生から中学校1年生までが主戦場である
・LINEでのメールでのやりとりは、会話感覚で行っている
・友人限定でアップしていた画像が、友人を通じて、全体へ広がり、事件になった例もある
・一度悪いことでネットに名前が出てしまうと、ずっと残ってしまい、就職や結婚にまで影響がある
・インターネットは匿名ではない
・スマートフォンを持っていない子どもでも音楽プレーヤーなどでLINEを使っている
・何か困っても、子どもは親や先生にはなかなか相談しない(友達に相談する)
・青少年の被害は年々増加傾向にある(兵庫県)
・フィルタリング機能を知らない人が多く、またカスタマイズできることも知られていない
・学校単位でケータイ問題は異なる
・KS(既読スルー)などで壊れる人間関係はさみしい
・スマートフォンの問題は心の問題である

次週、次々週の2回に分けて、成果発表を行います。
毎週話し合い、リサーチを進めることでの気づき、また気づきの先やこれからケータイとの付き合い方にいて発表します。


+クリエイティブゼミvol.8 教育(メディアリテラシー)編 こども×ケータイ研究所
http://kiito.jp/schedule/seminar/article/6672/

3月1日(土)~3月30日(日)に開催する
「Found MUJI 神戸 リサーチ編~MUJI+クリエイティブゼミ 成果発表展~」の設営のため、
一部開廊日に変更があります。お越しになられる際はご注意ください。

2月27日(木) 展示設営のため休廊
2月28日(金) 展示設営のため休廊

MUJI

2014年2月11日(火)

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第5回目のゼミを開催しました。毎回行っている1週間のリサーチ報告を行いました。
・29歳以下の母親は80%がスマートフォンを利用している。
・2歳以下の子ども約22%がスマートフォン、タブレット端末を触ったことがある。
・助産師さんに聞いたところ、授乳しながらスマートフォンを操作している人も多い。
・父親の帰りを待つ子どもで、実際待っているのは父親ではなく、
 父親の持っているタブレット端末であるという話もあった。(子どもはタブレット端末のゲームがしたい)
・中高生はスマホではなく、ゲーム機や音楽プレイヤーでLINEをしている。
・フィルタリング機能は日本発の技術であり、世界の先進国では注目されている。
・ITの進化のスピードはドックイヤーと言われ1年間に6年も進みます。
・キャンプに参加し、そこに来ている子どもたちは、ケータイを持たずに、
 そこにあるものでさまざまな遊びを見つけていました。
・高校生などにもケータイやウェブの世界だけでなく他にも楽しいものがあること、
 環境や場所を伝えたいと思った。
・リア充(現実の生活が充実している)な人は、そうでない人よりインターネットの利用時間が短く、
 睡眠時間が長いという調査結果などを見ていると、
 充実するための要因は自分自身が見つけるしかないのではないか。
・リア充は、とりわけ彼氏、彼女ができることに一番ステータスが高いようである。
・LINEの調査によると、3割以上が、LINEを利用し夫婦で気軽に連絡を取り合うことで、
 夫婦関係が良くなった。
・LINEでのトラブルの多くは勘違いされる言い回しによるものが多い。
 (例:「面白くない」←おもしろいでしょ?と共感を求める意味とつまらないという意味)

各自ケータイに対して意識を持ちながら生活することで、様々な現状が見えてきました。
今後さらにリサーチを進め、最終の成果発表ではリサーチしたことや、ゼミで話し合ったことで気づいたことや発見、テーマ、自分はこうしていきたいなどをまとめ、発表します。

+クリエイティブゼミvol.8 教育(メディアリテラシー)編 こども×ケータイ研究所
http://kiito.jp/schedule/seminar/article/6672/

デザイン・クリエイティブセンター神戸で、2014年2・3月に開催する催事についてプレスリリースいたします。

プレスリリースはこちら(PDF)

2013年12月15日(日)

