お知らせ・レポート

デザイン・クリエイティブセンター神戸で、2016年3月に開催するイベントについてプレスリリースいたします。

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2016年2月22日(月)

2016年度、KIITOとAnyTokyoが「innovation」をキーワードに共同でスタートする新しいラボ形式のプログラム「+クリエイティブ・ラボ」。初年度に取り組む最初のテーマは「新しいパンをつくる」です。この新たなプログラムのキックオフとして、さまざまな分野で活動するパートナーとともに、トークセッション「新しいパンのはなし」を3回シリーズで開催します。第1回となる今回は、バイオアーティスト・福原志保さん、神戸のパン屋サ・マーシュのオーナーの西川功晃さんをお招きし、デザイン・クリエイティブセンター神戸の副センター長の永田をモデレーターに、このイノベーティブなプロジェクトについて、トークを展開しました。

はじめに、サ・マーシュオーナーの西川さんにお持ちいただいた、低糖質のパンを参加者全員で食べました。このパンは、小麦粉の代わりに大豆を使用して作ったもの。「パン=小麦粉からつくられる」という概念をくつがえすようなパンが、既に存在しているということに、会場からは驚きの声が上がっていました。
パンのプロである西川さんと、バイオアーティストの福原さんという全く違った背景を持つお二人が、本当に今までにない、想像もつかない「新しいパン」とはどんなものか、参加者のみなさんと共に、ひもといていきました。

まずは、バイオアーティストとして、科学とアートとデザインの領域を超え、テクノロジーや独占市場を人々に開いていくことをミッションとした活動を展開している福原さんに、ご自身の活動についてお話しいただきました。

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【福原さんの活動まとめ】
□「PROJECT JAQUARD」
Google の先進技術プロジェクト部門であるATAP( Advanced Technology and Projects)が進めている、伝導性繊維を生産する方法を研究・開発するプロジェクト。
イギリスのサヴィル・ロウの名門紳士服店で、タッチセンサーが内蔵されたジャケットを制作し、電話をかけることにも成功した。現在はプロジェクト・パートナーとしてリーバイスとタッグを組み、その伝統的な機械織りの技法を生かしながら、新しい素材を生み出すための研究を進めている。
PROJECT JAQUARD

□「Ghost in the Cell(細胞の中の幽霊)」
生命は機械のようにオン・オフすることは出来ず、生と死の境界線はグラデーションになっている。この境界に位置する「may be」の状況は、「Ghost(幽霊)」と言えるのではないかと考えた。そして、日本を代表する人気キャラクターである「初音ミク」がこの状況にあるのではないかと仮定した。声や体、またファンにとっては心も存在するが、細胞と心臓は存在しない。この状況に、細胞と心臓を与えることで、彼女の「生きている状況」を作り出した。iPS細胞で神経細胞(心臓)をつくり、そこに初音ミクの外見に近い遺伝子データを混ぜ、バイオロジカルな初音ミクを生み出した。
金沢21世紀美術館「Ghost in the Cell:細胞の中の幽霊」

□「Common Flowers」
バラやカーネーションには、もともと青い色を出す遺伝子は存在しないが、遺伝子組み換えによって、企業がそれをつくることに成功した。この花は海外で栽培され、日本では切花として販売されている。福原さんは、ベビーフードのプラスチックケースや、寒天、スティックシュガーなどの身の回りの日用品で、その遺伝子操作をした花を自宅のキッチンで培養することに成功した。現在は、遺伝子組み換えのされた青いカーネーションを、元の姿の白いカーネーションに戻す研究を行っている。

□「BIOPRESENCE」
故人の遺伝子を木の中に移植し、生きた墓標にするプロジェクト。木に人の遺伝子を移植することによって、その人の生きていた時の記憶やストーリーが、その木を取り巻く残された人々によって、何十年も先の後世まで紡がれていくことを目指している。テクノロジーを見えなくすることによって、そこにある何かを改めて考えて欲しい。このプロジェクトによって、これまでのお墓の風景が変わるかもしれない。