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山形県にある地元食材を使ったレストラン、アル・ケッチァーノのオーナーシェフ、奥田政行氏をお招き、+クリエイティブレクチャーを開催しました。奥田氏が行っている食を軸にした地域づくりの活動の展開や最新の活動についても伺いました。レクチャー後には、交流会も行い、奥田氏は参加者からのたくさんの質問に答えていました。
奥田氏の出身地でもある山形県庄内地方での、無登録農薬問題でついてしまった悪い印象から、「食の都庄内」へ変えていった、考え方、人を巻き込む仕組みなどの経験を生かし、東日本大震災への支援を先頭に立って行っています。入院期間でも、その時でしか学べないことにチャレンジしていました。それらの経験や学びから、食を通して日本を元気にする活動を精力的に続けています。

奥田氏
私はよく兵庫県に来ています。今日も、淡路島にある「のじまスコーラ」というパソナさんと一緒に行っている地域活性、人材育成事業の施設で、ディナーをつくって、ここへ来ました。「のじまスコーラ」へは、アル・ケッチァーノで一番優秀な人材を送っています。ぜひ食べに行ってみてください。「アル・ケッチァーノと同じ料理を作って下さい」というと作ってくれます。

アル・ケッチァーノとは
アル・ケッチァーノは、山形県の海側にある10万人都市で鶴岡市というところにあります。あまり知られていませんが、国宝と重要文化財が東北で一番多い町です。このことは地元の人もあまり知りません。以前は何人もの人が事業に失敗したお化け屋敷と言われた建物でしたが、アル・ケッチァーノに変わり、現在は日本中からお客さんが来るお店にになっています。開店当時は借金もありお皿はすべて100円ショップで購入したものでした。店内の絵は、額縁だけ高いものを購入し、中身は画集でした。エスプレッソコーヒーのスプーンも普通に買うと300円しますが、七味唐辛子用のものは35円で購入でききました。メニュー表を購入するお金もなかったので、黒板にメニューを書いていました。
ランチ倒産という言葉を聞いたことがあるでしょうか。安価なランチタイムにはお客さんが入るが、高価なディナータイムにはお客が来なく、お店が潰れてしまうことです。ランチタイムの安くした金額はお客さんにとってサービスとは思っていなく、ただディナータイムは金額が高いと思っています。アル・ケッチァーノはランチも、ディナーも同じ値段です。2003年から2008年2月までお店が満席にならなかった日はありませんでした。

野菜が主役の料理
料理本のレシピは、東京に入ってくるまで何日も何時間もたった野菜を美味しくする料理をしています。例えば、トマトの冷たいパスタは、トマトを湯むきして、カットして、塩、はちみつ、ビネガー、オリーブオイルで半日漬け込んで、冷たいパスタと和えます。なぜ、トマトにはちみつとビネガーを加えるのかというと、東京で購入できるトマトが甘くも酸っぱくもないためです。新鮮で香があり、畑で採りたての野菜を使えば、調味料がいらないことが分かります。アル・ケッチァーノの料理は違います。甘くて酸っぱいトマトを探しに行き、それを収穫し料理をしました。自然とそういったスタイルになっていきました。東京で購入できるトマトは青いうちに収穫し、農協が持っていきます。そして市場で赤くなっていくのを待ち、お客さんに届きます。つまり未熟のまま、枝から栄養をもらう前に収穫されたトマトなので、甘くも酸っぱくもないです。調味料というのは本来、完熟した状態の野菜が採れれば必要ありません。

地元のものが本当においしいのか?
現在百貨店などでも販売されている平田赤ネギはご存知でしょうか。昔は細いネギで、特に注目を浴びることのなかった江戸時代からある伝統的な酒田市の野菜です。私は生産者にポロネギという西洋のネギを食べさせ、こういうネギが、世界が美味しいというネギであることを伝えました。それ以外にも生産者にさまざまなお店でネギ料理を食べてもらい、どのように料理したらいいのかを一緒に考えていきました。畑の中から根元から枝分かれしない1本のネギを見つけ、その種を選抜し栽培しました。その後平田赤ネギがブランドとなり、畑の面積が8倍へ広がり、NHK番組などでも紹介されました。

地元のものは安全、安心なのか?
無農薬栽培にチャレンジしましたが、料理人である自分が1日中草むしりをして終わってしまうことが分かり、料理人をしながら畑をすることはできなことが分かりました。それでも、安全、安心な無農薬のものを使いたいと考えているとき、在来作物(※)に出会いました。庄内には約70種類の在来作物があります。これらを調べていくと、太平洋戦争後、日本に多く農薬が撒かれたので、それ以前に作られた野菜に注目しました。
在来種のきゅうりは、現在市場に出回るのきゅうりと味がことなり、それらと同じように調理をしてもおいしくありません。そこで、私は在来種のきゅうりを食べて、食べて、吐き気がするまで食べました。その時にあ!ツナが食べたい、油が食べたいと思い、そのきゅうりに合わせて料理を作っていきました。
そのように考えていった料理は…
きゅうりの水分を生かすために、カレイをパサつかせて焼いて、その上にきゅうりをのせ、パサついたカレイときゅうりを一緒に食べると、口の中できゅうりがカレイの中に入り込んで、カレイが瓜の香りがして美味しくなります。
だだちゃ豆を考えた際は、豆のひげから髭を連想し、食べ続けました。だだちゃ豆はホタテの香りのする豆なので、エビの香りがする牛乳をカプチーノのように泡立て、それをつけて食べると、泡がひげにつき、ホタテの味とエビと乳製品で、高級なフランス料理のオマールエビのムースのような香りになります
海を料理したいと思い、庄内浜の魚は瓜の香りがするので、シチリアの青草の香りがするオリーブオイルをかけると、メロンの香りに変わります。満月の満潮時の海水から取った塩は少し苦みがあり、マグネシウムの多い塩になるので、それを刺身にかけます。
1口目、おしいのかな?2口目、メロンの香りがする。3口目おしいいと思います。もっと食べたいと思う時にはもうありません。そこで庄内の海を連想します。

※在来作物:ある地域で、世代を越えて、栽培者によって種苗の保存が続けられ、特定の用途に供されてきた作物。

野菜の地質学
野菜の種類は何万種類もあり、自分の人生を80歳と仮定し、1日24時間で割って、1つの野菜を勉強するのに100時間かかるとすると…一生かけてもすべての野菜を勉強することはできないことがわかりました。
神戸でできる小松菜と庄内でできる小松菜は種が同じでも、味は異なります。日本海側や太平洋側でも異なります。水が小松菜に与える影響、土が小松菜に与える影響、風が小松菜に与える影響、太陽が小松菜に与える影響を勉強しようと思い、そこで地質学を勉強しました。水土風太陽を勉強するといろいろなことが分かります。