福原さんから、新しいパンは記憶から生まれるのではないかと参加者のみなさんへ投げかけがありました。約8000年前のエジプトの壁画に、パンを作っている様子が描かれていたことや、約3300年前の、人の指紋がついたパンも発見されているというエピソードをご紹介いただきました。
古代のパンの素材であった、当時の小麦をバイオテクノロジーによって再現したときに、そこから作られるパンは古いものなのか、新しいものなのか?また、その古い小麦を使って、今の技術でパンは作れるものなのか、研究をしてみたいとのことでした。


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【福原さん×西川さんトーク】
西川さんに今回お持ちいただいた低糖質のパンは、素材に大豆を使っています。これは、日本人らしいパンのタネとして、植物由来のものから作りたいという考えから生まれたものなのだそう。西川さんは、これは「次のパン」だとは言えるが、今回のプロジェクトにおける「新しいパン」ではない、と言われていました。もっと神秘的で、想像もつかないようなものを作ってみたい。しかし、世界中の人にこれはパンじゃないと否定されるものでは無く、世界のどこかの誰かがそれをパンだと言えるようなものを考えたいとのことでした。

新しいパンについての話を進めていくなかで、パンづくりとバイオテクノロジーの共通点も見えてきました。
西川さんは、25年前につくったパンのタネを、今も使い続けています。タネを生み出した当時、西川さんはそのタネを他のパン職人たちと共有したそうです。今後もタネとして残っていくが、それぞれの手に渡り、微妙な変化をしていくのだろうとのことでした。もしかすると、既に25年をかけてまったく違うものに変わっているのかもしれないともお話しされていました。
福原さんは、このパンのタネを生命に例えられました。一卵性の双子は、同じ遺伝子を持って生まれますが、それぞれに変化して当然同じ人間ではないように、バランスを取りながら常に変化し続ける生命と、通じるものがあるのではないかとのことでした。手法や環境によって、完成するものが変わっていくことに、お二人とも関心を抱かれているようでした。


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最後に、永田から西川さんに、パンの定義とは?という質問が投げかけられました。
これまで、パンではないと言われていたものが長い時間たって認められることは多くあり、西川さんにとって、パンとはこうでなくてはならないという定義は無いのだそうです。ただ、これからさらに科学技術が発達し、遠い未来の人間が自分自身でする活動が少なくなった時に、食べるということですらしなくなる時が来て、パンの定義どころか、必要ではないものになるのではないかと懸念されていました。
福原さんは、英語で「bread and water(パンと水)」という言葉が、人間の生活にとっての一番大事な要素を意味するように、主食という感覚がこれからも続き、パンが必ず食べるもの、無くてはならない存在であってほしいとお話をいただきました。

今回のキックオフトークセッションは、全3回で「新しいパン」とはこれだ!という答えを見つけるものではありません。異なる分野のクリエイターやパン職人、参加者のみなさんと一緒になって、どのようなパンを生み出すか、一緒に考え、研究していく機会になればと思います。第1回目となった今回のトークセッションでも、すぐに解決することのできないモヤモヤした感覚や、発想のアイデアとなるような刺激を受け、参加者の方それぞれに「新しいパン」にまつわる宿題ができたのではないかと思います。次回以降も、その答えをみんなで探しながら、次年度のプロジェクトに繋げていければと思います。

+クリエイティブ・ラボ キックオフ連続トークセッション 「新しいパンのはなし」
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KIITOが年4回発行する情報誌「KIITO NEWSLETTER」の最新号Vol.12が完成しました。

今回は、1月9日~31日に開催した「小森はるか+瀬尾夏美 巡回展 波のした、土のうえ in 神戸」の初日に関連イベントとして開催した、酒井耕(映画監督)さん、濱口竜介(映画監督)さん、小森はるか+瀬尾夏美、司会:清水チナツ(せんだいメディアテーク学芸員)さんによるトークイベントの一部を再編集して収録しました。