食の都庄内へ
食の都にするにはどうしたらいいのか。庄内の野菜を次につなげ、次の世代で料理人のスーパースターが生まれるシナリオを考えました。
地元の食材がなくならないように、地元のお母さんたちに地元の野菜を使った料理教室を開きました。田舎なので料理講習会の謝礼はとても少ないです。お母さんたちが地元の食材を知れば子どもに食べさせます。それを食べた子どもの中から、何千人に1人でも料理人になりたいという子どもが出てくるといいなと思います。
おじいちゃんおばあちゃんには適地適作について地図を用いて教えます。庄内のタケノコの美味しい地域、アスパラの美味しいのはここですなど産地を教えています。おじいちゃんおばあちゃんに教えることで、孫に伝わります。
自分は庄内の裾野づくりをしようと思い、将来の世代で食の都完成を目指しました。
そのように走り出したときに、2002年に、山形県を中心に無登録農薬問題が起きました。登録をしていない農薬を使用したので、その農薬を使用した野菜や果物すべて廃棄処分になりました。全国のニュースで流れ、生産者には自殺者もいました。この時期に京都の錦市場に行くと、「山形産ラ・フランス安全です」と書かれていましたが、誰も見向きもしていませんでした。山形県は大変なことになってしまったと思いました。このままでは山形県の生産者の方の未来が見えなくなってしまうと思いました。そこで何とかしなければいけないと思い、わたしは32歳の時に、無登録農薬を使った山形ではなく、「食の都山形」であることを目指す図を作成しました。庄内にはどんな風景はあるのか、生態系は何が残っているのか、軍人はどのような人が出ていたのか、歴史的建造物、無形文化財…を書き出しました。あやふやな記憶はすべて文章で残し、それらが体系化した時に食の都が完成すると思いました。1人ではできなので、行政がやる事、個人がやる事、アル・ケッチァーノがやる事、私がやる事、全て分類しました。

名コンビ
料理以外に教えなければいけないと思い、大学の先生と一緒にいろいろ活動をしました。地元の野菜に私が物語をつくり、先生が学術的なことを付け加えました。このことはとても重要で、私が話をすると、この人が言っていることは本当か?と思いますが、大学の教授にマイクを渡すと、突然みんな信用します。しかし大学教授が話すと話が固いので、みんな寝てしまいます。その時にマイクを私が借りて話をするとみんな起きます。それを2人で繰り返し、漫才コンビのようにして、山形県内中を回りました。

常に笑う
『四季の味』という全国誌で、山形県庄内の食材の連載依頼が来ました。この時に、食習慣を食文化に変えれば、この町が変わると思いました。食習慣ひとつひとつに物語をつけていき、物語が溜まっていくと、食文化に変わります。ちなみに撮影で使用したお皿は陶芸家が作った45,000円です。アル・ケッチァーノのお皿は当時100円ショップでの購入品です。450倍のお値段のお皿に料理がのっています。お皿に見合う料理を作れば、食の都として認められていく、庄内に光が当たります。毎回立派なお皿が届くので、それに合うように普段食べている料理に、猛勉強しほとんど寝ない生活で物語をつけました。そうすると、読者が増えました。次にクロワッサンの連載が来ました。
最近はどうやったら転がっていくのかが分かってきました。「連載してください」と言われるときに、相手が奥田政行に期待するイメージを上回る120点の事をすると、うまく転がっていきます。しかしスタッフが辞めていきます。気づいたときには怖い顔をして仕事をしていました。料理をして、レシピを作って、文章を書いて、FAXをすると、次のものが来て…睡眠時間は2時間でした。
ある日から、苦しくやらないで、笑ってみようと思いました。常に笑う。スタッフが辞めて行ってしまうので…。そうしたら「ズームイン朝」がやってきました。この時も笑いました。私のおもてなし論は、自分の持っている物をすべてその時の為に全部出すことです。この時、調理学校で先生もしていたので、朝4時に準備をしました。もし失敗しても2重3重に準備をしました。その結果は大成功でした。

食の都庄内完成
「ズームイン朝」の歴代の司会者に美味しいものを食べさせるという企画で、徳光和夫さんに山形の食材美味しいねと言わせれば、「無登録農薬問題の山形県」が日本全国で「おいしい山形県」に変わると思い、徹夜で挑みました。そして徳光さんがレンズマメのリゾットで食べ、「山形県の食材は美味しいね」と言ったとき、山形県の無登録農薬問題は終わったと思いました。
たくさんの雑誌などにアル・ケッチァーノの事が掲載され、そのことで庄内に光が当たると思いました。「情熱大陸」にも出ました。出演するときのは、庄内の風景をきれいに映すことでした。放送後、魚を買いに行ったら知らないおばちゃんに抱き着かれ、「庄内が全国に届いた、ありがとう」と言われました。スローフードの全国大会の開催やSLが走るなど、いろいろなことが起こりました。食の都と検索をすると、大阪ではなく、庄内がはじめに出てきます。自分の世代で一生かけてやっていき、次に世代をイメージしていたことが、食の都庄内になりました。ミシュランガイドにも出ています。「おくりびと」という映画の影響で、山形県で4位の観光地だった庄内が、今は1位になりました。
そんな中、東日本大震災が起こりました。