KIITO内や、全国の文化施設・教育機関などに順次配布していきます。ぜひ手に取ってみてください。PDF版も下記リンクからご覧いただけます。


KIITO NEWSLETTER
バックナンバーを含めたPDF版はこちら

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2016年2月13日(土)

神戸スタディーズ#4 「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」第3回トークセッション「過去から未来へ:まちの変わる契機(モメント)」を開催しました。

今回は、講師の村上しほりさんから、第1,2回の振り返りと補足をしつつまとめのレクチャー、最後に、モデレーターを務めるKIITOセンター長・芹沢高志とのトークセッションを行う回です。


モニュメント
第2回フィールドワークで注目した「モニュメント」について。
・神戸では、1960年代後半から大規模な彫刻展が開催され、積極的に「花と緑と彫刻のあるまちづくり」が推進されていたが、1998年に現代彫刻展は終了。
・主因としては、予算、公園における防災機能の優先化~各地の空地を復興用途で利用していく過程で、園内の彫刻がその場所にある必然性、メッセージ性が問われるようになったことなどが考えられる。
・1995年以降、各地に「震災モニュメント」が設置されるようになる。震災からモニュメントに対する認識の転換がおこったのか。

まちが変わる契機、災後の変化
神戸というまちの変化に影響したさまざまな出来事(戦災復興/三大水害/都心が東へ/山地を切り崩して臨海部の埋め立て地造成「山、海へ行く」/ニュータウン開発やポートピア81に向けた都市整備/震災/復興 など)を挙げ、その変化の契機について見ていきました。
・自然災害からの復興やその原因の克服は都市整備のモチベーションに。
・「復興」に際しては民間の力もたくましかったが、「官」が主体となって引っ張ってきた。それが復興のスピードを上げたともいえる。新しいことを、と走っているうちに、気がついたら過去が遠くなっていた、のではないか。なお、都市開発が急激に進む前には、民衆の間や人びとと行政との間のエネルギーのせめぎあいが目に見えて残っていた。過去の写真の建物の立ち方からも分かる。
・震災を契機として、集合的記憶の喪失というクライシスが実感された。
残し、伝えることの重要性の認識がなされ、そこから膨大な記録が生まれた(災後の記録だけでなく、災前の資料の救出・収集も)。

聞く力
トークセッションでは、集合的記憶を残す、という話をきっかけに、「聞く力」についての話になりました。

聞き取り調査などをするとき、人の記憶に比べ、この場所に何があったか、といった場所の記憶は、聞かないとなかなか自分からは出てこないのだそうです。その場所の建物が建て替わったりしてしまうとなおさら。また、資料なしに聞くと、事実と異なることが多いため、聞きたい時代についてあらかじめ調べておき、地図や写真などを準備した上で、さらに決して誘導はしないように気をつけながら質問を投げるのだそうです。
忘れたからといって、忘れたきりではなくて、何かが引き金になって思い出すこともある、とのこと。

思い出すきっかけの他に、語るきっかけについても言及されました。
歴史化されるタイミングとは何だろう。伝えたいと意識するのはどんな時なのか?
村上さんの調査のなかで「震災があったから、戦後のことを話す気になった」という人が複数いて、「戦後の振り返りのために商店街の資料を集めていたけれど、持ち出せなかった」という話もあったそうです。
95年はちょうど戦後50年の年。節目の年に、自分の振り返りをしようとした矢先に震災があった、ということが、喪失感をより大きなものにしたのではないか、と二人は考察します。


サラエボ・サバイバル・ガイド、発見された1958年の広島のスナップ
また、芹沢からは、これまでの3回を経て浮かんできたという『サラエボ・サバイバル・ガイド』、エマニュエル・リヴァの写真集についてなどが話されました。

・村上さんのお話や写真から、神戸の特徴を改めて感じた、これまでの神戸スタディーズで、兵庫津の方をまわるフィールドワークを行った時も感じたが、歴史的な遺構のようなものが、ずいぶん目立たなく、あっさりしているのが印象的だった。失ったものを再建するのではなく、次に進む、という考え方なのだろうか、びっくりするほど残っていない。
・サラエボの都市インフラが止まった時、TVプロデューサーのスアダ・カピッチが、ミシュランの都市ガイドの形式をまねて、『サラエボ・サバイバル・ガイド』という本を作った。カピッチは「ハード・ウェアは破壊されたが、ソフト・ウェアが生き延びた」と言っている。自分たちの文化的な記憶、昔ながらの野草を使った料理法、暖の取り方など、ものがなかったころのソフトをしたたかにユーモラスに再生していく。
・1958年のフランス映画『ヒロシマ・モナムール(邦題:二十四時間の情事)』に出演した女優のエマニュエル・リヴァが撮ったまちのスナップが、何十年後かに発見されて写真集になった。その写真が、人がさまざまなことを思い出すきっかけになったという話を聞いたことがある。写真が大きな引き金になっている。


今回も時間いっぱいまでトークセッションが続き、質疑応答の時間が短くなってしまいました。アンケートからも関心の高い参加者が多く、聞きたいことや話したいことがご自身にもある方が多かった企画だったことがうかがえましたので、今後機会があれば、参加者とのトークセッション中心の回を設けるなど、構成を検討したいと思います。

神戸スタディーズ#4は今回で終了です。これから本企画の内容をまとめた成果冊子を制作します。参加出来なかった方も楽しんで読めるような構成を検討していますので、ご期待ください。


神戸スタディーズ#4 「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」
開催概要はこちら

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2016年2月6日(土)

神戸スタディーズ#4 「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」第2回フィールドワーク「商業のまち・復興のまち 三宮」を開催しました。

今回は、第1回の概論で学んだことを頭に置きつつ、実際に三宮を歩きながら、まちの中にあるしるし・痕跡を探して、都市計画やまちの変化を知る回です。

最初は、KIITOにて、講師の村上しほりさんからミニレクチャーです。これから歩くエリアの昔の写真をまとめた小冊子と、1995年2月に神戸大学建設学科調査班によって調査された被災度を色分けして示した地図、1936年制作の手書きの住宅地図も配られました。各種の資料をつきあわせながら、実際のまちを、下記のルートで歩いてきました。

KIITO
外に出る前にKIITOに残る痕跡(第1回レポート参照)も確認しました。
旧生糸検査所の建物は、戦後、GHQから1945年9月25日までに明け渡し命令が下り、横浜生糸検査所に続いて接収されたそうです。2,3,4階は、生糸輸出の復興促進が渇望されていたこともあり1946年に段階的に返還されていくものの、1階の大部分は室内遊技場として使用され、1952年5月に講和条約が発効されるまで返還されなかったとか。


みなとのもり公園
JR貨物神戸港駅の跡地。駅は2003年まで存在していましたが、震災復興事業の一環として、神戸震災復興記念公園となりました。防災設備が整備されているほか、「ニュースポーツ広場」という、スケートボード、インラインスケート、BMX用施設があって、多くの人で賑わっています。神戸港駅時代のレール一部、時計、安全の鐘をモニュメント化して残しており、駅であった時の記憶も留めています。