思い込み
原発の問題は、無登録農薬問題と似ていたので、勝手に自分がこの問題を解決しようと思いました。思い込みは大事です。自分にしか日本を助ける人はいないと思いこみました。無登録農薬問題の時のことを思い出し、何をしたかを考えました。まずは生産者のところへ行き、生産者と語り合いました。問題を聞いて、現状を聞いて、一緒に未来を語り、行動を起こし、行政に働きかけ、目標をつくり、生産者の方々と先輩のシェフたちと、気持ちを一つにして地域を元気にしていきました。必ず現状を知るという事が大切なので、炊き出しをしながら、現地はどうなっているのかを知り、そこで自分が何をすべきなのかを考えました。お店を閉めた夜に出て、明け方にいわきに着き、炊き出しをして帰ってくるという生活をしていました。私は一番炊き出しに行った料理人だと思います。毎日魚を食べていた人が、魚を食べられなくなったので、お寿司をつくると、痴呆症のおばあちゃんが良くなりました。
次に生産者が自立できる環境をつくろうと思いました。瓦礫の撤去作業ばかりしている漁師に、牡蠣の丼をつくるために牡蠣を採って欲しいとお願いし、海に入るのを躊躇していた漁師に、海に入ってもらいました。自ら立ち直るためには自ら体を動かすことが大切です。自分たちで採った牡蠣を3か月ぶりに食べると、自然と笑顔になります。その後、さまざまな問題がある中、漁が始まりました。

入院
東京スカイツリーでプロデュースしているお店で、福島のスタッフが川俣シャモに放射能測定器で測り、安全性を証明し、誰もが使う前に食材として使用しました。このことは新聞などにも取り上げられ、震災前の2/3まで売り上げが戻りました。庄内で実践したことを福島でも実践しました。福島を元気にするには具体的に何をすればいいのか考え、まずは地元の人が盛り上がって、完全に放射能が大丈夫だと言われるまで、生産者の人や一次産業の人が辞めないように、地元の人が安全で安心なものを、きちんと調べて安全な食材を使うという事をやりました。山形県の無登録農薬問題から立ち直ったように、料理人として頑張ろうと思いました。料理人は意外にいろいろなことができます。これから日本をつくる子どもたちへ向けた料理講習会も行っています。一人一人が粒子となって日本の未来をイメージして、多くの人と語り合いみんなが共に喜びあえる、新しい日本をつくっていきましょう!といろいろ啓蒙活動を行っていました。そうしたら…入院してしまいました。あまりに頑張り過ぎたようです。

ピンチの後のチャンス
消化器系の入院をしました。普通入院はピンチです。しかし、目の前には消化器系の先生がいます、栄養士さんもいます。栄養学、アンチエイジング、漢方、マクロビオティックの本を読みました。あるところでは牛乳が良い、あるところでは牛乳が悪い、あるところでは大豆が良いと書いてあり、「先生これはいったいどういう事ですか?」と昼間は質問攻めをし、夜にそれをまとめるという事をしました。久しぶりに自分の為に勉強をしました。とても幸せな入院期間でした。そこでできたのが奥田式健康法です。38品目で、柿酢のジュースと一緒に野菜を500g取る、砂糖はすべてオリゴ糖を使い、吸収されない糖分を使用します。野菜を食べて、その後に、肉、パスタを食べます。健康料理を勉強していたために、三重で始めたアクアイグニスは大繁盛しました。ピンチの時はピンチと思わないでください、その後ろにすごいチャンスが待っています。