東遊園地
1868年に外国人居留遊園として開園した場所。さまざまなモニュメントが設置されています。4グループに分かれて、それぞれにiPadを渡して、見つけたモニュメントの写真を撮ってもらいました。
「慰霊と復興のモニュメント」は誰もが知るところですが、改めて探してみると、知らなかったモニュメントがたくさんありました。「ボウリング発祥の地」「神戸復興都市区画整理事業」「水道給水開始30年」「モラエス翁像」「没後200年記念モーツァルト像」「日本近代洋服発祥の地顕彰彫刻」「日本マラソン発祥の地」「加納宗七の像」「命の灯台」ほか、震災による地盤沈下の保存、ブリスベンから贈られた銘板、(三木瀧蔵氏が神戸生糸取引所理事長退任時に寄贈した)噴水、震災復興の願いを込めイタリアのオリーブ協会会長から寄贈されたオリーブの記念樹、等々。


神戸市庁舎展望ロビー
24階の展望ロビーから、今の三宮のまちの眺望を、1960年、1995年といった年に撮られた戦後、災後の写真と見比べました。


三宮駅前~三宮センター街~センタープラザ
駅前は闇市がずらりと並んでいた写真と比べると大きな変化です。そごうは、震災時は新館と旧館をつなぐところが完全に崩れ落ち、大きな被害を受けたそうです。センター街は、戦後焼け野原の中から闇市が出来て、それに対抗するようなかたちで出来たものだそう。当時は土の道で、よしずを張って日を避けてアーケードのようにしている写真があります。
センタープラザ西館の場所にあった公設三宮市場が、再開発時に地下におさめられたというエリアも通りました。


生田筋~東門街~三角マーケット~ムスリムモスク
1965年に台風で東門街のアーチが倒壊して危ない状態になっている写真と見比べました。東門街をしばらく上がってから東側へ入った路地に「三角マーケット」があります。1935年ごろにできた市場とのこと。設立当時も北野や山本通には外国人が多く住み、彼ら向けの商品も多く扱われていたそうです。戦中には全焼、戦後に再建。のちにテナントビルになり市場の店舗も入りつつ営業が続けられましたが、震災でビルが全壊した後の建て直し期間に店舗が離れていき、今は数少ない店舗が営業するのみのようです。
ムスリムモスクは1935年に建てられた日本初のモスク。戦災にも震災にも耐えたそうです。今回は外から見学するのみでしたが、個人での見学は自由にできるようです。


C.A.P.
坂を上がっていくと、旧移住休養所だった建物が、海外移住と文化の交流センターとして活用されている場所があります。館内でさまざまなアートプロジェクトを運営するC.A.P.(芸術と計画会議)の事務所前のラウンジ的なスペースをお借りして、休憩しつつ、東遊園地で撮影した写真をみんなで見て、感想を共有しました。
撮影するものは重なっていても、そこで感じたことやめぐらせた想像がそれぞれ異なり、視点が広がります。
モニュメントの中には「5:46」で止まった時計も止めた時計もある、痕跡が「ない」ことを感じられるか、といったそれだけで掘り下げてみたいトピックも出てきました。また、国際マーケットがあった駅東側、阪高橋脚など、ほかにも足を向けたいところはありましたが、今回はここまでで終了としました。新開地など他のエリアも回ってみたい、という参加者の声もありましたので、次の機会への期待も残しつつ、次回はトークセッションです。


神戸スタディーズ#4 「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」
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2016年1月27日(水)

神戸スタディーズ#4 「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」第1回目レクチャー「概論:近現代神戸 都市(まち)のなりたち・人びとのくらし」を開催しました。

「神戸スタディーズ」は、さまざまに語られる神戸というまちのイメージをあらためて考えるため、多様な専門分野の方を講師に迎え、これまでなかった視点で神戸を見る「神戸学」をつくる試みです。デザインセンターではなかなか扱われることのない、地形、地質、社会学などの視点から、自分たちの足元の土地を見つめることで、デザインやアートを考えるための土台にしていこうというものです。
レクチャー、フィールドワーク、トークセッションの全3回で構成する今回は、近現代神戸の都市史を専門とする、研究者の村上しほりさんをお招きして、まちの痕跡や人びとのつながりを手がかりに、神戸を解(ほぐ)してみます。


第1回は概論です。村上さんが8ページにわたる詳細なレジュメを用意して配布してくださいました。そもそも都市史って何?というところからはじまり、レジュメと、豊富な資料画像のスライドとともに、近現代神戸を丁寧に概観していきました。

レジュメは、今回の神戸スタディーズのタイトルに含まれる「せめぎあい」を連想させ、都市史のおもしろみに引き込まれるテキストから始まっていました。

―「都市」とは多様な人びとの居住の場である。その変化は激しく、あっという間に更新されて、気が付いた時には前の姿を思い出せないこともある。さまざまな人びとが集まり暮らすということは、新たな交流が芽生えたり、各人の利害が衝突したりする可能性を抱えている。― (レジュメより)


レジュメとレクチャー内容からいくつかピックアップします。

「神戸イメージ」・・・戦後から現在までの観光案内や、神戸を語ったエッセイを参照し、記述されるさまざまな「神戸」を見ていきました。観光案内には「国際的な観光都市」「オシャレで異国情緒あふれる」、1965年の陳舜臣のエッセイには、駅前に密集する木造家屋やバラック飲食街が描かれています。

「戦後、災後のまち」・・・村上さんが特に研究されている闇市については、とりわけ時間が割かれました。
その発生と変容、報道のされ方、語られ方(社会政策学者か、社会学者か、ジャーナリストか。批判的な見方と評価する見方で対照的。誰の目線で描かれるかによって異なる印象を与える)。村上さんは戦後1945年~50年の神戸新聞地方面を通読して復興の推移を調べたそうです。合わせて居酒屋、飲食店の推移についても見ていきました。

「進駐軍と神戸のまち」・・・なかなか語られることのない、戦後、進駐軍が占領していた時期についても丁寧に調査されています。
イースト・キャンプの敷地確保のために、葺合区の対象地域に居住する132戸のバラック生活者が、1週間で立ち退きを要求されたことがあるそうです。

接収時のKIITO(旧生糸検査所)についても興味深い資料を示してくださいました。
この建物は、1階は室内運動場としてバスケットボール、バレーボール、テニスなどの設備があり、読書室、音楽・映画も楽しまれていたそうです。「レッド・クロス」という喫茶スペースがあり、セルフサービス式で、無料でコーヒーやドーナツが楽しめたとか。1945年10月28日の神戸新聞地方面で6分の1ほどのスペースで写真付きで紹介されていました。
1階の地下へ延びる階段(現在は埋められている)の梁には、かなり薄くなっていますが「OFF LIMIT」「SPECIAL SERVICE OFFICER」というサインが残っています。(来館時に探してみてください!)


近現代の神戸の歴史というと、広く関心を集めるテーマなのか、参加申込も多く、当初の定員よりも多くの人数を受け入れました。
お馴染みと思われるテーマであっても、なかなか目を向けられることのなかった、占領期や闇市についてを村上さんならではの丁寧なリサーチにもとづき見ていく時間はとても興味深いものでした。開催後の来場者アンケートでも、「知らなかったことを知ることができた」「見た事のない資料や情報が見られておもしろかった」といった感想が複数見られました。

モデレーターを務めたセンター長の芹沢高志からは、最後に村上さんのレクチャーの中で出てきた「港にはいいものも悪いものも入ってくる」、「闇市は誰の目線で描かれるかで異なる印象を与える」といった印象的な言葉を取り上げ、神戸にはイメージの中で作り上げられた一元化した極端な像がある、過度に思い込むことで偏った見方が出てくるが、そういうところを村上さんのような若い研究者が冷静な視点で見ているというのがおもしろい、とコメントが。今回はレクチャーに比重を置いたので、二人のトークセッションは第3回の楽しみにして、この次の第2回は、三宮を対象にしたフィールドワークを行います。



神戸スタディーズ#4 「”KOBE”を解す―せめぎあいにみる神戸の都市史」
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