料理界のドラえもん

幼稚園の時の気持ちで、偉いとか偉くないとかではなく人として接していると、誰とでも仲良くなれます。答えは3秒で決めます。3秒以上かかると、いろいろな自分の打算が入ってしまいます。
そして、私は料理界のドラえもんになりたいと思っています。ドラえもんはのび太がこういう道具出してよと言うと、笑いながら出します。ダメなときはダメと言いながらも、結局出してしまいます。しかしのび太君はその道具を使って失敗してしまい、窮地に立たされてしまいます。だから言ったじゃないと言いながら、ドラえもんは助けに行きます。そういう料理人を目指しています。


+クリエイティブレクチャー 「食からはじまる地域づくり、その後」

http://kiito.jp/schedule/lecture/article/6674/

2014年2月4日(火)

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第4回目のゼミを開催しました。まずは1週間のリサーチ報告を行いました。ケータイの活用の利点の報告がゼミ生からありました。高性能なスマートフォンに関して、学習との関連についてゼミ生が調べたところ、問題集のアプリケーションがあり、いつでもどこでも問題集を解くことができ、正答率や間違いやすい個所などが集計されるものや、自分専用の単語帳を作ることができるものなどの報告がありました。
スマートフォンと育児に関しては、育児日記、泣き止ませる音が出るもの、授乳室の検索、予防接種のスケジュールなどの活用法もありました。
韓国などではオンラインゲームの利用時間を制限したり、青少年(16歳以下の子ども)への、0~6時の間のオンラインゲームのプレイを強制的に禁じるという法律(青少年保護法)もあるという報告もありました。
拡大しているネット依存についてリサーチしたゼミ生からは、リア充(現実の生活が充実している)な人は、そうでない人よりインターネットの利用時間が短く、睡眠時間が長いという結果も出ているとの報告がありました。
その後、グループに分かれ、「子どもとケータイの付き合い方についてどうなっていくと良いのか?」「ケータイと良い付き合い方をするとどんな良いことがあるのか?」「自分自身で良い使い方に向けてどんなことを実施したか?」「ケータイとの良い使い方の実現に向けてのアイデアは?」「また実現に向けて実際に何をするのか?」について用紙に書き込みながら議論をしました。書き込んだ内容に再度目を通し、自分がどのように行動していきたいか発表しました。

+クリエイティブゼミvol.8 教育(メディアリテラシー)編 こども×ケータイ研究所
http://kiito.jp/schedule/seminar/article/6672/

「KIITOアーティスト・イン・レジデンス2013」の看視業務を中心とするアルバイトスタッフ募集につきまして、採用者が決定いたしましたので締め切りました。ありがとうございました。

2013年11月16日(土)
 

KIITOのグランドオープンから一年余の間、注目されずにヒッソリと息をひそめていた中庭。ゆったりと時間を過ごしたり、食べられるものを育てて収穫したりなど、来館者やクリエイティブラボ入居者のコミュニケーションの場としてこの場を活用できるのではないか。そんな思いのもと、アーティスト・ユニットの生意気を招き、中庭づくりに興味を持ってくださったワークショップの参加者のみなさんと共に、植物を用いた場作りのワークショップを行いました。
開催日の3日前より、生意気と、アーティストや技術者などで構成される生意気の仲間たちが中庭の制作を進めてきました。この日が中庭の仕上げ作業となります。

 

このワークショップでは、参加者のための特別なメニューが用意されているのではなく、いくつかある作業工程の中で、自分のやりたいこと、すべきことを見つけて取り組んでいきます。
まずは土作り作業。姫路のリビングソイル研究所の西山さんが作られた土、六甲山からの堆肥で作られた土、淡路島からの土と三種類の栄養豊富な土を、ふるいにかけて混ぜあわせます。

 
土ができたら、大から小までとりどりの植木鉢に植物を植えていきます。参加者のみなさんにも、一人一つずつ植木鉢を持ってきていただいたので、それらにも次々と植えていきます。

 
縦に半分に切った竹を並べて、プランターを作ったり、嵐山の苔をたっぷりと使った苔玉づくりをしたりなど、作業が盛りだくさんです。また、作業でお腹をすかせた参加者にふるまうおやつと飲み物づくりも大切な仕事です。

 
このような作業を経て、活気のある、過ごしやすい中庭が完成しました。生意気は、都会生活におけるオルタナティブかつ持続的な生活環境をつくる一つのアプローチとして、植物を用いて制作を行っています。今回はその姿勢に学びながら共に作業し、一つの“場”をつくり上げることで、参加者のみなさん一人ひとりの生活にも具体的に活かすことができる「+クリエイティブ」な発想力と、それを実現する技術を学んでいただくことができました。今後も、今回の参加者を中心に「なかにわなかま」として、中庭作りとコミュニティを継続していく予定です。
 
 

 
 
2013年11月17日(日)
 
翌日には、中庭の具体的な活用法として、バジルワミー、ウォン・ジクスー、テニスコーツを招いてライブを開催しました。中庭の緑をさながら舞台美術のように背景に取り入れ、KIITOホールにステージを設けました。また、来場者も演奏者も、KIITOホールと中庭を行き来できるようにし、ゆったりとした時間を過ごすことができました。
今後も、様々な催事と連携し活用できる場所として、中庭を発展させていければと思います。

 

「セルフ・ビルド・ワークショップ 生意気とつくるKIITOの庭~なかにわなかま~」 開催概要はこちら
「KIITO中庭でライブ!!!!!」 開催概要はこちら

2013年11月10日 (日) 第4回 フィールドワーク


連続レクチャーの総まとめとして、旧兵庫津エリアのフィールドワークを行いました。兵庫津は、注意深く観察しながら歩いてみると、中世の町の痕跡、また近世の町並みや人々の生活が想起される神社や史跡が多く残されているエリアです。講師の松田さんのナビゲートのもと、対象地を巡っていきました。

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兵庫大仏

普段は正面からしか見る機会のない能福寺の兵庫大仏。斜め後ろに回って見てみると、前景のモダンな建物と絶妙にマッチするポイントを見つけました。能福寺は清盛の福原遷都計画時に平家の祈願寺となり、清盛も得度したという古い由緒を伝えるお寺です。

 

船大工町
中央卸売市場の北東向かいに位置しています。船大工町の町名は元禄9年(1696)の絵図にも同じ場所に確認できます。当時は兵庫津の船入に面する町でした。現在は兵庫運河(新川)の最北部分に面しており、運河の静かな水面には個人所有の小型船がびっしりと浮かんでいます。今も間口の狭い民家が建ち並び、近世以来の地割を伝えていることが想像されます。

 

竹尾稲荷神社

西出町にあります。蝦夷地の開発などを通じて兵庫津の繁栄に大きな貢献を果たした江戸時代後期の海商、高田屋嘉兵衛(1769-1827)。その功績を讃える記念碑があります。高田屋嘉兵衛の本宅はこの神社の門前にありました。文化10年(1813)の年号が入った花崗岩製の灯籠などを見付けることができます。文化文政年間の兵庫津の地形を描いた案内図もあり、今はない大きな入江、「佐比江」も描かれています。小さな境内ですが、兵庫の歴史を知る情報が詰まっています。

 

町家
伝統的な町家が数軒残っている東出町に来ました。一つ目に見た家屋はかなり保存状態が良く、大切に残されてきたもののようです。屋根上に突き出した「うだつ」が見られます。また、同じ通りに残る別の町家には、日本酒の銘柄「灘泉」の看板がありました。東出町にはこのように間口の小さい建物が並んでおり、船大工町と同様に近世以来の地割を伝えているのではないかと想像されました。

 

湊川跡
さらに北東に進むと旧湊川に当たります。旧湊川の川筋にあたる通りの標高が最も高く、そこを軸として周辺へ下がる扇形の地形となっています。湊川が作り出したこの微地形(非常に小規模な地形の変化)に添って、西出町・東出町などの町並みが形成されています。微地形と街区の関係を観察しながら歩きました。

 

松尾稲荷神社
拝殿にたくさん吊られている奉納提灯が印象的な松尾稲荷神社。この神社が位置する場所は周囲に比べてさらに高くなっています。わずかな高地を利用するためか、境内の密度がとても高く、独特の雰囲気です。
20世紀の初めにアメリカで誕生した神様で、明治末以降日本でも流行した神様「ビリケンさん」でも有名で、大正初期のビリケン像が祀られています。日本に現存するビリケンの中で最古級とか。これに因んで、世界のいろいろなビリケンさんの写真も壁一面に貼られています。

 

稲荷市場

旧湊川に沿うようにして形成されている稲荷市場。小さな間口の木造民家が密集し、狭い路地が張り巡らされています。

 

猿田彦神社(佐比江神社)

かつて佐比江の地には海が湾入しており、その周囲に遊廓が栄えていたとのこと。佐比江の遊女らは当時白川にあった山伏山神社(祭神猿田彦命)を信仰しており、毎月大勢連れだって参詣し、その信仰があまりにも深いため、後に猿田彦命の分霊を佐比江に勧請したのがこの神社だそうです。

 

鎮守稲荷神社

「ちぢみさん」の愛称で親しまれている西出町の稲荷で、境内には高田屋嘉兵衛が奉納した燈篭が見られます。灯籠の裏側には、文政7年(1824)の年号と「高田屋」の銘が確認できます。またここも竹尾稲荷神社と並んで、古いビリケンさんが祀られていることでも有名です。

 

七宮神社
平清盛が大輪田泊を造営するときに建立したと伝わる、古い由緒の神社です。かつては、佐比江に湾入する海が七宮神社の北に迫るところまで来ていたそうです。今ではその場所は広い車道となっており、海の気配はまったく感じられませんが、七宮神社にすぐ迫る海を想像すると、時空の旅をしている気持ちになります。

 

兵庫津歴史館・岡方倶楽部
近世兵庫津の社会集団のひとつ、「岡方」の惣会所跡です。「徳川時代兵庫津の行政機構は全域を三分し岡方、南濱、北濱とした。これを三方(みかた)と称し、大坂町奉行支配であつた。三方にはそれぞれ惣會所があり名主が惣代や年寄などを指揮して行政をおこなつていた」と碑にあります。
その後昭和2年、会所の跡地に兵庫商人の社交場としてこの建物が建造されました。モダンな近代建築です。岡方の歴史を継承するため、「岡方倶楽部」が設立されたとのこと。江戸時代から続く商家のご主人にも出会いました。現在建物内では、兵庫津の歴史についてのパネル展示を見ることができます。

 

大輪田泊石椋(おおわだのとまりいわくら)
昭和27年の新川浚渫工事の際に発見された大きな石が、船大工町の対岸に展示されています。案内板には、「この花崗岩の巨石は、(・・・)古代大輪田泊の石椋の石材であったと推定されます。石椋とは、石を積み上げた防波堤(波消し)や突堤の基礎などの港湾施設であったと考えられます。その構造は出土状況から、港の入口にこのような巨石を3~4段程度積上げ、松杭で補強し、堤を構築していたものと推定されます」とあります。

以上のように、松田さんのナビゲートのもと兵庫津エリアを歩くと、中世から近世にかけての地形やまち作り、人々の社会生活が生き生きと想像できる場所にいくつも出会うことができました。空間だけでなく時間をも行き来している気持ちになり、神戸の新たな見方を知るフィールドワークとなりました。

「神戸スタディーズ#2 地-質からみる神戸」
開催概要はこちら

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